夜行バスとその先で

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 それからの私は自分でも驚く程に頭の回転が早く、まるで今までの自分とは違う思考回路を使っているみたいだった。立ち止まることをせず、やらなければいけないことに片っ端から手を付けていった。  まずは自分の口座に残っていた十数万を下ろし一番近くの不動産屋へ向かう。今更居場所がバレたってまた逃げればいいだけだ。それに、もう探されている様子はすっかり無くなっている。足を動かしながら考える。こんな度胸、今までだったら絶対に無かったのに。楠太朗と一緒だった時にも、こんなふうに思い切りが良ければ、そうすれば楠太朗と一緒に向こう側へと行ってあげられたのに。ついそう考えてしまう。今更後悔しても意味が無いのに。 「すみません、これで住める部屋今すぐお願いします」  驚いた顔の受付係は数秒で顔を切りかえ、何か事情があるのだと察して一緒に家を探してくれることになった。自分の娘と同じくらいの歳だったから何としてでも力になりたいと思ったのだと、後に内覧に向かう車の中でその人は語ってくれた。  何件か内覧をした末に私が選んだのは毎月三万円あれば足りる安くて古いワンルーム。バストイレ共用、小さなキッチン。それだけあれば充分だった。立地も不動産屋さんが必死に探してくれたおかげで僻地へ引っ越すことは無かったし、無理を飲んでくれて即日住めるようにもしてくれた。  周りにはある程度お店があって、バスなどの公共機関さえ使えばどこへでも行けた。どこへでも。楠太朗とだったらどこへでも行けるはずだったのに、ビルの屋上から飛ぶことも、手を繋いだまま海の中へ消えてしまうこともできたはずなのに。  今では私は、私一人でこんなところからどこへでも行けてしまう。そんな皮肉が、あの日の二人を濡らした雨のように大粒のまま冷たく降ってくる。そんな感情の雨に引っ張られ、気を緩めばすぐにでも出てきてしまいそうな涙。でも、こんなところで出す涙はもうない。あの海で泣き腫らした時に涙は枯らしてきたんだから。 「今日から、ここで一人」  ギィ、と音を鳴らす古いドアを自分だけの決意と共に開く。  部屋を暗くしたまま、近所の量販店で買って運んできた一枚のシングル布団をワンルームの真ん中に広げ横たわった。  楠太朗と海を見ていた時に高く登っていた陽はもうすっかりと傾いていて、布団に気を取られカーテンを付ける暇もなかった質素な部屋はワンルームのわりに広く広く感じた。暗さのせいで窓の外まで部屋が広がっているように感じる。身体の疲れに身を任せて目を閉じれば、あの日都庁から見た、動脈のように走る高速道路が焼きついて離れない。一人、布団の中で身を縮める私の背中には本来伝わってくるはずの熱は今はなくて、あの日布団の中で二人背を向け合って眠った時にもっと楠太朗に手を伸ばせば良かったと後悔した。向き合って、抱きしめ合って、もっと近くで。それだけじゃない、もっとたくさん話をしていれば良かった。もっときちんと顔を見て、そしたら。 「はあ、ダメだな」  ゴロンと寝返りを打ち仰向けになれば、いつか見た月が部屋の窓から少しだけ顔を出してこちらを上から眺めていた。  うだうだと止まることのない後悔に読点を打つため、少し暖かくなり始めた布団から這うようにして出た。  ギィーー  煙草だけを持って外へ出る。これからどうやって生きていこうか、そんなことは今はもう何も考えたくなかった。ゆらゆらと登る煙のようにどうにでもなればいい。ふらふらと、知らない街の夜を歩いた。
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