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ただいま
ようやくバス停三つ分を歩ききり会社の最寄り駅に着いた私は溜め息をついた。また、風につられて思い出してしまった。あの頃のこと、あの日のこと、あの人のこと。思い出してしまえば頭は止まってくれない。断片的だった記憶がひと繋がりになって映画のように上映されていた。
地下鉄の改札を抜けホームへと向かう。そういえば一緒に地下鉄も乗ったっけな。またひとつ、記憶が繋がった。少しでもノイズを増やして、あの頃を消すためではなくあの頃から離れるために、イヤホンを耳に付けた。
ヒリヒリと肌で他人を感じつつも内からピタリと穴を塞ぐようにして小さく私を守るこの静かな音楽が体内に満ち満ちて。あの時食べたラーメンは泣くほど美味しくて、あれを超えるラーメンは未だに食べられていない。
今、私がこうして生きてるのは何故だろう。地下鉄で満ち満ちて安心し緩んだこの思考のまま地下鉄は私をそのまま置いていく。もう疲れて何も考えられない。良い、考えなくても。置いていかれてしまおう。そのまま寝過ごさないようにただここに座っていよう。そしてまた浮かんできた記憶を手で掬おう。ふよふよと浮いてきた海月の死体を毒も気にせずに掬うように。多少、痺れてもいい。
地上に出る。風が吹く。あの頃と同じ新宿の風、春の夜中の風だった。こんなところまで私を追いかけてきて、思い出させる春の風。
ねえ楠太朗、私はどこまで来れただろう。きちんと、生きていられているだろうか。少なくとも、なにひとつ成長なんて。押し間違えたバスの降車ボタンを「押し間違えました」とすら言えないまま、指を離すことも出来ないままにバスを降りてしまうくらいには、何も成長してないんだよ。馬鹿みたいに、流れに身を任せたままにしか生きていられない。ねえ楠太朗、私はちゃんと、できてるかな。
返事の無いという当たり前のことに何年経ってもまだ慣れないでいる。やさしい声で、短い言葉で、なにかひとつでも答えてほしい。そう懇願しながら駅から家までの残りの道を歩く。今ここに楠太朗がいたらと考えるのは何千回目だろう。
きっと私は一生思い続けるんだ。「もし」をたくさん、たくさん、繰り返して生きていくんだ。
ギィーー
相変わらずうるさい音のドア。持ち帰った書類をどさっと床に置くとトートバッグの中から数枚の書類が散らばって広がった。
「はあ」
あの時と何も変わらないワンルーム。自分への戒めか、ただの面倒くさがりか、そんなに家具は増えていない。必要最低限のものだけ、それだけ。
マグカップに牛乳を注ぎレンジに入れてタイマーをセットする。三分。それだけの時間があれば事足りるだろう。ベランダへ出た私はあの時楠太朗が吸っていた煙草を取り出し火をつけた。甘い香り、こんなところまで着いてくるやさしいあの頃の風。
嗚呼。サヨナラは言わない。私の青春。
今も続く、この耽る物思い。
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