lovefool

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   日和は、俺の言葉をさらさら信じる気はないようで、最後まで憮然とした顔をしていた。  <…失敗した>  口説く相手を間違えたと思う。  寝たいだけだと単純に言い切れるならまだよかった。それだけじゃないかもしれない、と思うから、余計に気分が滅入ってくる。挙句、めったに口にしない「好きかも」なんて言葉が、ますます俺を追い詰めた。  もう嫌。こんなのは俺じゃない。  さっさとタクシーを拾って帰ろうとした俺のジャケットを、後ろから掴まれて立ち止まった。  振り向くと、日和がまた憮然とした顔で俺の腰の辺りを見つめていた。 「…なんだよ。タクシー代払ってくれんの?」  さっきの飲食代は、日和に奢らせるなんてことはもちろんなく、遠慮する日和を無視して全額払った。まぁほとんど食べてなかったのだから当たり前だ。 「…。―――どこに住んでるんですか?」  暗い駅前は、青白い街灯だけがチカチカと狭い道を照らしている。店の近くの街灯にたかった小さな虫が、蛍光灯に当たってチッ、チッと音を立てる。しっとりと湿気を含んだ夜風が、少し熱い頬を撫でる。  眠気が猛烈な勢いで襲ってくる。すこぶる不機嫌な顔をしているのが自分でわかる。暗がりでなければ、日和はビビってしまっていたことだろう。 「品川」  答えてから、そういえば嘘をついていたことを思い出す。  案の定、日和は「えっ」と驚いた声を発して俺に詰め寄った。 「だ、―――え!? さっき田嶋さん、ここから近いって…っ」  <あー…失敗>  別れ際にこの失敗はタブーだ。どう取り繕うかと一瞬頭を働かせたが、すぐに面倒くさくなる。 「…嘘だよ。冗談」 「嘘? どっちが?」  日和の戸惑った問いに、俺ははた、となった。どっちが? 「それは日和の判断に任せるよ」  もしかして痴漢から助けたことを笠にセクハラしようとしていたと、本気で思われているのだろうか。冗談じゃない。そこまで女に執着できるほどの性格でもないし、それ以前に困っていない。  <ああ…やっぱり助けるんじゃなかった>  暗澹とした気分で、俺は踵を返した。じゃあな、と言って歩き出す俺に、また日和が声をかける。  今度はなんだと思って振り向くと、いきなり日和が叫んだ。 「さ、さっきの、―――冗談だったんですか?」  またそれか、と思って、俺はため息をついた。 「…さぁ。冗談に聞こえたんならそうかもな。信じる信じないは勝手だよ。初対面同士で冗談か本当か、実際どれだけ信じられるかなんてたかが知れてる」  彼女が信じれば、それは本当になる。だけど信じなかったら、嘘で終わるだろう。  俺と彼女の繋がりは、ここで一切なくなる。  素っ気なく言い返した俺に、日和が困ったように俯いた。  <…あー。ったく>  カバンを持つのさえだるい手を、上着の内ポケットに突っ込む。取り出したのは、営業に当たる時に出す社名の入った名刺。ケースから一枚取り出して、それを日和に手渡した。 「それが俺の会社。まだ何か言い足りないんだったらそこに連絡して」 「…田嶋、さん」 「とりあえず俺は眠いの。じゃあな」  ぽかんとした日和を残して、俺は歩き出す。そんなことを言われて、連絡を寄こす女などいないこともわかっていながら。
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