[番外編]Fortune Cookie

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  #13.  SIDE : Masaki    1. Jan. ――a.m.05 : 59.  何の緊急事態なんだ、親の危篤でもあるまいし。  新宿から運行している仙台駅行きの夜行バスは、渋滞に引っ掛かることもなく時間通りに到着した。  午前5時59分。 ポケットに突っ込んでいた携帯を見て、眩暈がした。  <…頭いてぇ…>  バスから降りると、眩しい朝日が俺の網膜に焼きつくわけもなく、辺りは真夜中のように闇に沈み、時折元旦とは無関係の世界にいるかのような人が静かな足取りでロータリーを歩いていく。タクシーもバスも当たり前のように姿はなく、ロータリーに面しているキヨスクの看板の明かりだけが青々と闇夜を照らしている。朝日の昇る気配もない。  夜行バスに乗っていた客はステップを降りると一様に伸びをし、トランクから荷物を引きずり出し、さっさと改札の方へと歩いて行ってしまう。俺はどこにも行く気になれず、手ぶらのまま近くのタクシー待合のベンチに腰を下ろした。  カラになった夜行バスは、再びエンジンを吹かせてどこかへと走り去った。すると、ますます辺りはしぃんとした。キヨスクの看板の明かりが不健康に眩しい。  2004年と2005年をまたいで運行していたバスの中では、全く眠れなかった。  相乗りしていた乗客のノリが全員おかしかった。お互い全くの初対面だったはずの乗客は、23時頃から隣り同士で和やかに話を始め、0時を回る頃にはどこかから持ち出してきたビールを片手ににわか宴会となった。丁度、貧乏学生が2004年最後のバイトに追われ、ようやく帰省の途についたという佇まいの青年が多く、車内はまるで体育会系の忘年会そのものだった。意地でも寝てやろうという俺を無視して、宴会はインターチェンジを降りるまで続いた。お陰で一滴も飲んでいないのに、匂いと騒音に随分と酔った。  <…なにしに来たんだっけか、俺>  そもそもバスに乗り込む前から記憶があやふやだ。  真冬の早朝の冷気が心地いい。しばらくベンチでぼんやりしていると、意識がだいぶクリアになってきた。  身じろぎすら億劫だったが、ズボンのポケットから再び携帯を取り出して着信履歴ボタンを押す。一番上の履歴には、日和の名前がある。  <今度は何を言いやがるかな>  そんなことを考えながら発信ボタンを押す。  ―――今度は日和が絶句する番だ。  呼び出しコールは5回で止まった。応える声の代わりに、風が吹く音が聞こえる。 「もしもし、日和?」  誰もいないロータリーに、自分の声が小さく響く。 『……もしもし』  電話の向こうの日和は、こちらの出方を窺うように警戒心丸出しだ。 「寝てたか」 『いや、…起きてたけど。何、よ。―――こんな時間に』 「今仙台駅前にいる」  日和が息を止めたのがわかった。嘘でしょ?とも訊いてこない。 「ほんとだぞ。夜行バスに乗ってさっき着いた。仙台の地理なんか全くわからない。迎えに来いよ」 『―――何言ってるのよ、夜行バス? 雅貴が? 今?』 「今」  声の向こうで誰かの話し声が聞こえた。日和のそばに何人か人がいるらしい。―――飲み会の帰りか。 『嘘でしょ』 「嘘なんかつくか。お前が来いって言ったんだろうが」 『嘘だ』 「おい」 『だって、―――だって雅貴がそんな、彼氏みたいなことするわけないじゃない』  携帯を膝の上に落としそうになった。 「……おまえな」 『嘘だよ、本当に仙台までバスなんか体力使う乗り物乗って来るわけない。わかった、スリッパはまた東京に帰ったら引き取りに行くから』 「引き取りにってなんだよ、俺の家で使うやつじゃねーのか」 『いや、そのつもりで送ったけど』 「だったら。―――とりあえず、駅前まで来い。話はそれからだ」 『……いやだ』  眩暈がしてきた。頭を抱えて携帯を握りなおす。 「……ーー日和。いい加減にしとけよ、お前」  長距離移動で消耗していた体力が復活してくると同時に、苛立ちが徐々に募っていく。まくし立てたい衝動を堪えると、やたらと声のトーンが下がった。 『…じゃあ、雅貴があたしのこと探して』  目の前の大通りを、エンジンを改造した乗用車が重低音を響かせて走り去る。  日和の動揺しすぎでイントネーションがおかしくなった口調のセリフから、しばらく沈黙があった。 『嘘じゃないなら、今すぐあたしの目の前に現れて』  日和の声の余韻から、涙の匂いが感じられた。それに気付いたから、通話を切らないでいられた。苛立ちが薄まり、辺りの身を切るような冷気がじわじわと頬や手の甲を刺していく。携帯を握る掌に力が篭る。 「―――泣いてんのか」 『……泣い、てない』 「せめて、人目につかないところで泣けよ」 『人目につかないところにいたら、雅貴、あたしのこと見つけられないでしょ』 「じゃあ人前で泣いてろ」  日和が、う、と返しに困ったような声を出した。既に声は涙に滲んでいた。俺はそれ以上何か言うことをやめて通話を切った。  ポケットに携帯を突っ込みながら、本当に俺は何をやってるんだろうと思う。客観的に自分を見つめられる余裕がある分まだマシかと錯覚しかけたが、ふいに視界に入ってきた『ようこそ杜の都仙台へ』と書かれた看板に我に返った。マシどころの騒ぎじゃない。どころか。  <……予感的中か>  日和に初めて会ったときに感じた、言い知れない不安と嫌な予感。  まだ大丈夫だと見ない振りをしていたのだろう。その「まだ」がいつまで保証された期間なのかも知らなかったくせに。「まだ」と「もう」は背中合わせだ。「まだ」と言っている時点で「もう」なのだ。  だけど俺は知らない振りをしていたかった。勝ったつもりでいたかった。理由など考えるのも馬鹿らしい。  ―――今すぐあたしの目の前に現れて。  東北の冬はさすがに厳しく、凍結したコンクリートには砂埃も立たない。かじかみかけている手で上着の前を合わせると、ベンチを立ち上がった。
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