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#10. SIDE : Masaki
31. Dec. ――p.m.17 : 32.
俺はもしかして、神様というやつに見張られているんじゃないだろうか?
渋谷行きの電車を8本見逃した。
テーブルの上に置かれたコーヒーカップは既にカラになっている。レシートを丸めて突っ込まれたそのカップの横に、30分前に天宮さんが置いていった小さな包み紙が3個、転がっている。
見るからに、誰かに何かのついでにもらったと言わんばかりにくしゃくしゃの包み紙。賞味期限があると言う位だから食べ物なのだろう。森永でも明治でもない、聞いた事のないメーカーロゴがうるさくプリントされた輸入物のお菓子。
このいかにも安っぽいお菓子、俺もいつだったかもらったことがある。
<中華街だったか、どこだったか>
西海岸を何箇所か回るロケに同行した時、立ち寄った中国料理店の会計時に店員に握らされた。いらないと店員に突っ返すと、「サービスなんだから貰っておけばいいじゃない」と横にいた夏子に言われたので、そのまま夏子に押し付けたという記憶しかないのだが。
<…なんで俺がこんなもん>
別に小腹も空いてない。別段美味しそうにも見えないそれから目を逸らし、テーブルに肘をついて窓の外を眺めた。電車が走り過ぎる音がする。これで9本目だ。
―――俺の奥さん。
<……別人みたいな顔しやがって…>
天宮晃平という男とは俺が大学に入学してからの付き合いになるから、かれこれ7年ほどになる。
俺とたった一つしか違わないくせに、出会った当初19歳だったはずの天宮さんは、すでに世の中の全てを知っている風な迫力と凄みを身につけていて、田舎から出てきた俺としては相当なカルチャーショックを受けたものだ。
―――雅貴、お前ちょっと口を慎みなさい?
完璧と言って差し支えない外見のわりに、中身はどこか三枚目ぶったところがあり(そこが女心をくすぐるとかなんとか誰かが評論していた)、逆にクールぶってないとボロが出そうだった俺にとっては、自然と憧れの存在となっていった。
誘われるがままに色んなサークルを転々としているうち、いつの間にか天宮さんの誘いによく付いていくようになり、それからは割と親密な付き合いが続いていた。俺がイギリスに半年交換留学し、天宮さんが教職課程に進んでからはそれほど頻繁には会わなかったが、俺の中で天宮さんはなぜか他の人間とは別格の存在だった。
だからかどうか、奴の裏の性格にも気付いていた。
誰にでも人当たりがいいくせに、どこかギリギリの誰も気付かないところで一線を引いていること。俺にさえどこか一歩引いているのを感じていた。恋人に対してもそうだったのかどうかはわからないが。
要するにスキのない男だった。
何もかも完璧にこなし、三枚目の役さえ完璧にこなし。自分のことは割りと器用な人間だと思っているが、天宮さんは俺のその上の上の上を行く器用人間だった。どこかで不満が溜まって爆発するのではないかといらない心配を焼いた事もあったが、何が不満で何が満足なのかさえも、俺にはわからなかった。20年やそこら生きてきただけの俺には、天宮さんの人間としての大きさを測り知ることは不可能だった。俺には何十年経っても理解できない境地を持っているに違いない、と結構本気で思っていたのだが。
<……あの高校生が、まさか>
そういえば天宮さんには女が切れたことがないが、女が変わろうとも天宮さんの空気は全く変わらなかった。それを思えば、恋人に対しても一線引いていたのかもしれない。
―――俺にはもったいないくらいの。
<大学時代の奴らが聞いたら卒倒するんじゃねーか>
鼻の下伸ばして…とまではいかないものの、さすがにこちらが絶句するような顔をして言ってのけた。あの、心底幸せそうな無防備な微笑。どこがスキがない男だ。思わず笑いがこぼれてしまう。
―――そうやって素直になればいいのに。彼女の前でも。
天宮さんが座っていた向かいのイスを見つめ、小さくため息を吐く。
別に俺は不器用なわけじゃない。あいつを追いかけることが俺にとって重要なことじゃないと思ったから追いかけなかっただけだ。追いかけられなかったわけじゃない。
追いかけようと思えば、いつでも追いかけられる。だけど俺が追いかけなくても、あいつはいつの間にか俺のそばに戻ってきている。なら、最初からあたふたして追いかけるなんて、無駄な労力としか言い様がないじゃないか?
<―――そのうち帰ってくるさ>
俺がわざわざ呼び戻さなくても。
サークルに面倒な言い訳を作ってまで帰ってきたあいつが、あの一言で二度と戻って来なくなるわけがない。
そのうち。俺が謝らなくても。
「…………」
ならなぜさっさと電車に乗ろうとしない?
<…まだ、時間が早いからだろ>
腕時計はまだ5時半を少し過ぎたところだ。待ち合わせ時間まであと30分もある。ここから電車に乗れば、ほんの10分ほどで集合場所に着いてしまう。だから。
だからこんなカラのコーヒーカップを目の前に時間を潰しているのか、ぼんやりとして。
<うるせーな>
頭の中を巡る声が天宮さんの声に聞こえてくる。うんざりして俺は目の前のゴミのようなお菓子を広げた。両端を捻った紙に包まれたキャンディーのような形をしたクッキー生地のお菓子が出てきた。妙な形だと思いながら、それを一つ口に放り込む。クッキーは中がほとんど空洞になっていて、その中に何やら紙切れが入っていた。
<? なんだよこれ>
危うく飲み込むところだった。取り出して紙を広げてみる。英字で短い文章が書かれていた。
『Be honest, then you'll find the most important thing in your life.』
思わずぐしゃりと紙を握り締めてしまう。
<…どいつもこいつも>
くしゃくしゃになったそれをカップに突っ込むと、苛立つ気持ちを抑えながら席を立った。
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