100人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
晃平が手伝ってくれたお陰で、夜までかかるかと思われたおせち料理は、三時を回った時点で2と3の重に詰めるだけとなっていた。
普段の料理ならまだしも、おせちなんて日常的に作らない料理までもソツなく作れてしまう晃平って、一体なんなんだろうか。尊敬を通り越して、女として悔しくなってくる。来年は晃平を驚かせるくらい完璧に作りたい、と決意を固めつつ、今は2の重と睨めっこしていた。
それを真正面のイスに座って眺めていた晃平が、ふと思い出したように言った。
「そういえば年賀状出した?」
「え? うん。晃平の分も一緒に出しに行ったけど、まだ残ってた?」
余りものの酢レンコンをつまんで口に頬張りながら、少し首を傾ける晃平。
「いや、まぁ別に絶対出さなきゃいけないって宛先でもないんだけど。もしひなが出し忘れた年賀状があるなら、ついでに出しとこうかなと思って」
「うん、いいよ持ってく。でも今日出しても元旦には着かないよ?」
「ああ、いや俺が持って行くよ。それに、元旦に出しても家にいないような奴らばっかりだから大丈夫」
頬杖をついた晃平の口元が小さく緩む。それに気付いて、
「もしかして、大学の友達?」
「ん。アタリ」
緩むだけだった口元から白い歯が覗いた。
晃平は大学の友達の話をする時、本当に楽しそうな顔をする。楽しそうで、おかしそうな。きっと楽しい大学生活を送ってきたんだろうなと、その横顔を見ていて思う。
晃平が大学生だった頃は、あたしが晃平と知り合って最も疎遠だった時期で、彼がどんな生活をしていたかほとんど知らなかった。仲の良い友達がどんな人か、一人も見たことがない。多分――というより明らかに、晃平の彼女と鉢合わせした時の気まずさが、晃平から遠ざかる要因の大きな一つだったと思う。
幼くて今よりも小さな世界に住んでいたあたしは、自分の知らないところにいる晃平を見ていたくなかったのだ。
そんな自分の我儘を今まで通していたから、こないだのように些細な事で動揺してしまった。
「…晃平の大学の友達って、どんな人?」
指先についた栗きんとんを舌で舐め取りながら尋ねると、晃平は視線をぐるりと一回転させ、
「――そうだなぁ。まぁ一言で言えば、変な奴らばっかりってとこかな」
「えっ、変?」
「俺も相当の自信家だと思ってるけど、更に上を行く自信家もいるし。頭が良すぎて一般人と感覚がズレてるようなやつとか。とんでもなくマイペースで、日本のライフスタイルは合わないって言って海外に飛び出していった奴もいるし、かと思えばガキみたいに意地っ張りで、彼女としょっちゅう喧嘩してるような奴もいる。お前それでも25歳かって突っ込みたくなるような」
事細かに説明してくれる内容がおかしくて、思わず手を止めてくすくす笑ってしまう。
「でも基本的に人間の出来た奴らだったし、俺は尊敬してた。一緒にいて刺激にもなったしな。中学高校の連れよりも、ちょっと別格だな」
目を細めて感慨深そうに言う晃平を見つめて、あたしも小さく頷いた。
「大学の友達がみんな、似たようなタイプってわけじゃない。波長が合う奴も合わない奴も、色々いる。どこで誰と仲良くなるかも想像つかないんだ。何だコイツって思ってたような奴と、半月後なぜか同じテーブルで飲んでたりとかな。お陰であらゆる方面に視野が広がったよ。それだけでも、大学に行く意味はあるよ」
晃平の性格は、小さい頃から今の性格だったわけじゃない。色んな人と出会って、色んなことを感じて、そして今の晃平になったのだ。それを思うと、若い頃の経験はとても大切な意味を持つものなんだと思う。
妙に、今のままじゃ駄目だと自分を駆り立てたい気分になる。
「…あたしも、もっと色んな人と会って勉強しないとなって思った」
「うん? なんかあったのか?」
「うん、ちょっとだけ。こないだね。スーパーに寄った時にちょっとトラブルに巻き込まれて。よかれと思ってやった事を相手に真正面から『迷惑だ』って言われて、そういう事に耐性なかったから、ちょっと落ち込んじゃって」
「誰だよそれ。なんでそんなことになったの」
頬杖をやめて本気で怒った風な声を出した晃平を、あたしは慌てて宥めた。
「あっ、いや大した事じゃないんだって! ――ただちょっと、偶然男の人と話してるところを、その彼女さんに誤解されちゃって。本当に話してただけなんだけど、その二人、売り言葉に買い言葉で両方折れないの。結局彼女さんが怒って帰って行ったから、追いかけた方がいいですよって言ったら、そんな風に言われて」
「……なんでまた、そんな場面に…」
「晃平と同じくらいの年の人だよ。彼女さんが誤解して怒ってるのに、一言も弁解しないんだよ。ただスーパーの中で偶然会っただけって言えばいいのに、それさえも言わないの。わざと誤解させて怒らせるような態度でね、それで彼女怒らせて一人でトゲトゲしてるの。どう言ったらよかったんだろうって、反省してた」
もっと違う言い方、態度を取っていれば、もしかしたら彼を説得できたかもしれないとか。
とにかく、あれから何度もそのことを思い出しては、自分の対人経験のなさがほとほと情けなくなってしまったのだった。
ふと気付けば、晃平の視線が一点で止まっている。
あたしの説明がわかりにくかったんだろうかと思っていると、晃平がこちらを見上げ、
「それ、いつもの葵町駅前のスーパー?」
「え? うん。それがどうかした?」
「あの辺、その大学時代の連れが住んでる。もしかして知り合いだったりしてな」
「うそ! あんなに強気で頑固な人が?」
「俺の連れも強気で頑固で、彼女にちっとも優しくないよ」
そう言って苦笑して、晃平はコンロからやかんをおろして緑茶を入れ始める。二つ並べた湯呑みに交互にお茶を注ぎながら、面白半分に尋ねてきた。
「その彼女、名前呼んでなかったの? その傍若無人な彼氏のことを」
「呼んでたよ。『雅貴』って」
あたしのさらっとした答えに、晃平が口に含んだお茶を吹き出した。
「ちょっと、晃平っ? 大丈夫―――」
慌てて布巾を差し出したあたしの手を握った晃平は、おかしそうな信じられないような、なんとも複雑な顔で見下ろしてきた。
「…まさかだろ?」
最初のコメントを投稿しよう!