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8 あの夜の事 ①
俺は小さな箱の中で育った。箱と言っても本当の箱ではなく、どこかの屋敷の一室のようだった。
俺は何故その部屋の中でひとりでいたのか、いなくてはならなかったのかを知らされず、その部屋からただの一歩も外に出る事なく育った。
最初のメイドに色々な事を教わったけど、俺自身については頑なに何も教えてはくれなかった。だから俺は自分の事なのに、自分が何者かすらも知らなかった。
俺は沢山の事を考えるだけで行動に移す事なく、気が付けば十七歳になっていた。この年齢も聞かされたわけではなくて、二次性判定の時期などから勝手に推定したものだけど多分合っていると思う。
それにこんな生活をしていて本当の年齢なんて意味もないものに思えた、ただの目安のような物だ。
ある日、珍しく前に一度来た事がある若いメイドが再びやって来て、俺を箱の外へと連れ出した。最初はいよいよこのおかしな生活が終わるんだと戸惑いはしたけど嬉しかった。このメイドにはあまりいい印象はないけど、この時ばかりは感謝した。
もしかしたら小さな窓から見つめる事しかできなかったあのふたりに会えるかもしれないと期待もした。誠心誠意謝って、そして、そして――。
だけど、俺はあの木のある場所へ行く事もあのふたりに会う事もなく車に乗せられて小さな箱からも大きな箱からも出て、どこだか分からない場所へと連れて行かれた。
そこは人気のない薄暗い場所で、やけにニコニコと笑っている男がひとり立っているだけだった。メイドは男から何かを受け取ると俺を残してすぐに車に乗ってどこかへ行ってしまった。
一度も外に出た事がない俺にはここがどこなのか分かるはずもなく、おかしな話だけど目の前にいる正体の分からない男だけが頼りだった。
メイドがいなくなった後も男は相変わらず笑顔だったけど、俺の事を値踏みするような視線は不快で、とても怖いもののように感じた。
それでも俺の中に『逃げる』という選択肢はなかった。たとえ逃げたとしてもどこへ逃げればいいのか分からなかったし、あの場所へ戻れたとしても俺の居場所がまだあるかなんて分からなかった。
だとしてもその時の俺はまだどこか呑気に構えていて、怖いと思いながらも本当の恐怖は感じていなかったんだと思う。だからこんなに怪しい男に黙ってついて行ってしまった。
*****
俺が連れて行かれた先は賑やかな場所だった。それなりの大きさの建物で、中ではそこかしこでイヤラシイ行為に耽る人たちがいた。俺はできるだけ見ないようにしながら真っ赤な顔で男の後を追った。
バカな俺は、こんな怪しい場所にそれ以上に怪しい男に連れられて来たというのに、ここでもこの男の傍が一番安全だと思ってしまっていた。
そうして店の奥にある部屋の前に着くと、男がコンコンとノックをして中から入るように言われ男と共に俺も中に入った。
そこには身なりのいい男がひとり、姿勢よく座っていて「あれ?」と思う。
こんな見るからにαと分かる人が俺に何の用があるんだろう?
もしかしたら本当にあそこから救い出してくれた?
戸惑いつつも目の前の男を見ると、男も俺の事を優し気に見つめていたから俺も微笑んで返した。
「では、お愉しみ下さい」
その言葉にひっかかりを覚えるものの、まだ俺は目の前の男の事も意味もなく信用していた。
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