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それから1時間後、あたしの両親からようやく解放された雅貴は、勧められた客室に引かれた布団に横になるとあたしに「おやすみ」も言わずに寝息を立て始めた。あたしはもう怒る気にもなれずに、その無邪気な寝顔を封印するように襖をゆっくりと閉めた。後ろにいたお母さんが呆れた顔をして、
「あんた、あとで覚えてなさいよ」
とだけ言うと、問答無用の足取りで台所へと歩いて行ってしまう。赤いハンテンの背中が怒っている。
<……なんであたしが怒られるのよー!!>
ここが東京のマンションなら、今すぐにでも最悪の機嫌であろう雅貴に馬乗りになって叩き起こして怒鳴りつけているところだ。
本当は、雅貴が仙台に来てるって電話が掛かってきてから、色んなことを考えてたのに。会ったら最初に何を喋ろうとか、ゴメンって謝るべきなんだろうかとか、スリッパを送った理由とか、本当にいろいろ。
なのに雅貴はあたしがそこにいるとも知らずに大声で名前を叫んで。久々に聞いた雅貴の肉声が自分の名前だったことに涙が出るほど嬉しくなって、もう話すことなど何もないような気がして。
<……やっぱり、負けてる…>
―――日和!!
寝不足のだみ声でこんかぎりの声量で叫んだあの三文字が、会いたい、に聞こえた。
本当の雅貴はそんなことを思って叫んでなどいなかったと思う。だけど、素直に会いたいという気持ちを認められる人じゃないから。あたしは彼の言葉の余韻から、行動の端々から、彼の心の奥を感じるしか方法はない。
だとしたらあの苛立ちに満ちた叫び声が、彼にとっての最高の愛の言葉。
自分の部屋がある2階への階段を上がりながら苦笑してしまう。つくづく、不器用な男。いつだって勝ち誇ってる男が突然400キロもの道のりを徹夜で越えて会いにくるのだから。
結果は負けだらけでも、本当のところは、勝ってる瞬間もあるのかもしれない。
<……あ、そうだ>
雅貴が起きたら、おみくじは何を引いたのか聞かなくちゃ。
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