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「――ハッ! 僕は一体……?」  寝不足だったこともあり、どうやらあのまま何時間も眠ってしまったらしい。  壁の時計を見たらもう五時になっていた。 「あ、パパおきた! おはよー」  声にふり向くと、(はな)がカーペットの上に正座して洗濯物をたたんでいた。まだこんなに小さいのに、ちゃんと家事を手伝っている、えらい……キュン。胸をときめかせつつ、僕は娘に聞いた。 「花ちゃん、ママは?」 「んーとねー、おそとからかえってきたら、おなかイタイーってなって、トイレにいるよ。ママねー、れいぞうこのアイスぜんぶたべちゃったんだよ!」 「え!? あのお取り寄せした高いアイスを!?」  冷凍庫にしまっていた高級アイスは十二個パックだ。それを全部!? そりゃお腹も壊すだろう。  どうしよう、トイレに様子を見に行こうか。下痢止めと白湯(さゆ)を用意した方がいいかな?  そう思って立ち上がった僕は、ふとテーブルの上に置いてある紙に目を留めた。あれ、これは…… 「り、離婚届!?」  美和(みわ)の字でしっかりと書きこまれ、印鑑まで押してある。そしてその横には置き手紙が。 『花を連れて実家に帰ります。さよなら』  僕の意識がオルボワ~ル♪ している間に妻が僕にオルボワ~ル♪ を!? どどど、どうしてこんなことに!?  離婚届の上には、美和の結婚指輪が置かれていた。僕は反射的に自らの左手薬指を見る。やっぱりない……そうか、僕が指輪を失くして朝帰りなんてしたから、美和はお腹を壊すほどアイスをヤケ食いしちゃったのか。  美和は美人で可愛くて最高の伴侶(はんりょ)だが、ちょっぴりあわてんぼうのうっかり屋さんなのだ。早く誤解を解いて安心させてあげなくては!  僕はトイレまで走った。扉ごしに謝罪と弁明をするために。互いをへだてるドアがある限り背負い投げを食らう心配もないし、善は急げだ! 「……んッ!?」  ところが、僕は洗面所の鏡に映った自分を見て急ブレーキをかけた。 「な、なんだこれは!?」  顔にラクガキされている。「アホ」「浮気男」「スケベ」「ゆるさん」とマジックで書かれた罵倒(ばとう)の数々。そして前方のトイレからは呪詛(じゅそ)のようなうめき声が聞こえてきた。 「うぅぅぅ痛いぃぃぃ! (ひとし)めぇぇ……! 絶対許さないぃぃ!!」  ドンッ! とトイレのドアを殴る音。ひいっ、物騒な方の壁ドン!  ザーッと水を流す音がして、美和がトイレから出ようとしているのがわかった。どどどどうしよう! ここまで怒っている妻は初めてだ。さすがに怖い。僕はとっさに背を向け、脱兎(だっと)のごとくその場から逃げ出してしまった。 「あわわわ……ッ!」 「パパどうしたのー?」  リビングまで戻ると、花が変わらず天使のようなたたずまいで洗濯物をたたんでいた。僕は陸上選手並みの走りで娘の横を駆け抜けると、奥の和室にすべりこんで(ふすま)を半分閉めながら言った。 「花ちゃん! パパはここに居ない! ママが来てもパパが居るって教えちゃダメだよ!」 「パパ、かくれんぼするの? はなちゃんはねー、しりとりのほうがいいな。パパ、しりとりしてあそぼうよ!」 「い、いや、花ちゃん。あのね、今それどころじゃなくて……」 「きょうはパパがねてて、ゆーえんちいけなくてつまんなかったんだもん。ねーパパ、はなちゃんとしりとりして!」 「わわわ、わかったから!」    美和の足音がこちらに迫っていた。僕は急いで娘を抱きかかえ、和室の襖をパタンと閉めて身を隠した。
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