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 好きな人の全てを知りたいと思うのは、間違いですか?  目の前のビルの大きなモニター画面が大音量でいきなりそんなことを言った。  水曜の夕方は、少しだけ気だるい雰囲気が漂う。まだ週も前半だという気持ちと、もう水曜かという気持ちの混ざる、とりわけ疲労が溜まる曜日でも、かといって精力がありあまる曜日でもない。  今日夜早く帰れると言って、電話を寄越してきたのは雅貴だった。先週は、外資系のアパレルメーカーと打ち合わせだとかで海外出張に飛んでいた雅貴とは会えなかった。週末しか会えないので、さすがに気を利かせてくれたのかこうして平日に暇をとってくれたらしい。  8時半にハチ公前。指定したのは雅貴。だけど9時になっても奴は現れなかった。  <…まさか忘れてるとかナイでしょ>  しんと大人しいままの携帯を見て、あたしは脂汗を流した。 『愛しているから、止まらない。罪さえ越えてゆく想い。―――金曜夜10時、〇〇系にて放映中』  渋谷でもこんなもの流すようになったんだ、とあたしはぼんやり画面を見つめながら思った。ドラマの宣伝らしい。だが若者が溢れる騒がしい街には、気取ったナレーションも空しく人々の頭上を流れていくだけ。  <…全てを知りたい…ねぇ>  さっきの、不意の問いかけが妙に頭にこびりついた。  そりゃ、知りたい。というより、自分しか知らないで欲しいとか思う。女の知り合いなんて、自分ひとりでいいのになんて、たまに考える。でもその直後、そんな希望は非現実的な空想だと思うのだ。  上着のポケットに入れていた携帯がぶるぶる、と震えた。画面を見ると、発信者は雅貴。 「―――もしもし雅貴? まだ仕事?」 『ゴメン、遅れて。今上がり。まだ渋谷にいる?』 「うん、いる。待ってるよまだ。5秒以内にこないと帰る」 『マジかよ。そこに向かう暇ないから、お前こっち来い。今マークシティの上にいるから』 「ちょ、は? 何言ってんの、雅貴」 『待たせたお詫びに、美味しいモノ食べさせてやるから。じゃ、着いたらまた電話して』  そうしてあたしの返事もほとんど聞かず、電話は切れた。あたしは茫然とした。  <…なにこの扱い>  待たせて悪いと思ってるんなら、迎えに来くるのが普通じゃないのか? なにこの傍若無人振り。  だけど意地を張ってこのまま帰れるほど、強気になれるわけでもなく。  次の日のあたしの気分は、空前絶後に最悪だった。  朝から麻里絵のメールも電話も無視しまくり、授業もサボって部屋で一人ごろごろしてすごした。面白くもないワイドショーを見ながら、今日何度目かの特大の溜め息をつく。  ―――こんばんは、日和ちゃん。  昨日夜、しぶしぶ雅貴のもとへ行くと、そこであたしを待っていた人物は一人ではなかった。思わず足を止めて見とれてしまうような背の高い美人が、雅貴の隣りに当然のように立っていたのだ。  ―――こ、…こんばんは。  ―――ゴメンな、わざわざ。これから彼女とご飯だって言ったら付いて来るって聞かなくてさ。ご飯食べたら帰らせるからそんなにビビんなよ。  ―――ゴメンねぇ、折角のデートにコブ付きで。初めまして、安藤夏子です。田嶋とは同期なの。  でかいコブだ、と隣りでぼやく雅貴の腕を、安藤さんが肘でつついた。そういうやりとりを目の前で見せられて、あたしは何も言えなくなった。なんというか…、おそろしく、お似合いの二人だったからだ。  そして安藤さんのオススメの店に案内され、そこもまた女子大生が寄り付けるような場所ではなく、また向かい合わせに座った雅貴と安藤さんは、先週の海外出張の話で盛り上がり、あたしはほとんど無言でおいしいご飯を食べていた。なんと雅貴の出張に、安藤さんも同行していたらしい。そりゃもちろん仕事だからしょうがないのだけど、あんな美女と海外へ…なんて考えると、当然あたしの気分は落ち込みまくるのであって。  家に泊まっていくか?と、帰りに雅貴に聞かれたが、あたしは疲れたと言ってそのまま帰ってきた。  雅貴がただのサラリーマンじゃないなんてことは、感覚的にはわかっているつもりだった。たぶんこうなのだろう、きっとこういう人だろう、という推測だけの雅貴像に、昨日は少しだけ肉付けをされたという感じだった。  