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「未知のトンネル、こんなに早く来るとはね」
「そうですね。良い感じの錆具合。エモきゅんパラダイスですね」
「え、えもきゅ……」
「先輩の困るところが見たくて言いました」
なにそれ、と笑うと彼も笑った。冬の鈴の音のような聴き心地だ。
斜陽が刺さる。線路が赤い。
長い髪を結ったリボンが、ふわふわ揺れていた。愛らしい、という言葉がお似合いだった。
「あとはこの線路の果てまで、たどり着けるかどうかです」
「そうだね」
「今日は先輩とずっと一緒にいれて楽しいです」
──あ。この感じ。
俯くと、今の自分の靴が、昔履いていた自分の小さい靴と重なった。
認めて欲しくて、必死に足掻いていた時の自分。
親の手を初めて握って、トンネルを抜けてお祭りに行った。
「良い子だね」
今でも覚えてる、あの言葉。
初めて褒めてもらえて、期待してもらえて、僕はそれが何より嬉しかった、のに。
途中で人混みの中はぐれた僕の手に、温かさが戻ることはなかった。
地面の冷たさ、感覚。
時間が経つごとに理解していく、自分の存在価値。
ずっと待ってた。
ずっと待ってたんだよ。
心から望んでいた幸せは、頑張ったって手に入らない。その気持ち分、全部失って、全部無駄になるんだ。
だから空虚で心を守っていたのに。
「……先輩?」
君の存在が夕陽にのまれていく。
「…………先輩」
無防備な心では、今が幸せの絶頂だと、簡単に感じてしまって。
────失うのが、辛くなる。
「せんぱい」
「ッ」
瞬きをしたら、君は僕の瞳を見つめていた。
あの頃とは違った。気が付いてくれた。
君の感情の瞳がそそがれていた。君が僕を透明だと言った時の瞳。
君がここに居るのだと、確かに実感して。
「……終わりたくない、よ」
途端。どくどくどくどく、と、全身血が巡りはじめる。
透徹の水面は、君にそそがれた感情のせいで今崩壊した。
降りつもった物はやはり君のものだった。目元をつたって最高密度で溶けだしていく。あたたかい、とただ感じた。
「終わりたくないよ、やだ、やだ、どこにもいかないで」
あの頃言えなかった言葉が、君の前だとぽろぽろ溢れ落ちる。彼の元へ走った。どこにも行かないように。置いていかれないように。
「……ここにいますよ」
君の声はどこまでも優しくて、耳にすうっと馴染んでいく。
「僕の感情に、意味なんか、ないと思ってたのに。もう、手遅れなのに!」
待ってと言って待ってくれる人なんていなかった。間違った事をしても叱ってくれる人なんていなかった。良い子にしてたのに、頑張ったのに、雨が降っても迎えなんて来なかった。
力強く抱きしめられた。
涙はなぜか止められなかった。
「……好き、だよ。すごく、すごく、」
「君の髪が好き、君の声が好き、君の瞳が好き」
「……君のことが、好き」
「先輩の瞳、ちょっと変わりましたよね」
「えっ」
線路の果てで座り込んで話していたら、不意に彼はそう呟いた。
「うーん。空虚な透明から、何か、満ち溢れた透明色に。言うならば愛」
跳ね上がった。
「……ぼ、くは、君の瞳が愛だと思っていたんだけど」
「……じゃあ俺が満たしちゃったってことですか⁉︎」
きゃー、と君は頬をおさえた。あいらしい。
「そうですか、えへへ、そうですか」
満ち足りた笑みで君は僕に抱きつく。僕の心臓の音、あんまり聞いてほしくないんだけど。
「愛してますよー、せんぱい」
「君は最初から、僕をまっすぐ見ていたね」
「一目惚れですもん、運命かと思いました、透明で虚ろで綺麗で、ずっと見てたかった。閉じ込めたいって思っちゃうくらいでしたけど、やっぱ自由に動く先輩が良いんですよ」
「……閉じ込めてほしかったなあ。何なら今閉じ込めてくれたって良い」
抱きしめ返すと、彼は僕の頬をひっぱった。
「だめでーす、警備の人に怒られちゃいますよ、こんな所にずっといたら」
線路の上の石がはじけた。乾き切って染みついた赤色の石。君の色の石。
「……怒られるの、僕だけだし。いいでしょ、別に」
拗ねてみると、複雑そうな顔が返ってきた。感情の応答。これ以外に何もいらないんだ、僕は。
「……んーもぅ、愛してます、愛してますよ、先輩」
「僕も」
「花とか持ってこないところが、先輩の良いところですね。俺、同情はごめんだったんです」
「そうだと思った」
透明な僕の頃から好きでいてくれたんだ。同情の類が苦手そうなのは、何となくわかっていた。
「……ね、ほら、そろそろ帰りましょ。もうすぐ日が暮れちゃう。トンネルまでなら見送ります」
「僕のこと待ってる人は、ここにしかいないんだよ」
「明日学校、また行きますから」
「嫌だ」
空が紫に霞んでいく。君の姿も霞んでいく。怖くなって、手を伸ばして。
「僕も、そっちにいきたい」
本当は人類なんて滅んでない。だから誰もいない海にはまだ行けなかったのに、君は今日ここに僕を連れてきた。
つまりそういうことだろう。
「……人に噂されるの、好きじゃなくて。避けてたら、この世から忘れ去られるのも早くって。結局、先輩といれる時間が短くなっちゃったのは、悔しくてたまりませんけど」
心臓の音は聞こえない。
「けど、」
ぐっ、と君は唇を噛む。
「…………あぁ、俺の後、ほんとに追ってくれるんですか。先輩」
悲しげに、悲しげに、でも少し安心したかのような声で、彼は問うた。
「……うん」
抱きしめた感覚もなくなっていく両腕で、彼の降りつもった感情全てを、こぼさないように大事に抱える。
「お互い死んだら、まだ一緒にいれるんですかね」
「わかんないよ、それはね」
苦く笑った。ああどうして、こんな手遅れな状態で、君に染められてしまったんだろう。
「でも」
続ける。
「君のいない、感情に意味のない世界は、ひどく寒いから」
君は何も言わずに微笑んだ。
君のおかげで、僕は寒いと気付けるようになった。
君のおかげで、僕の透明は、空っぽじゃなくなった。
胸が熱くて、視界がぼやけて、仕方がない。
全部君のおかげだ。
口付けをした。
それからずっと、目を閉じていた。
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