月極駐車場

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 山のふもとに月極駐車場ができていた。長い間、だだっ広い土地にずっと“売地”の看板だけがあったのに、何を考えて月極駐車場なんかにしたんだろう。ここらへんは田舎だし、どこの家だって車を駐めるスペースくらいある。わざわざ、あんな山のふもとの駐車場を借りる必要なんてないのだ。ぼくの家はその山から近かったので、時々その駐車場の様子を見るようになっていた。そしてがら空きの駐車場を見るたび、顔も知らない経営者を笑っていた。  ――ぼくだったら、あの土地におばけ屋敷を作る。その方がずいぶんと儲かるはずだ。  塾の帰り、自転車を漕ぎながら妄想を膨らませていた。街灯が少ないこの周辺の雰囲気を生かしたらいいのに。もし、あの駐車場の経営者と鉢合わせることがあったらアドバイスしてあげたい。どうせ、今日だって車はゼロだろう。  頼りない自転車の灯りを頼りに、スピードを上げていく。ぼくは横目で月極駐車場を見た。 そこには、月が停まっていた。  予測もできない事態に、全身の力が入る。急ブレーキをしたせいで、自転車の後輪が浮いた。深呼吸をして、目を擦ってみるがやっぱり駐車場に月がある。あの空に浮かんでいるはずの月。まんまるで、黄色く淡く光るあの月が駐まっている。車五台分くらいの大きさのそれは、真っ暗なはずの山のふもとを不気味に照らしていた。なんとなく、卵のようにも見えた。  自転車から降りてゆっくりと近づく。草木のこすれる音や虫の鳴き声がやけに大きく聞こえた。空に浮かぶ月と見比べてみようと思ったが、生憎の曇りで、月はおろか星だって隠れていた。本当に、これは何なんだ――  触ってみようかと手を伸ばした瞬間、クレーターが機械音を立てながら開いた。続けて、梯子が下りてくる。ぼんやりと光る月は生き物のようなのに、あまりにも不釣り合いな光景だった。  その穴からぴょこんと、白くて長い耳が飛び出す。大きなウサギだ。 「おや! これはいいところに」  ウサギが喋った。ぼくの胸ぐらいの高さに顔があるそのウサギは、目の前に立つと、にぃ……と口角を上げた。長い前歯が見えて、鳥肌が立つ。ぼくの気持ちなんて知らずに、ウサギは続けた。 「青年! 実は少々困っていてな。ここで休んでいたのはいいのだが、宇佐様が退屈しておられるのだ。いつもお前らのために頑張っている宇佐様のために、ちょっとばかし話でもしてくれないか?」  ウサギが身振り手振りを交えながら話す。その度に大きな耳がはずんでいた。ウサギは小学校の時に学校でも飼っていたからわかる。こんな大きなウサギから逃げようとしても、絶対に逃げきれない。ぼくは覚悟を決めて、対話することにした。 「すいません。こんなものを見るのも、あなたみたいな喋るウサギも初めて見るので、怖いです」 「おや、正直な青年だ。だけど、月を見るのは初めてじゃないだろう。いつも空を見上げれば、この月があるのだから」  そう話すとウサギは梯子を器用に昇り、穴のなかから手招きをした。ぼくは夢でも見ているのだろうか。ウサギの話し方からは敵意は感じられなかった。だんだんと恐怖が好奇心に変わり、ぼくはその月のなかに入ることにした。  梯子を昇ると、外からは想像もできないようなメカニカルな内装が広がる。壁一面のディスプレイ、七色に光るケーブル、色とりどりのスイッチ。そして、部屋の奥には黒髪の女性が座っていた。まるで墨をこぼしたかのような黒髪に、思わず息を呑む。 「宇佐様、青年を連れてきました!」 「おお。ご苦労だったな」  女性は立ち上がると、こちらを振り向く。腰まである長髪がその動きに合わせて、舞うように広がる。心臓に電気が走った。あまりにも、美しすぎたからだ。年齢は十八歳くらいだろうか。真っ白な肌に血色の良い桃色の唇が、ぼくに微笑みかけている。 「ウサジ、もう下がって良い」 「かしこまり」  ウサジと呼ばれた大きなウサギは、壁に空いた穴に入っていった。女性は白いラバースーツに包まれた足をしなりと出して、ぼくに近付く。 「驚かせたようで悪かったの。わえは宇佐。宇宙の宇に佐渡の佐で、うさという。先ほどの化物みたいなウサギはウサジ。今は、わえとウサジでこの月を管理している」 「月を……管理?」 「そうじゃ。お主は知らないかもしれぬが、月は宇宙を走る車みたいなものでの。もうずいぶんと長いこと走らせておる」  宇佐さんはそう言うと、小さくため息を吐いた。あのウサギとずっとふたりで走り続けるなんて、気が滅入って仕方ないだろう。 「それは大変ですね。でも、なんで今日はこんなところに?」 「単純に疲れたのじゃ。地球人は、どうも月を見すぎる。わえだって年頃のおなご。そんなに見られていると恥ずかしくて仕方ない。なので、雲に隠れて地球に降りてきたわけよ。ちょうど“月極駐車場”というものが用意されていたことだしの」  宇佐さんは小さく笑う。月専用の駐車場では決してないとは思いながら、黙っておいた。 「して、お主の名は?」 「……雅人です」 「良い名じゃの。雅人、頼みがある。強い曇りで月が隠れる日、わえは骨休めにこの駐車場に来る。その時には、この地球の話でも聞かせてくれぬか? 見られていると窮屈だし、ウサジは人参の話しかしなくてつまらん。時々でいいから、わえが知らない話を聞かせてほしいのじゃ」  宇佐さんは顔の前で手を合わせ、目配せをした。宇佐さんが月を運転しているから、夜道だって多少明るくなるのだ。ぼくは頷く。この日から、宇佐さんと僕の奇妙な逢瀬が始まった。
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