[番外編]Fortune Cookie

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 賽銭箱にお賽銭を投げ入れてから、二人で並んで手を合わせた。目を閉じた瞬間、斜め上から雅貴の咳払いが聞こえて、あたしは閉じた目を開いて雅貴を見た。風邪の引きかけじゃないんだろうかと心配したけれど、目を閉じてじっと手を合わせている雅貴の横顔に思わず愛しさを感じてしまって、慌てて前を向いて目を閉じた。  <ほんとにこれって夢じゃないのかな…>  神様に手を合わせているくせに、頭の中はそれどころじゃない。  雅貴が、あたしの隣りにいると思うだけで、ここが仙台じゃない気がする。あたしの地元じゃない気がする。 「いつまでやってんだよ」  雅貴の発言のタイミングは、時々あたしの体の色んなところを突き刺す。 「……色々、願い事がたくさんあってね」 「へー」  頭が真っ白にしてはまともな言い訳ができたかと思ったら、この返し。今のあたしに、この雅貴に噛み付く元気なんてあるわけない。未だに動揺を引きずっているあたしに対して、雅貴は既にこの地に馴染んでいるように見える。人の目も気にせずに大きな欠伸をしながら、もと来た道を引き返し始めた。 「ね、ねぇ。これからどうするの? 休めるところに行く?」 「あ? 何おまえ、新年早々もうソノ気になってんの?」 「え?」 「『休めるところ』」  意味深な目つきでこちらを振り向かれて、やっと自分の言った意味に気付いた。ダメだ、本当に今のあたしおかしい。顔が赤くなってしまったのをはぐらかすように、思いっきり雅貴の腕をどついた。 「違うってば! そーいう意味じゃなくて!」 「いってぇ!」 「だって雅貴、ちょっと休んでからでないとしんどいでしょ? っていう意味だよ!」  あたしにどつかれて、本気で雅貴はよろめいている。これじゃまるであたしが怪力女か暴力女みたいではないか。 「いーよ別に。徹夜なんか珍しいことじゃないし」  欠伸のしすぎで、目尻に涙が溜まっている。さらりと言われた内容に、あたしは咄嗟に何も言えない。  何も言えないでいるあたしに、雅貴はまた唖然とすることを言ってのけた。 「お前んち帰ろう」  お前んち帰ろう。思わず頭の中で反芻してしまう。 「………って、どっちの?」  まさか、東京の、とか言わないで欲しい。 「アホか。実家のに決まってんだろうが」 「は?」 「お前だって眠いんだろ」 「え? あ? そりゃそうだけど……でも、実家なんだよ?」  実家には、親がいる。兄ももしかしたら帰ってきているかもしれない。あたしの家族が、普通に家にいる。ということは、雅貴を連れて行くという事は家族と対面させるということではないのか。けれど、そんな意味を込めて真剣に訊いたのに雅貴は、 「だからなんだよ」  まさか眠い頭ではそこまで思考回路が働かないとか。まさかそんな。 「……う、うちの親、うるさいよ?」  苦し紛れに言ったのに、雅貴は気にしていない風に、 「だろうなと思うよ、お前見てたら」 「…………」 「―――イヤなんかよ。俺がお前んち行くの」  どこかの方言が混ざった口調で喋りながら、雅貴は怪訝そうに黙り込むあたしを覗き込んできた。 「いや、そうじゃない、けど」  雅貴の考えていることがわからない。いつも把握できてるわけではないけど、いつも以上に全く理解できない。  わかっているんだろうか雅貴は。東京と仙台の片田舎の文化の違いを。男友達すら家に呼んだことがないのに、これがましてや付き合っている人となると、一体親はなんと勘違いすることか。田舎の家庭に男を連れてくるということ自体、ほぼ決定的にそういう意味を示しているに近いということなのに。  <雅貴だって田舎育ちだって言ってたじゃない。なんでそこまで気が回らないの?> 「あ、おみくじがある」  真剣に考え込んでいるあたしを素無視して、雅貴は「おみくじ300円」と書かれた看板へと歩いて行ってしまう。 「お前もやらない?」  と、六角形の木箱をあたしに渡してきた。何でこの人はこう、いつでもマイペースなんだろう。 「……雅貴、言っておくけど、やめておくなら今のうちだよ」  木箱を揺すりながら低く呟くと、自分の引いたおみくじから目を離さずに「何が」と聞き返された。 「取り返しのつかないことになるよ。多分、今雅貴が考えている以上に」 「少なくとも、今既に取り返しのつかないことをしてるんだけど、俺」  おみくじの内容がなんなのかも言わずに、さっさと近くの木の枝に結び付けてしまう。さっきからあたしは雅貴の方をずっと見たままだけど、雅貴はずっとあたしの方を見てくれない。 「取り返しがつかないんなら、行き着くところまで行くしかないんじゃない」 「行くしかないって……」 「俺は別に、引き返すつもりはない」  早朝の風は冷たい。凍ったような空を少しも動かさない弱弱しい風に、暖かさはない。木箱から出てきた棒を握り締めたまま何も答えられないあたしを、雅貴がようやく振り返った。  その顔はあたしが想像する以上に、真剣だった。 「お前こそやめておくなら今のうちだぞ」  あたしが握り締めた棒の先に刻まれた数字と、小さな引き出しに書いてある数字を照らし合わせて、おみくじを一枚取り出した雅貴は、それを見て小さく吹き出した。 「―――幸か不幸か。『大吉』だってよ」 「…………」 「どうする。嫌ならお前の望みどおり、『休めるところ』に行くけど。ただし俺は本気で寝るけど」  この、究極の二択を迫ってくるくせに本気で「どっちでもいい」という軽さを漂わせた口調は、前にもあった。  ―――今日この店出たらもう会わないかもよ。  出会った日の夜のことだ。終電も過ぎた時間に立ち寄った居酒屋の席で、帰りの道端で。  あの時も雅貴は本当に眠そうな目で不機嫌全開だった。あの頃から変わらないマイペースさと口の悪さ。本当にあたしのこと好きなんだろうかって今でも疑ってしまうことがあるけれど、それでも雅貴は、どんなにあたしがひどいことを言っても離れて行かない。それどころか、こうして仙台まで、来て。 「……どうせ休むなら、家で休もう」  長い沈黙の後、ようやく答えたあたしの言葉に、雅貴の顔が一瞬だけ、少しだけ緩んだ気がした。次の瞬間いきなりくしゃみをしたので、それが本当か見間違いかまでは判別がつかなかったけれど。 「まぁ、すぐに休めるとは思えないけどな」  それは、あたしの親に挨拶しなければということを言いたかったのかどうか。  またはぐらかされるのが嫌だったから訊かないでおくことにした。今なら、どんな勘違いも許される気がしたから。  ―――俺は別に、引き返すつもりはない。  どうか今年も、その先もずっと雅貴の隣りにいるのがあたしでありますように。
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