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#8. SIDE : Hina
31. Dec. ――a.m.11 : 20.
まだ知らないでいる晃平の世界に入り込んでいく。少しずつ。
お母さん、重箱は2段でよかったよきっと。
キッチンにある平面という平面に所狭しと並んだ料理や調味料やゴミを眺めて、あたしは心の中で思わず呟いた。
―――3段くらいあった方がゴージャスでいいんじゃない?
あの言葉になんの反論もなく頷いた自分が信じられない。
重ごとの面積はそれほど広くない。これなら3段くらいあっても平気かもと思った自分が間違いだった。少し多めに考えていた料理の品数は、重箱に詰めてようやく足りるくらいだ。そして予想外に時間がかかった。
目の前に並ぶのは、まだ巻いていない昆布巻き、たたきごぼう、海老の旨煮、切っていない紅白かまぼこ、黒豆、数の子、……。
<1の重だけで午前中がつぶれるなんて…>
3の重が詰め終わるのは一体いつになるのやら。
「ひな、…ひーな」
台所の隅の方で棒立ちしていたあたしのところへ、見かねた晃平がやってきた。
朝遅くに起きた晃平は、朝食と歯磨きだけ済ませるとまたベッドへ潜り込み、ノートパソコンを引っ張り込んで何かをカタカタ打っていた。仕事ならてっきり夕方まで出てこないだろうと思っていたのに。
「すごいことになってるな。大丈夫か? 手伝おうか、何か」
この惨事を見られたことだけでも恥ずかしかったのに、素直にうんと頷けるわけがない。
「いや、いいよ! 晃平はお仕事しててよ」
「ほんとに大丈夫? 詰めるのだけでも手伝うよ?」
「いや、でも、まだ詰められるものがあんまりないから…」
「じゃあそれだけでも」
「ううん、いいの。ほんとに」
本当は全然よくないのだが。
「じゃあここで見ててもいい?」
「え? なにを」
「ひなを」
何を言われたのか一瞬理解できなくて、ただ唖然としていると、
「まだ足りないんだけど。本当は」
今度は無邪気に『なにを?』と問いかけるまでもなかった。喉元まで晃平を罵倒する言葉が出かかったけど、それをなんとか飲み込んで晃平に向き直った。
「……あのね、晃平。あたし真剣なの。茶化さないでよ」
「茶化してるつもりは全くないけどね。―――いいからほら、手伝うって」
そう言ってやや強引にあたしの手から黒豆のお皿を取り上げる晃平。その横顔はなぜかとても楽しそうだ。恥ずかしさが前面に出て素直に手伝ってと言えなかったことを、ちゃんとわかっていたかのような横顔。
今度は『ありがとう』が言えずに沈黙していたあたしの肘を、晃平が肘でつついてきた。
「ほらほら。ひなはかんぴょうで昆布巻いて」
「う、うん」
「年越しそばは俺が作るから、明日の雑煮の下準備はお願いな」
隣りに立ってテキパキと料理を始めた晃平の横で、まだまだだなぁとため息をつきそうになるのを堪え、あたしはしみじみと頷いたのだった。
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