生きるには

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 雨から始まった私たちの一週間は、始まりこそ荒れはしたが、その後は驚く程に穏やかだった。ホテル代が惜しいからとカラオケのフリータイムに出たり入ったりして何泊かを過ごし、夜間は閉鎖され侵入禁止になっていた公園のフェンス前でコンビニの冷えたパスタを食べたこともあった。せっかくあたたかく温めてもらったコンビニ弁当やパスタも、食事ができる場所を探している間に冷えきってしまうのだ。  時間を持て余したある日の夕方には都庁に登り夜景が綺麗に見えるまで時間を潰したりもした。上から見る新宿、東京はまるで血管のように道路が張り巡らされて、赤やオレンジに光っている。車で作られた列が血液のようにだくだくと循環していた。 「なんか血管みたい」 「いいね、それ」  スマホを構えながら放った私の言葉を聞いて楠太朗は恥ずかしげもなく褒めてきた。この頃にはさほど探されている様子もないと分かってきて、スマホに電源を入れる回数も増えてきていた。何枚かずつ撮り溜め始めていた旅の備忘録にここからの風景も入れようとシャッターを押す。角度を変えて何枚か。本当に綺麗だ。 「伊世はさ、ずっとそのままでいてね」 「どういうこと?」 「一度でいいから伊世の見てる世界がどんな世界なのか見てみたいな」  全然意味が分からないよ、と言うと楠太朗は笑って東京の街を見下ろした。手を伸ばさなければ眼前のガラスを突き破ってでも飛び降りてしまいそうな横顔に、良くない意味でドキッとする。どうしたらいいだろう、この数日間ずっと不安定な楠太朗をどうしたら落ち着かせてあげられるだろうか。 「ここ降りたらさ、どっか公園行こうよ」 「寒いよ〜?この時間だと開いてるところも少ないし」 「動いてれば大丈夫だよ、今日暖かいしさ。大きな公園なら開いてるとこ、見つかるよきっと」  少し強引に誘う公園デート。デートと言うには突拍子も無さすぎるけれどそれでいい。イレギュラーにはイレギュラーをぶつければ、多少強引でも何とかなりそうな気がしたから。  無責任な憶測で楠太朗の手を引き都庁から降りて近場にあった広い公園のベンチに荷物を下ろした。久しぶりに両手が空いて楽しくなる。良かった、ここが開いていて。誰もいない公園で駆け出した私を見て楠太朗は何もせずに笑っていた。 「ねえ、鬼ごっこしようよ」 「いいよ。伊世が鬼ね」  私の勝手すぎる提案から始まった鬼ごっこ。誰もいない夜の公園でふたりくるくると広場を回る。息を切らしながら追いかけ合うのは楽しかった。呼吸が荒くなるたびに思考は緩んでいく。何も考えなくても良くなって、相手を追いかけることだけを意識した。 「待って待って、タイム」  先に根を上げたのは楠太朗。膝に手を置いてハアハアと息を整えている。息を整えることに必死になることで多少の考え事は飛んでいってくれたようで、ほんの少し楠太朗の表情も明るかった。良かった、少しは役に立てたかな。 「星、凄いね」 「本当だ。こんなところでもここまで綺麗に見えるんだね」  私に促されて空を見上げた楠太朗は空と目を合わせたままでゆっくりと歩いた。それを見て私は楠太朗こそが星のようだと思った。自ら光り輝き燃え消える恒星、そんなことを思わせるような儚さが今の楠太朗にはあった。 「楠太朗、生きたい?」  私の問いを楠太朗ははぐらかす。 「答えてよ」  へらへらと笑ったまま空を指さして「オリオン座」とだけつぶやきこちらを見ない。 「ねえ、楠太朗」  こっちへ歩いてきた楠太朗はいつも以上に私の頭をくしゃくしゃと撫でてベンチへ戻って行った。今日、ここで朝を迎えさえすればその夜にはバスに乗れる。寒さに凍え雨に怯える生活もあと少しかと安堵し、同時に少し寂しくもあった。不便だったけれど楠太朗とふたりきりの新宿の夜はすごく楽しかったから。でも早くここから楠太朗を連れ出さないと、そうしないと楠太朗はきっと。 「一週間、長かったけどあっという間だったね」 「伊世とならずっとこんな感じなんだろうね」 「なにそれ、うれしい」  柄にも無く照れながら、だから、だからこの時私は楠太朗の顔をしっかりと見れていなかった。この時どんな顔をしていたかきちんと見れていれば結果は変わっただろうか。いや、きっと何も変わらない。楠太朗が楠太朗である限りいずれああなる運命だった。私になんて止められる訳がなかった。仮に止められたとして、今の私にそれが出来なかったなんて認めたくなかった。
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