無償の愛 再会 虹の橋

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1年前に亡くなった愛犬が帰ってきた! と2面を使って私がショップに訪れた時のことから 我が家の愛犬プーになるまでの事が詳しく書かれていた。 ショップのあの女性スタッフの方が記事を書いたようだ。 新聞の他にあのスタッフさんからの手紙が入っていた。 内容は新聞記事の反響が凄いことになっているようで ショップへの電話やらメールやらで対応に苦労しているとの事、 テレビ局からも問い合わせがあり 取材をさせて欲しいとの事らしい。 こりゃあ大騒ぎになったもんだと他人事のように 思ってしまった。私はすぐにショップのあの 女性スタッフに電話をした。 そして取材の件は丁重にお断りしてその代わり チップの事を書いた手記をネットに載せている事を 知らせ、その他にチップの動画とプーの動画を ショップの女性スタッフに送った。 それから5日ほど経ったある日ショップのあの 女性スタッフから電話があり○○テレビ局の番組で 今回のプーちゃんの事を特集で放送する事が決まった との連絡を受けた。 女性スタッフにテレビ局から直接私に連絡を 取りたいとの申し入れがあったらしい しかしそれもお断りした。 ビデオや写真は好きに使っていいからと 伝えてもらった。 それから1か月ほど過ぎた時 チップとプーの事のTV放送が流れた。 送った動画と手記がふんだんに使われて 当の私達も涙なくしては見られない内容だった。 息子たちはもちろん親戚や近所の人達からの 賞賛の声が後をたたなかった。 幸いにも私の家にはこのことに関する電話やメール などは皆無だった。 ショップの方たちは大変だったようだが・・・ いつの間にか仮でつけた名前が本名に なってしまったプーだった。 私の胡坐(あぐら)の上がチップと同じくプーの特等席になった 私たち夫婦とプーの2人と一匹の幸せな生活が 始まった。 長男夫婦も我が家に戻りプーが10歳になった年 私に異変が起きた。 プーと2人でいる時だった 突然の物凄い頭痛が襲ってきたと思ったら そのまま意識が無くなった。 **************** 「私がもう少し早く帰っていたら お父さんは助かっていたかもしれない 私が早く帰っていたら・・・・・・」 「母さんそんなに自分を責めないで」 息子にそう言われながらも私は自分を責めた。 プーがひと時もお父さんのそばを離れない
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