月極駐車場

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 宇佐さんの話は面白い。授業で学んだようなものとは、まるで違った話をしてくれる。月のクレーターも今は出入り口に改造しているが、昔は他の惑星車に攻撃されてできた傷あとだったらしい。時々、決められた交通ルールを守らないやつがいて、煽り運転をするやつもいるとか。この月は収縮が自由で、膨らますことのできる鉄を使っているだとか。宇佐さんも事情で長いこと地球には来られなかったらしく、最近の地球のことを話すと、とても喜んでいた。  二回、三回、四回、五回。どれだけ話しても退屈することはなかった。地球のこと、月のことを話し終わると、自然とぼく達は自分のことについて話すようになっていた。 「宇佐さんは、ずっと月の運転をしていて辛くないの?」 「辛いと言っても仕方あるまい。これはわえに与えられた使命。雅人が地球で生き抜くように、わえも月で生きなければならない」 「でも、ウサジとふたりでずっとこの月のなかでしょ?」 「そうじゃ。言ってなかったが、昔はもっといたのじゃぞ」  予想外の言葉に、ぼくは返事を返せなかった。『昔はもっといた』ということは、今はもういないということ。それは、宇佐さんが別れを経験してきたことを意味する。 「ああ、気にするでない。こうやって雅人と少しの間でも話せただけ、わえは幸せものじゃ」 「そんな、もう会えないみたいに言わないでよ」  ぼくのその言葉に、宇佐さんは返事をしなかった。 「……もしかしてほんとに会えなくなるの?」 「宇宙管理局に注意されたのじゃ。曇りをわざと作り、地球に長居するのはやめろ、と」  宇佐さんの細い眉が下がった。たぶん、ぼくも今同じ表情をしている。 「雅人と話すのが楽しかったからの。少しズルをしてしまったのじゃ」 申し訳なさそうに笑う宇佐さんを見ると、胸が締め付けられるように痛む。僕はこの痛みで気付いた。きっとこれが初恋だということを。 「――いやだよ。宇佐さんともっと話したい」 「わかっておくれ。わえの勝手で、宇宙全体に迷惑をかけられん」 「……今度はいつ会えるの?」  宇佐さんは答えない。もしかしたら、今日が最後かもしれないと思った。だったら、この思いをぶつけなければいけない。深呼吸をひとつして、宇佐さんの目を見つめた。 「ぼく、宇佐さんのことが好きだ」 「……雅人。それは正気か?」 「正気で、本気で、マジのマジ」  顔がどんどんと熱を帯びていく。耳の奥に心臓が移動したのかもしれない。自分の鼓動がこんなにも近くで聞こえるなんて。宇佐さんは、細い腕をぼくの首にまわして、話し始めた。 「わかった。明日の昼、空を見上げるといい。それが、わえの気持ちじゃ」 「昼? 昼って月は出ないんじゃ……」 「いいから。今日はおかえり」  その言葉に名残惜しさを感じながら、ぼくは月をあとにした。  翌日、宇佐さんがいた月極駐車場の隅に、ぼくは座っていた。曇ひとつもない空は、ただただ青いばかり。こんな昼間に、どうするつもりなんだろう。日差しが眩しくて木陰に入ろうかと思った矢先、急に辺りが暗くなった。空を見上げて、気付く。 ――皆既日食だ。  自転車を飛ばして家に帰ると、ぼくは引き出しの奥に眠っていた日食グラスを取り出す。転がるようにまた家から出て、日食グラス越しに空を見た。  涙が流れる。太陽が月に覆い隠されていた。月の影は白く縁どられていて、そこから太陽が覗いている。  ダイヤモンドリング。  これが宇佐さんの答え――  日食グラスを外し、涙を拭う。宇佐さんの笑顔を思い出し、ぼくは決意した。宇佐さんが来られないなら、ぼくが会いに行けばいいのだ。 「宇佐さん、ぼく宇宙飛行士になります」  そう呟くと、青い空の向こうで見えない星が輝いた気がした。
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