1 はじまり ①

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1 はじまり ①

「――すまない……っ」  低く唸るような声と身体中に抑えがたい熱が渦巻くのを感じながら、ぷつりと皮膚を破り深く沈んでいく牙に声にならない叫び声を上げ、俺の意識は闇へと溶けていった。 *****  俺は長いながい夢を見ていた。  まだ俺が小さかった頃、いつからだったか突然俺の世界に現れたひと組の男女。  ふたりはいつも、この部屋()にある小さな窓からも見える木を愛おしそうに見つめ、優しく触れて、そして静かに涙を流した。  寄り添い合う人がいるのに何がそんなに悲しいのだろう。  俺にはそれが不思議でならなかった。  ――俺には何もないのに…………ふたりは欲張りだ。  あのふたりを初めて見た時、訳も分からずモヤモヤとしてただ辛くて、痛くて――嫌だった。それなのに目が離せなくて――俺にはこの名前も知らない感情をどうする事もできなくて、ふたりの事を睨むようにして見つめ続けた。  ふたりは身なりもここへ来る(ひと)たちよりも上等な物を着ているし、いかにも恵まれているといった感じで何でも持っているように見えた。  俺は生まれた時からこの小さな部屋()の中にいて、ここにある物はそれなりに上質ではあるようだけど本当に僅かな物で、それすらも俺の物ではないと思っていた。  何ひとつ自由にはできないのだから、もしかしたら自分の身すら自分の物ではないのかもしれない。  俺の世界は小さく、外との繋がりははめ殺された小さな窓と鍵の掛かったドア、短時間だけど毎日やってくる年配の女たちだけだった。  物心がつく頃には俺は殆どの時間をひとりで過ごさなければならなかった。その事を寂しいと感じてはいたけど、それを口にする事はなかった。  何かを言ってみたところで何も変わらないと分かっていたし、女たちは少ない時間を利用して言葉を教えてくれたり外の世界の色々な事を教えてくれた。そのおかげで小さな箱の中にいながら俺の世界は少しずつ広がっていったのだ。下手な事を言ってそれがなくなってしまう事が怖かったのだ。  女たちから教わった事、その全てを理解できたわけじゃなかったけど自分の知らない事を教えて貰える事が嬉しかった。そうじゃなくても誰かと言葉を交わす事自体が嬉しくて仕方がなかった。長い一日のうちほんの少しの時間が、俺にとってとても大切な時間だった。  だけど『お金』について教わり、女たちには主がいて雇われた『メイド』であり、俺の元へ来るのは『仕事』なんだという事を知った時、あれ程大切だと思っていた時間は色褪せ、妙に納得してしまった。女たちは色々な事を教えてくれはしたけど俺に寄り添ってはくれなかったし、決められた時間を頑なに守り『甘える事』も許してはくれなかったからだ。  そして俺が成長してくると、慣れ親しんだ『最初のメイド』たちは来なくなり別の若い『メイド』たちが来るようになった。新しいメイドたちは必要最低限の事だけをして、時々窓辺に来る雀のように俺とは無関係に煩く囀るだけだった。  以前とは違い新しいメイドたちはよく代わり、同じ人が何度も来る事はなかった。だけどみんな同じように俺の事は透明人間のように扱い、暴力こそ振るわれなかったけどたまに向けられる視線は汚い物でも見るようにひどく冷たいものだった。
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