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夜の十時半を過ぎたころ、都内にある五階建てマンションのエントランスが静かに開く。アルバイトを終えた掵代世加が、エレベーターホールでスマホを触りながら五階のボタンを押す。
上階から降りてきたエレベーターのドアが開くと、先客がいた。髪の長い女だ。その女は首を百八十度後ろに向けており、両手を前にぴんと伸ばしている。手首はキョンシーのように垂れており、骨の浮き出た手の甲が痛々しい。
黒く傷んだ髪の毛は床につくまで伸びており、一本一本絡まり合っていて、黒々とした一つの生き物のようにも見える。元は白だったはずのワンピースは赤黒い血や泥で汚れている。
世加はスマホを触ったまま、女の体を通り抜けてエレベーターに乗る。残念ながら彼女には女の姿が見えていない。
無視された女は世加を驚かせようと、彼女の部屋がある五階のボタンを押そうとしたが一歩遅かった。スマホを見ながら慣れた手つきで世加が五階のボタンを押し、エレベーターは静かに上昇をはじめる。関節が浮き出た女の人差し指は、少しの間空を彷徨い、そのあとしぶしぶ引っ込んだ。
エレベーターの中で二人きり。これはチャンスだとばかりに女は世加の周りをうろつき、下ろからスマホを覗きこむが、やはり気づかれる様子はない。
世加の後ろに立って髪の毛を彼女の両肩にかけみたり、いつまでもスマホを触っている手を包み込むように握ったりするが意味はなかった。
五階に到着し、結局世加は女の気配にすら気づくことなくエレベーターを降りていった。
慌てて後を追いかけようとしたが、すでに誰かが一階のエレベーターホールでボタンを押したらしく、女はエレベーターとともに静かに下の階へと降りていった。
世加が自室の鍵を回し部屋の中に入ると、リビングへと続く廊下にはランドセルを背負った女の子が立っていた。
黄色い帽子は泥まみれで、赤いランドセルからはリコーダー入りの革製の袋が飛び出ている。レースのついた水色スカートにはハートのアップリケがついていて、本来そこから伸びているはずの右足の膝から下がない。
「ただいま〜って、誰もいないけど」
世加は少女を無視して廊下を通り過ぎる。無視された少女は腹を立てて、ランドセルにさしていたリコーダーを取り出し出鱈目に吹いてみるが、残念ながら世加の耳には届かない。
ピー! ピー! 怒りに任せて吹いたせいで音割れしたリコーダーの音が部屋に響く。そもそも少女に音楽のセンスはないので、怒っていなくてもこんな感じだ。
世加はリビングに入って電気をつけ、荷物を置いた。一人暮らしにしてはサイズの大きいテレビをつけ、手を洗うために廊下に出て洗面所に向かう。
洗面所の電気をつけた瞬間、三面鏡に首のない着物を着た女が映っていた。ちょうど世加の後ろに立っているような位置だが、彼女は平然と手を洗ってうがいをし、すぐに電気を消してリビングに戻った。首のない女はしばらくの間、洗面所の電気をつけたり消したりしていじけていた。
それから寝るまでの間、世加の周りには三体の幽霊がうろうろとしていたが、彼女がその存在に気づくことは一度もなかった。
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