lovefool

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 タチの悪い冗談は苦手だ。 「………あの、田嶋さん。それセクハラですよ」  動揺を示してからでは、あたしの注意もほとんど意味を成さない。  コップはほとんどカラだったので、テーブルにはそれほど大きな被害はない。お手ふきでこぼれたジュースを拭き、意味もなく咳払いをしてみる。 「セクハラではないと思うけど。―――だって日和ちゃん、俺に興味あるんじゃないの」 「え、―――は!? だ、誰がそんな」 「さっきから俺のこと探ってるの、バレバレなんですけど」  あたしは何も言えなくなって絶句した。ついでに息も止めてしまった。 「否定しないの? ―――俺、肯定って受け取っちゃうけど」  不敵に微笑されて、あたしは我に返った。思いっきり息を吸い込んで言い返そうとした矢先。 「失礼しまーす。肉じゃがとホッケの開きでーす」  懐かしくて美味しそうな匂いと共に、ウェイターが料理を運んできた。肉じゃがの鉄板が熱いからどうとか、親切に説明してくれた後、ウェイターは笑顔で去っていく。  再び二人に戻った頃には、あたしもタイミングを完全に失っていて、向かいの田嶋さんはあたしと会話する気はもうないとばかりに箸で料理をつつき始める。  <えっと…あたしはどう、言い返したらいいのかな>  たらり、と冷や汗が流れた。  このままではあたしは田嶋さんのセクハラにOKを出したも同然だ。  いや、そもそもこの冗談自体、ただの嘘なんだろうか。本気で言い返すあたしは、ただの馬鹿? 「お腹空いてない? これ美味しいよ」  と、ホッケのお皿をあたしの方に寄せてくれる。  あたしはますます頭の中で唸った。 「…いただきます」  じっとしてたら間が持たないので、お腹も空いていないけど食べることにした。 「俺さぁ、ホッケ初めて食べたの、大学1年の時に行った初コンパだったの」  一人で食べるには大きすぎるホッケを二人でつつきながら、田嶋さんが話を始める。ホッケは脂がのっててとても美味しい。醤油と大根おろしをかけて食べると、空いてないはずのお腹でもパクパクと入ってしまう。 「地元こっちじゃないからさ、俺。実家すごい田舎なのよ。内陸の山奥。魚だって鮭とか鰤とかししゃもしか見たことないみたいな。ホッケが魚って事も知らなくてさ」  店の中は、客も少なくなって静まり返っている。  カウンターの中で何かを切る包丁の音が、自分の家にいるみたいに心地よい。 「コンパに来てた女子大生がそれ知って、すごい驚くんだわ。『えー田嶋くん、ホッケも知らないのー?』て。かなりカチンときてさ。それから俺が実は物凄い田舎者だってイメージ貼られて。以来友人の間でも、居酒屋でホッケ頼むたびに俺は田舎者呼ばわり。言われなくてもホッケが嫌いになったね」  思わず、ホッケをつつく箸が止まった。  それに気付いて、田嶋さんがあたしを見上げ、フッと笑った。 「じゃあなんで今ホッケ食べてるのかって?」 「…うん」 「美味しいから。それだけ」 「………うん?」  肩透かしな答えに、あたしは変な相槌を打った。 「ホッケが嫌いなのとホッケが美味しいのとは関係がないの。中身食べなきゃホッケが美味しいってことを知らないままだっただろ。嫌いでも一度はつまんでみるのも経験だってね」 「…………」  この男は昔話を聞かせて、何が言いたいのかと思えば。  ホッケにのばした箸をテーブルに置いて、あたしは正座しなおした。 「…あの、あたし別に田嶋さんに対して先入観とか否定的な感情とか持ってませんよ。あたしが言いたいのは、なんで初対面の人間にそこまで言えるのかって―――」 「気が向いたから」  あたしの言葉を遮るように、田嶋さんが思ったままを素っ気なく答える。 「今日この店出たらもう会わないかもよ」  どきり、とした。  田嶋さんは気まぐれな人だから、彼がそう言うのならそうなのかもしれない。いやおそらくそうなのだ。使う路線も違う。ましてやこの広い街で、また出会える確率はほとんどない。  <…いや、だ?>  咄嗟に、嫌だ、と思った。 「それでもいいんだったら、それでいいけど」  なんで嫌だと思うのか、それすらも考えられないほどあたしの気持ちを突っ走らせるこの男は、一体なんなのだろう。  真正面からじっとあたしを見つめる、強い瞳。 「―――田嶋さん、あたしのこと好きなの?」  こんなことを聞くあたし自身が、きっともうこの人に落ちている。  あたしにとっては究極の質問に、彼は。 「威勢があって好きかもね」  ホッケと間違えてるんじゃないだろうかそれって。
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