36人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
宇佐さんの話は面白い。授業で学んだようなものとは、まるで違った話をしてくれる。月のクレーターも今は出入り口に改造しているが、昔は他の惑星車に攻撃されてできた傷あとだったらしい。時々、決められた交通ルールを守らないやつがいて、煽り運転をするやつもいるとか。この月は収縮が自由で、膨らますことのできる鉄を使っているだとか。宇佐さんも事情で長いこと地球には来られなかったらしく、最近の地球のことを話すと、とても喜んでいた。
二回、三回、四回、五回。どれだけ話しても退屈することはなかった。地球のこと、月のことを話し終わると、自然とぼく達は自分のことについて話すようになっていた。
「宇佐さんは、ずっと月の運転をしていて辛くないの?」
「辛いと言っても仕方あるまい。これはわえに与えられた使命。雅人が地球で生き抜くように、わえも月で生きなければならない」
「でも、ウサジとふたりでずっとこの月のなかでしょ?」
「そうじゃ。言ってなかったが、昔はもっといたのじゃぞ」
予想外の言葉に、ぼくは返事を返せなかった。『昔はもっといた』ということは、今はもういないということ。それは、宇佐さんが別れを経験してきたことを意味する。
「ああ、気にするでない。こうやって雅人と少しの間でも話せただけ、わえは幸せものじゃ」
「そんな、もう会えないみたいに言わないでよ」
ぼくのその言葉に、宇佐さんは返事をしなかった。
「……もしかしてほんとに会えなくなるの?」
「宇宙管理局に注意されたのじゃ。曇りをわざと作り、地球に長居するのはやめろ、と」
宇佐さんの細い眉が下がった。たぶん、ぼくも今同じ表情をしている。
「雅人と話すのが楽しかったからの。少しズルをしてしまったのじゃ」
申し訳なさそうに笑う宇佐さんを見ると、胸が締め付けられるように痛む。僕はこの痛みで気付いた。きっとこれが初恋だということを。
「――いやだよ。宇佐さんともっと話したい」
「わかっておくれ。わえの勝手で、宇宙全体に迷惑をかけられん」
「……今度はいつ会えるの?」
宇佐さんは答えない。もしかしたら、今日が最後かもしれないと思った。だったら、この思いをぶつけなければいけない。深呼吸をひとつして、宇佐さんの目を見つめた。
「ぼく、宇佐さんのことが好きだ」
「……雅人。それは正気か?」
「正気で、本気で、マジのマジ」
顔がどんどんと熱を帯びていく。耳の奥に心臓が移動したのかもしれない。自分の鼓動がこんなにも近くで聞こえるなんて。宇佐さんは、細い腕をぼくの首にまわして、話し始めた。
「わかった。明日の昼、空を見上げるといい。それが、わえの気持ちじゃ」
「昼? 昼って月は出ないんじゃ……」
「いいから。今日はおかえり」
その言葉に名残惜しさを感じながら、ぼくは月をあとにした。
翌日、宇佐さんがいた月極駐車場の隅に、ぼくは座っていた。曇ひとつもない空は、ただただ青いばかり。こんな昼間に、どうするつもりなんだろう。日差しが眩しくて木陰に入ろうかと思った矢先、急に辺りが暗くなった。空を見上げて、気付く。
――皆既日食だ。
自転車を飛ばして家に帰ると、ぼくは引き出しの奥に眠っていた日食グラスを取り出す。転がるようにまた家から出て、日食グラス越しに空を見た。
涙が流れる。太陽が月に覆い隠されていた。月の影は白く縁どられていて、そこから太陽が覗いている。
ダイヤモンドリング。
これが宇佐さんの答え――
日食グラスを外し、涙を拭う。宇佐さんの笑顔を思い出し、ぼくは決意した。宇佐さんが来られないなら、ぼくが会いに行けばいいのだ。
「宇佐さん、ぼく宇宙飛行士になります」
そう呟くと、青い空の向こうで見えない星が輝いた気がした。
最初のコメントを投稿しよう!