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#9. SIDE : Kohei
31. Dec. ――p.m.16 : 24.
手に負えない女こそハマるんだということを、この男は知らない。
車でマンションから一番近い郵便局に行って年賀状を渡すと、俺はその足で駅の方へと向かった。
大晦日の道路は、国道やバイパスを通らなければそれほど混雑はしていない。制限速度よりほんの少し速いスピードで、歩道を歩く人たちを観察しながら車を走らせる。
コンビニ帰りだろうか、山盛りのカップラーメンを詰め込んだ袋を提げた女と、2リットルのお茶や缶チューハイを詰め込んだ袋を提げた男とすれ違う。もう既に出来上がっている風なオーバーリアクション気味の二人を見て、やけに懐かしい感覚に捕らわれる。2人は大学生然としているが、自分は同じような事を高校生くらいでやっていた。
あまり詳しく思い出すと自分が教師をやっていることが申し訳なく思えてくる。深く反省をしつつ車のデジタル時計に目をやった。
ひなには『一時間くらい出てくる』と言ってある。予告通りそれほど時間は取らないつもりだ。
―――は!? 今からですか?
車を駐車場から出す前に、とある人物に電話をかけた。
今のマンションに引っ越して挨拶がてら仕事帰りに飲んで以来、ここ数年、直接連絡を取る機会もなかったのだが、俺が電話をかけた相手――田嶋雅貴は、ついこないだご飯でも食べたかのようなマイペースな口調で『どしたんすか』と言った。確かに用事があるから電話をかけたのだが。
これから少し会えるかと訊くと、六時から出るのでそれまでなら、と答えた。それで俺たちは駅前のスターバックスで落ち合うことになったのだった。
―――だけど天宮さん、さすがですね。強引な時間に強引なお誘い。
笑いながら言うので、後輩なら文句言わずにきけ、とだけ言って電話を切った。
葵町駅前のスターバックスは、大晦日という一番忙しい日であるせいか客の入りは驚くほど少なかった。
レジでホットコーヒーを頼むと、カップを持ってガラガラに空いた店内を見渡す。窓際の二人掛けのテーブル席に、雅貴は座っていた。
「久しぶり」
黒いナイロンのジップアップパーカを着たままの雅貴は、組んだ脚を解くこともなく俺を見上げた。
「久しぶりです、天宮さん」
こいつのふてぶてしさは今に始まったことではない。別に今は先輩後輩でもないのだから、礼儀正しくしろなんてことも毛頭思わない。だが見ていると時々苦笑してしまう。
「相変わらず色男ですね。結婚したんだからそろそろ所帯じみてもいいのに」
掌に包んでいたコーヒーをすすりながら、雅貴はおかしそうに言う。
「自分としてはだいぶ所帯じみてきたと思ってるんだけどな。お前こそそろそろ落ち着いたらどうなんだ」
前に会ったのは確か三年前。
俺がまだ結婚していなくて、雅貴が大学を出て働き出したばかりの頃だ。お互い生活が変わってから以後、全く会っていなかったせいもあるが、三年という月日がもたらした変化に改めて驚く。
「落ち着いてますよ。俺は十分」
そう言って笑いながら視線を伏せた雅貴の横顔。大学の頃より鋭利さが増したように思う。
田嶋雅貴という男を一言で例えるなら、「強くて鋭利な刃物」だ。
山奥の田舎の高校から出てきたと言うが、それが嘘のように体には都会のクールさが備わっていて無駄がない。性格のキツさも自我の強さも譲るところがなく、集団の中にいれば必ず目立つ存在だった。
一度俺が連れて行ったコンパの席で、思ったことを口にする性格が高じて隣りの席にいた女の子を泣かせたことがある。泣かせたにも関わらず、雅貴は平然としてその場にいた。その彼女も傷付きやすい性格ではあったのだが、以来男も女も、雅貴のことを一歩引いて接するようになった。
だけど俺は、そういう環境こそ雅貴の性格を増長させることになるのだと思った。こいつの頭の良さは出会った時からわかっていたし、誰にも侵せないアイデンティティを持っていることを尊敬してもいた。だからどうしても、こいつを放っておくことができなかった。
確かにこの男に集団行動は向いていない。誰かに指図されるのも好きじゃない。適度に距離を保たないと、この男と長く付き合っていくことは不可能だとも思う。大学ではそういう男は大抵輪から外される。だけどこの男は備わってしまった整いまくったルックスのせいで、誰からも放って置かれることがなかった。
そんな奴でも社会に出れば少しは丸くなるだろうと思えば、大学時代以上に近寄りがたい雰囲気を醸し出しているではないか。
「他人に対してとことん優しくないのは相変わらずのようだけど?」
フタをはずしてスプーンでコーヒーを混ぜる。香ばしい匂いが鼻先を漂う。
「誰に聞いたんですか。そんなこと」
「俺の奥さん」
「は?」
それだけ言うと、雅貴は奇異のものでも見るような目で俺を見返してくる。
「なんで天宮さんの奥さんが俺のこと知ってるんですか」
「こないだそこのスーパーで会ったんだろう? ―――ちょっとした修羅場に巻き込んでおいて知らないとか言うなよ?」
かすかにひそめられていた雅貴の眉が、ますます深くひそめられていく。
唖然としたようにだいぶ長いこと口を開いていた雅貴は、ふと我に返ってコーヒーを一口飲んだ。そして意を決したような深刻な顔で、
「―――あの、高校生みたいな女が奥さんだって?」
「みたいなじゃなくて、まだ高校生」
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