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 蓮に言われた通り、手術予定日までこっそり薬を飲んだ結果、健一の手術は直前で中止となった。  前日に行われた検査で、目を覆う程にあった病巣が、残らず消えていたのだ。  家族が喜び、医師たちが首を傾げる中、叔父の知り合いだと名乗り、一度お見舞いにも来てくれた若者だけは、妙な表情を浮かべていた。  上と下に年が離れている友人二人と、叔父金田玲司が手離しで喜びあうのを見ながら、その若者は父の顔を見つめて溜息を吐く。  それが気になりつつも、健一はその日のうちに退院し、大事を取って暫く静かな部屋で療養することになった。  まだ再発するかもと、寮住まいの叔父は警戒しているようで、一月後の検査まではと時々様子を見に、家に戻ってくれた。 「ねえ、叔父さん」  食も随分太くなった健一は、果物の皮をむいてくれる叔父に、気になっていたことを訊いてみた。 「お見舞いに来てくれた人たち、大学のお友達?」  包丁を持つ手が止まり、顔を上げた男は嬉しそうだった。 「ようやく、そう言う好奇心が出たのか。それなら、もう大丈夫だな」  意味が分からず、きょとんとする甥っ子に、玲司は答えた。 「あるアルバイトで、知り合った人たちだ。一人は、あれで刑事なんだぞ」 「おまわりさん? すごい、どの人? 金髪の人?」  身を乗り出した健一の問いに、叔父は思わず目を丸くした。 「お前、あの人に、気付いたのか?」  その問い返しに目を見張り、甥っ子は声を張り上げる。 「ええっ、あの人、幽霊だったのっ?」 「いや、違う、違うが……」  手を振り回していた玲司が、我に返って手を置く。  包丁を手にしたまま、振り回していた。  咳払いをして甥っ子を見て、穏やかに言う。 「刑事は、河原さんって人だ。ガラの悪い口調だっただろう? あの人はお前と同じ年の、子供がいるんだ」 「へえ」 「友達になれれば、いいな」  優しく言う叔父に、キラキラした目で続きを促す。 「他の二人は?」 「……塚本君は、まだ駆け出しだが、優秀な国家公務員だよ。その、お前、あの人に気付いたのか、見舞いでも全く話さなかったのに?」  何でそんなに驚くのかと、首を傾げる健一に玲司は答えた。 「あの人は、恩人だ」  ずっしりとした言葉が、叔父の口から洩れた。 「命を、助けてくれたこともだが、私の背中を、強く押してくれたお人だ」  どう返すことも出来ない子供に、玲司は笑って言った。 「今度、お連れした時に正式に紹介する。どういう方なのかは、その時に分かるだろう」  言ったとおりに、叔父がその人を連れてきたのは、一週間後だった。  学校から戻ると、部屋に直行する健一を客間に呼び、玲司は客としてきた若者を紹介した。  客は、金髪の若者だけではなかった。  その若者と対照的な色の、同じくらいの背丈の若者が一緒だった。  薄い金色の真っすぐな毛並みの短髪の若者は、それとは裏腹の黒い瞳を子供に向けて名乗った。 「この人とは懇意にしている、セイ、だ。こっちは(きょう)」 「キョウとでも、カガミとでも、好きに呼べばいい」  にんまりと笑った黒髪の若者は、やはりそれとは裏腹の、薄茶色の瞳を向けて言ったが、こちらはセイと名乗った若者の目より、どこかぼんやりとして見える。 「君の父上とは、少し面識があったんだ。だから、君が大変な状況だと聞いて、見舞ったんだけど……」  セイは、何とも言えない顔つきになり、鏡を見た。  同じように見返す若者も、呆れ顔になった。 「これは、あれだな。未来を諦めてた誰かさんと、この子を重ねた結果だろう」 「……別に諦めてたわけじゃないけど。それだけで、そんな大技を? と言うか、出来たっけ、そんなこと?」 「出来るようになったんだろう。随分、背も伸びただろう?」  聞き返す鏡に、金髪の若者は、悲観の色の濃い溜息を吐いた。 「私たちを追い越すのも、時間の問題だよ」 「だろうなあ」  しみじみと頷く若者の横で、セイは健一に尋ねた。 「蓮、と言う人に、会ったことは?」 「知ってるの? あの人の事?」  向かいに座った子供が、目を輝かせて身を乗り出すのを見て、若者は僅かに身を引いた。 「あの人、どこにいるのっ?」 「ど、どうして、そんなことを訊くんだ?」  その勢いに押された若者に、健一ははっきりと言った。 「僕、あの人の手下になるっ」  セイは、見張った目を窓の外に向けた。 「槍は、降ってないよね?」 「降ってたら、オレらは何本刺して、ここまで来たか分からんぞ」  のんびりと答える鏡に、若者は目を見張ったまま返した。 「この子、蓮を気に入った? これは、何かの前触れかも?」 「本気で心配するな。あいつ、なんだかんだ言って、面倒見はいいぞ」 「だけど……」  更に何か口走ろうとするセイを、もう一人の若者はにんまりとして、肩を叩きながら遮った。 「焼き餅か? いい傾向だ」 「何だよ、それ」  よく分からない事を言われて、眉を寄せる若者に構わず、鏡は子供に答えた。 「普段はこの時期、行方が分かりにくいのだが、運がいいな。あいつ、謹慎させられている」 「え、そうなのですか?」  玲司が、目を丸くして問うところを見ると、叔父もあの若者を知っているらしい。 「ちとな、あいつにしては馬鹿な事をやって、それが大っぴらにばれてしまってな。自分の住処に、軟禁状態だ」  ちなみに、と鏡は隣に座るセイを、一瞥する。 「こいつも、本当は謹慎中だ。今日は、オレが付き添うと言う条件で、外に出れただけだ」 「……だから、こちらからの連絡でしか、あなたと接触できなかったんですね。何をやらかしたんですか、セイ?」 「……大したことじゃ、ないよ」  口数が少なくなったセイが帰った後、検査でいい結果が出て、晴れて健康になった健一を、蓮と再会させたのは、同じように付き添って蓮を連れてきた、鏡だった。  そして、渋る蓮を半ば脅すようにして、健一の弟子入りを承認させてくれたのも、この若者である。  その時には、鏡も一人の少女の面倒を見ていたので、道連れが出来たと言う感情があったと思われるが、そんな内輪の事情はどうでもよかった。  強くなると言う無謀な夢を、呆気なく出来るようにしてくれた人の身近で、健一は成長していった。  少々、過ぎる程に。
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