5 ビタミンC

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 ちょっと出てくる、と日和が家を出て30分。  あれから茶々とベッドにもぐり込んだところ、日和はちょっとの間困っていたようだが、しばらくもしないうちにそう言って出て行ってしまった。  茶々が床で腹を全開にして無防備な姿を晒している。  <…怒らせたのか?>  いつもの日和なら土足だろうと俺の上に馬乗りになって起こそうとするはずだが。  シャワーも浴びてしまうと、もう二度寝しようという気分にはならなかった。ねこじゃらしを相手に、変な一人遊びを繰り広げる茶々を見ていると、やっと日和が帰ってきた。 「ただいま」 「…おかえり」 「機嫌直った?」  いつもと会話が逆だ、と思って、素直に返事を返せない。 「どこに行ってたんだ?」 「近くのスーパーだよ。どうせ雅貴しばらく相手してくれないだろうと思って、夕ご飯の買い物してた」  ああ、そう。と、俺は心の中で相槌を打つ。  <完璧に立場逆転してるな>  いつの間に俺の性格をこんなにも理解していたのだか。 「これ。多分雅貴ならこんネのですぐ治ると思うよ」  日和はいったんキッチンに行き、なにやらごそごそやっていたかと思うと、少し濁った炭酸水を持ってきた。 「ペリエにレモン搾っただけだけど。サプリより信用できると思わない?」  と言って、にこりと笑う。さすが女の子はそういう知識に詳しい。 「…。悪かったな、子供みたいなことして」 「あれ? 別に自白剤なんて入れた覚えないけど」  やけに今日の日和は口達者だ。 「日和が体で慰めるような女じゃなくてよかった」  日和は一瞬ぽかんとして、その後我に返って思いっきり俺を殴った。  お前は冗談のように受け取るだろうけど。  それなりに本気で思ってること。  体の慰めなんて、別にどうとでもなることだ。だけど心は。精神は。  <案外思いやりってやつに弱いのかもな…>  赤くなって黙り込む日和を見ながら、俺はぼんやり思った。 「ひよ」  めったに呼ばない名前で呼ぶと、ぴく、と日和の体が反応する。  自然に、自分の中から愛しいと思う気持ちが溢れてくるのがわかった。 「ひーよ」  もう一度、その二文字を囁く。今度は耳元で。 「………体の慰めはいらないんでしょっ?」  口調が少しつっけんどんなのは、単なる照れ隠しだとわかっている。 「慰めてほしいんじゃないの」  あっさりと否定した俺に、日和は意味がわからないというように眉をひねった。が、しばらくしてそれが実はストレートな誘い文句だったとわかったらしく、たちまちかぁぁ、と赤くなった。  <かわいいなぁ>  思わず声に出して言いそうになるが、これ以上赤くさせても困るので、言わないでおいた。  ビタミンCたっぷりの新鮮なレモン水も放っておいて、日和に夢中になっていく。  そうだ、これは慰めなんかじゃない。俺がただ、日和を愛したいからそうするだけ。  日和はハッキリ言って純粋で純朴だと、最近は思う。  外見や雰囲気はそれとはややミスマッチだが、照れ屋で素直な部分を意地っ張りな性格が上手くごまかしているに過ぎない。上手く、かどうかは人の受け取り方にもよるが。  自分が日和の年の頃は、もうすでにあらゆるテクニックを身に着けて武装しまくり、小手先だけで恋愛をたしなむような女がわんさといた。20も過ぎれば、女はそうなるのだ、と勝手に思っていた。少なくとも、日和くらいの年で、オブラートに包んだ口説き文句にすら赤面する女はそうそういないのではないか。  それらのことがわかってきたから、最近は日和の意地っ張りで乱暴なところも愛しく思えてくるのだ。  日和のくびれた腰が、悩ましげにしなる。  びくっ、と何度か不規則に小さく痙攣したかと思うと、汗ばんだ体がベッドに沈んだ。 「…雅貴の…ばかぁ」  突然、うわごとのように日和が泣き声でつぶやいた。 「ハァ? なんで馬鹿だよ。直後に言うな、そーいうことを」  入れたままだったので、まだ形を保っていたソレで二度ほど、体の奥を突っついてやる。 「~~~!! だ、…っからバカだって言ってるのっ!」  必死に余韻を消そうとしているそばから、また新たな刺激を与えられて、日和がやや遅れて言い返した。  <…。わかってないんだろうなぁ…>  いや、絶対わかっていない。そういう悶える姿が、いかに俺にとって危険か。 「…あのさぁ、日和」  テンションも低く呟くと、涙を湛えた瞳が見上げてくる。 「…。抜かずの連発って聞いたことある?」  次の瞬間。  茶々の昼寝を妨害するほどの日和の罵声が、部屋中に響いた。 「あれ、田嶋くん。今日は髪上げてるのね」  月曜日出勤すると、2日ぶりの安藤夏子が、俺の顔を見た途端そう言った。 「あ? あー」  適当に返事して席に着くと、もう癖だと言わんばかりに夏子がイスを当然のように寄せてきた。 「なんでなんで? おろしてると年下っぽくてかわいかったのに」 「かわいくない。もう飽きたから」 「あら! あの女子大生に? それはそれは。よかったよかった」 「…………」  何か勘違いしているらしい夏子を無言で一瞥すると、俺はさっさと今日のスケジュールを確認し始める。  今日もまた都内某所のスタジオで田村課長と顔を合わせることになっている。  <ち。またかよ>  だがもう、どこに忌まわしい一物が出来ようが、問題ない。  即効で治るビタミン剤があることに、今朝気付いたから。
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