[番外編]Fortune Cookie

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 玄関のポーチに靴を脱ぎ捨て、よろよろとキッチンに辿り着くと、テーブルにスーパーの袋を置く。  どっと疲れが肩にのしかかった。  <つ、疲れた……>  ソファに座り込み、膝を抱えてため息をつく。嵐に巻き込まれて、なにがなんだかと揉まれているうちに嵐が去って行き、一人取り残された気分だった。  ―――やっと黙ったな。  セクハラ発言、というセリフが脳裏に浮かんだけど、恐ろしくて口には出来なかった。ただ怯えた目で彼を見上げることしかできなかった。  本気で言ってるわけじゃないことくらい容易に察しがついたけれど、これ以上何か言っても彼の逆鱗に触れるだけなんだと思うと、もう何も言えなかった。  接着剤で引っ付けたように口を固く閉じているあたしを見下ろすと、もう興味がないとばかりに視線を逸らし、  ―――子供は大人しく家でお母さんの手伝いでもしてりゃいいんだよ。  と、言って、タイミングよく目の前の停留所に停まったバスに乗り込んだ。あ、というまの出来事だった。排気音を轟かせて行ってしまったバスを見送りながら、あたしは彼の言ったセリフがじわじわと心に傷を付けていくのを感じていた。  <…弱いな、あたし>  彼の言葉の端々が、ナイフのようにあたしを切りつけていく。  敵意を持った相手ではないのに、ちょっと冷たいことを言われただけで、何も考えられなくなってしまう。  小さい頃から優しい人たちに囲まれて育ってきたから。自分でもそれがどういうことか、ちゃんと理解していたはずだった。とても恵まれた環境を幸せに思うのと同時に、自分が典型的な『箱入り』なのだということを。  誰か知らない人と会う時、いつも晃平か、晃平でなければおじいちゃんがいた。  自分ひとりで初対面の人と接する機会なんて、ほとんどなかった。もしかしたら誰かと初めて接する時、あたしに向けられる棘の一つや二つあったかもしれない。それはでも全て、晃平やおじいちゃんが盾になって防いでくれた。あたしに、棘の存在を気付かせもせずに。  今回のは確かにタイミングも悪かったと思うけど、あたしの態度も迂闊だったとも思うけど、全ての人に晃平やおじいちゃんのような優しさや思いやりを求めてはいけないのが当然だ。  何かを働きかけたいと思ったり、違う場所へ飛びこもうと思ったら、少なからずの変化とそれに伴うショックは付きもの。  <…守られすぎ、てた>  改めて、実感する。  毎回毎回守ってもらうなんて、そんなお姫様みたいなままじゃ駄目だ。  あたしはあたしで、毅然とした大人になりたいし、ならなければ。  晃平があたしのことを守りたいと思ってくれるその感情が、「弱いから」「小さいから」という理由から起こるものでは悲しすぎるから。  それになにより、晃平を守れるくらいの強さを持ちたいと願うから。  ―――別にいいんじゃん?  それにしてもあの雅貴という人の対応。  <…彼女さん、強すぎる>  いつものことだと、雅貴さんは言っていた。いつもというのが何を指して言うのかイマイチ漠然としているけれど、とにかく彼女が怒っても彼は放っておいているということだ。それでも付き合い続けているってことは、彼女が折れて彼の元へ戻ってくるからなんだろうか。  <彼女さんはそれで大丈夫なのかな…>  もう知らないと啖呵をきっても、知らんぷりしてふんぞり返ってる彼氏。  もし雅貴さんが晃平だったら、ということを想像してみた。 「…。………」  耐えられない。絶対、無理だ。  一瞬のうちの想像なのに、物凄く疲れ果ててしまった。  唸り声を上げてソファに横になると、瞼の裏に強気な捨てゼリフを残して去っていった彼女さんの顔が浮かんできた。  <…早く仲直りできたらいいな…>  火に油を注いでしまったことに自己嫌悪しながら、そんなことを思った。
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