夜行バスとその先で

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夜行バスとその先で

 ようやく乗れた夜行バスの中、楠太朗に寄り添って眠るこの時間だけは世界で一番やさしくて、確実で。ここでなら安心できると思った。  全員が寝ている間、カーテンを少し開けて外を見ればもうそこは私の知らない景色。次々に流れていく景色が今までの私を置いていく。バイバイ、新宿、さよなら、みなさん。  さっきまでの安心はどこへ消えたのか、速いスピードで進むこのバスの行く先がふわふわと不確定なもののように感じられ、ふとこれからのことを考えるのが怖くなって私も周りに合わせ微睡みに身を委ねた。スー、スー、と誰かの呼吸音が聞こえてくる。狭い座席で寝返りを打つ衣擦れの音。イヤホンから微かに漏れ出るスローテンポな音楽。ズーー、とノイズを走らせ続ける高速道路の、音。それらをまるっとまとめて、眠りの塊が高速道路を駆け抜けていく。ずっとずっと、どこか遠くまでと願っていた。それがやっと今日、具体的な目的地まで。やっとだ。  急停車のように感じた大きなブレーキの後にアナウンスが流れる。目的地に着いたことを示すアナウンスが繰り返され、次から次へと降りる人達に圧倒され、全ての順番を譲ってしまった私たちふたりは最後にバスを降りた。  トン、と足音が鳴って知らない土地へと足を踏み入れる。楠太朗にとっては地元でも、私にとっては未知の場所。空気も音も、もちろん見た目も違っているこの場所に五感全てが反応している。  明け方のツンと鼻を通る冷たい風は新宿よりも、心做しか暖かかった。ここはこの県の中では都会なのだと楠太朗が教えてくれた。それでも歩いている人はポツポツとまばらで、新宿のような安心感はあまり無かった。人が多すぎて億劫だと思ったタイミングなんていくらでもあったのに今では少し心細いと思ってしまう。 「人、全然居ないね」 「東京とは全然違うからね。端に行けばもっと少ないよ」  降ろしてもらったキャリーケースを握る楠太朗の横顔は少し楽になっているようで、よく眠れたからなのかここに戻ってこれたからなのか、また別の理由なのか、聞けないまま後を着いて行った。  聞かせてもらっていた話だとバスが止まった大きなターミナル駅で楠太朗の友人と待ち合わせをしているという。ファストフード店で暖を取りながらその人を待つ。モーニングセットに手を伸ばすけれどうまく喉を通らない。緊張していて、どうにもならない。どんな時でも食べられるこの私が、だ。事前に会うことは教えてもらっていたけれど、いざ会うとなるとさすがに緊張する。 「楠太朗!」  通勤前の客で埋まっていた店内でカウンター席に座っていた私たちに後ろから声がかかる。無論、私たちにというよりは楠太朗宛の呼び声ではあったけど振り向けばその女性はこちらを向いて深々とお辞儀をしてくれた。  軽く挨拶を済ませ、近くに止めてあるという車に乗り込んだ。知らない人の、知らない匂い。変な芳香剤の類は使われておらず、恐らく喫煙者でもない。他人の車に乗るとすぐに酔ってしまう私はホッとした。 「あ、私のことはしーちゃんって呼んでね」  楠太朗の知り合いとは聞いていたが女性だとは思っていなくて、それが思いのほかショックだったのか人見知りが終わらない。「あ、はい」とだけ返事をして夜行バスよりも目線が低い窓の外を眺めながら頬杖を着いた。楠太朗としーちゃんと呼ばれる人物は高校の同級生らしく、久しぶりの会話を弾ませていた。 「伊世ちゃんはこいつのどこがいいのー?」  突然質問が降ってきた。 「え、あ……全部です」 「そっかあ。いいね、全部」  一言で全てを肯定された気がして懐いてしまった。恥ずかしい、馬鹿みたいだ、と思い寝たフリをした。目を閉じ窓側に身を寄せ小さくなる。こんな狸寝入りきっとバレている。それでもいい。恥ずかしくて、たまらなかった。認めることは恥ずかしいけれど、この一言をきっかけに私はしーちゃんに懐くようになった。  この車の行先はショッピングモールで、久しぶりの明るく広い場所に心が踊った。今着ている服が薄汚れてしまった安物だということを除けば久しぶりの外的要因としての「楽しい」だった。  楠太朗といれば楽しいからそれで満足だったけれど、ヒョイと「楽しい」を放り投げられてしまえばキャッチする他ない。  楠太朗も友人と会えたことで少し落ち着いたのか穏やかな表情に戻っている。良かった、何かの勘違いだったのかもしれない。私が「生きたい」と言い出してからずっとその表情は曇っていたように感じていたから。それが気のせいならどれだけいいか、そう思った。 「楠太朗、楽しいね」 「ね。こういうのも久しぶりだし、なんか眩しいや」  笑う楠太朗に、胸から肩までがギュッとなる。良かった!
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