これで全てに肉付けがされた日には、あたしはもうボロボロになっているかもしれない。  日も落ちてから部屋のインターホンが鳴った。  宅配便かと思ってドアを開けたら、なんと麻里絵がそこに立っていた。 「まっ、…まりえ」 「やーっぱり家にいた。しかも何? 昨日メークしたまんま寝たんでしょ! 眉毛切れてるわよ」  何をしに来たのか、開口一番に物凄い指摘が返ってきて、あたしはポカンとした。そんなあたしをどけて、ずんずんと中に入る麻里絵。手には近所の好きなケーキ屋さんの袋を携えていた。 「…もしかして寝込んでると思った?」 「思うわよ、メールも電話も応答なし! 何事かと思って気が気じゃないっつーの」 「…ごめん、まりえ」 「謝るのはいいから。とりあえず元気ならケーキ食べよ。小腹空いてるんだ」  お茶出して、という麻里絵の注文に、素直に紅茶を出してから、麻里絵の斜め前に座った。バッチリメイクの麻里絵の顔を見ると、いかに自分が気の抜けた顔を晒しているかが想像できるような気がした。 「―――彼氏となんかあったの? 昨日」 「…。べつに、なにかがあったわけじゃないけど…」 「じゃあ何? 言ってごらんよ、すっきりできるよ?」  麻里絵の心のこもったいたわりの言葉に、あたしはまた、はぁと溜め息をついた。 「なぁーんかさぁ…、好きになる人間違えちゃったのかなぁとか考えたりしてさ。心臓によくないよ、ほんと」 「なるほど。だんだん見えてきたわ。…つまり、彼氏のすっごい過去を聞いちゃったとか、見たとか、そういうことでしょ?」 「…ちょっと違う。そんなのだったらもっと落ち込んでたかも。昨日ね、ご飯一緒に食べたんだけど、同期の女の人が一緒でさ。それがも…っのすごく美人なの。明るくて気さくだし、デキそうだし、あー雅貴好きそうだなぁなんて思ってたら、どんどんそういう目で見ちゃってさ。同期ってあんなに仲いいもんかな? 平日はよく二人で食べに行ってるみたい」 「…んー。つまり、すっごい不安になってるわけだ、日和は今」  ぐっさり言われて、あたしは思わず情けない声で麻里絵に泣きついた。 「ひ~~~ん」 「確かに、あんたの彼氏は相当かっこいいもんねぇ…。華々しい女遍歴があるんでしょーよ。でもさぁ、過去は過去だし、もしその同期の女と過去になんかあっても、今は日和一スジなわけだし。間違っても、彼氏の携帯なんて見ちゃダメだよ」 「…見るの怖いよ。見てみたいのは山々だけど」 「違うよ、あたしが言ってるのはそういうことじゃなくて。日和は、彼氏の携帯のメモリが女だらけで、怪しい女からのメールがたくさんあるって疑ってるんでしょ? でもさ、実際は彼氏の携帯がシロだったら? 後に残るのは安心感じゃなくて罪悪感だよ。だから疑ったらカワイソウだって言ってるの」  麻里絵の熱弁に、あたしは相槌を打つのも忘れて聞いていた。 「あたしは去年別れた彼氏に言われたもんだよ。"財布と携帯には幸せなんか入ってない"って。これ意味わかる? あたしも言われた時はそんなの浮気を隠す常套文句だとか思ったけど、実際そうだよ」 「…………」 「実際見てみたら納得するよ。でも最初からわかってるんだったら、やらない方がいい。あたしはさ、日和の彼氏はシロだと思うよ? だって日和、最近かわったもん。綺麗になったもん。恋したからってのもあるけど、それだけじゃ出ないオーラが出てる」 「オーラ…」 「そう。"愛されてますオーラ"。そばにいるとねぇ、ひしひしと感じるのよ。月曜なんか特にそう。日和はなんだかんだ真剣に愚痴ってるけど、そんなのね、こっちからしてみたら愛の愚痴にしか聞こえないの。要するにノロケ」  麻里絵の言い様に、あたしは閉口した。そんなまさか。  そこまで言われてもまだ納得しきってない顔をしていたあたしを見て、麻里絵がわざとらしく溜め息をついた。 「…いいわよ、直接聞いてみたらいいじゃない。日和以外にオンナがいるのかどうか。その同期の女はどうなのかとか。それでこじれるような関係なら、日和には本当に向いてない人だってことよ。ったく、変なところで意地っ張りなんだからね、日和は」  それから散々麻里絵はあたしの日頃の行いについてぶつくさ言い、ケーキはしっかり2個も食べて帰っていった。
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