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②
大きなソファーに美幸を座らせ、メイドが部屋の外まで持って来ていたおやつを受け取りテーブルに置く。
顔を上げ、ふと視界に入って来たのは部屋のサイドテーブルに飾られた氷のように冷たい目をした美幸の写真だ。どう見ても同じ人物には見えないくらい冷たく――怖い。
俺はさりげなくその写真をパタリと伏せた。
「ねぇ白兎お兄ちゃん、お兄ちゃんもこっちに座って?」
可愛い仕草でぽんぽんと自分が座っているソファーの真横を叩く。
俺はくすりと笑い頷いた。
メイドのような事をしているとはいえ本当のメイドではなく番なのだから、もしも誰かが見ていたとしても咎められる事はない。それにこれは美幸が求めるもので、俺が与えたいものでもあるのだから断る理由なんかなかった。
俺が隣りに座ると美幸は、おやつのドーナツを手で半分にちぎって片方を俺に差し出した。
「白兎お兄ちゃん、美味しいから半分こしよ」
へへっと嬉しそうに笑う美幸。近頃では見た目も本当に子どもに見えてくるのだからおかしな話だ。
美幸は子どもらしく? 時々我儘を言ったりイタズラをしたりもする。「そんな時は叱ってあげなくては駄目です」と家令である東さんに言われた。もしもこのまま元に戻る事がなかった場合を考えての発言のようだけど、お医者さまも言っていたようにそれは悪手だと思えた。
それにこんなに可愛い事をされたら行儀が悪いって叱ったりできるはずがない。冷たく怖い美幸よりちょっとくらいダメなところがあっても穏やかで優しい美幸の方が俺は好き……、なのだ。
俺はただ「ありがとう……」とドーナツの半分を受け取りぱくりと食べた。
この家に来て、初めて口にするものばかりで驚く。
ドーナツは甘く、とても美味しくて幸せの味がした。
もぐもぐと味を楽しんでいると、美幸はもう食べ終わったのかお手拭きで汚れてしまった手を拭いていた。
「白兎お兄ちゃん、あのね僕ねお夕飯はオムライスが食べたいな。勿論白兎お兄ちゃんの手作りのだよ?」
「今おやつ食べたばっかなのにもう夕飯の話か?」
オムライス? って?
「だってオムライス大好きなんだもん。それでね上にねケチャップで猫さん描いて欲しいの」
ふふふ。と嬉しそうにお強請りする美幸。
だけど俺はオムライスが分からない。食べた事がないからだ。それを伝える事は憚られて、探りを入れる事にした。
「美幸は――どういうオムライスが好きなんだ?」
「んーとね、オレンジのご飯に具はウインナーがいいな。ピーマンは抜きだよ? それで上に乗せる卵はぐずぐずのがいいの。ふわっとしてとろっとして、美味しいんだ」
んーまったく分からない。オレンジのご飯って? 蜜柑で味付けするのか? ウインナーは分かるけど……ぐずぐずの卵って生? 気持ち悪くないのか?
得体の知れない『オムライス』に全く作れる気がしないが、とりあえずキッチンへと向かった。
キッチンにいる料理人に聞けばいいのかもしれないけど、俺は俺の『オムライス』を美幸の為に作ってあげたいと思ったから誰にも聞く事も相談もする事もしなかった。
*****
結果から言えば……多分オムライスではない物が出来上がった。
ぐちゃぐちゃのべちゃべちゃ。材料は食べられる物を使ってはいるが、生のままの卵の上に無理矢理ケチャップで描いた猫が不気味だ。
オムライスを知らない俺の目から見ても絶対に違うと思うのに、美幸は一瞬だけびっくりした顔をして、すぐにスプーンでひと掬いしてパクリ。
お行儀よく音も立てずもぐもぐごっくんとしてにっこりと微笑んだ。
「白兎お兄ちゃん、おいしいよ。猫さんもありがとう」
そしてパクパクぱくぱくと完食してしまった。
俺に料理の才能が? なんて事はさすがに思わない。きっとこれは美幸の気遣いだ。実際は大人だけど今の美幸は子どもで、子どもなのにこんな気遣いができるのはきっと愛されて育ったからだ。我儘だってイタズラだって愛されたから何の不安も抱かずできるんだ。自分が愛されたから他人を愛する事ができるんだ。
俺はお礼を言う美幸に何の言葉も返す事ができず、ぷいっと顔を背けさっさとお皿を片づける為に席を立った。
こんなのただの八つ当たりだ、そんな事は分かっている。だけど、どうしても考えてしまうんだ。
俺は美幸の愛を貰ってしまっていいのだろうか。このまま傍にいていいのだろうか。
愛したいと言いながら、愛を知らない俺には愛を返せやしないのに――。
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