4 日常・非日常 ①

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4 日常・非日常 ①

 俺はここに来て美幸の世話ばかりをしているわけではなかった。  美幸は俺が美幸の傍を離れる事を嫌がったけど、俺がこの家に来てしばらくしてこの家の主である美幸の母親が俺たちの元へやって来て言ったのだ 「番ってしまったのならこの家の跡取りの(パートナー)として相応しい教養と振舞いを身につけなくてはいけないわ」  その翌日から美幸の母親直々に色々な事を学んでいる。  俺には小さな事まで細々と言うのに、不思議な事に美幸が幼児退行している事にはまるで関心がないように何も言わなかった。  美幸の事を愛していない――? 普通は大事な息子があんな風になっていたら何か言うはずだし、なによりもっと早くに美幸の元を訪れていたはずだ。  なのに美幸の母親の美幸を見る目は冷たく、まるであの写真に写る美幸そっくりで――とても嫌だった。  そんな人とふたりっきりで最初は緊張したけど、意外にも美幸の母親は笑顔こそ見せないが無駄に怒ったりはせずきちんと叱ってくれた。  この違いは俺の周りにいた沢山のメイドたちから学んだものだ。  最初のメイドに一度だけ叱られた事があるが、他のメイドたちとは明らかに違っていた。それが『叱る』と『怒る』の違いなんだとあの罪についてかかれた本で学ぶ事ができた。  同じ事を言っていてもどういう気持ちで言うかによって変わってくるのだ。『嫌い』という言葉ひとつにしたって、その人物の事が嫌いかその人物の行いが嫌いかで大分意味が違ってくるし、自分の感情のまま怒りをぶつけるのでも違う。  美幸の母親は感情任せに怒ったりはしない。多少呆れたといった空気はあるものの、俺が何をしても何を間違えても俺が分かるまで口で説明してくれる。    もしかしてこの人は冷たい見た目とは違って……心の温かな人――?  美幸も本来の自分を取り戻したとしても――――怖くない?  実は俺はあの写真に写る美幸の事が怖かった。だから悪いと思いながらも子どものままの優しい美幸のままでいて欲しいと思っていた。 「あなた……不躾に人の顔をじろじろ見るものじゃないわ」 「あ……すみませんっ」 「――まぁいいわ。それとこれを着けなさい」  と、手渡されたのは前面中央に大きな黒い宝石がキラキラと輝く立派な――首輪? 「――首……輪?」  俺の言葉に美幸の母親は「はぁ……」と溜め息を吐いて見せた。 「それは首飾りなのだけど――そうね。首輪と呼ぶならそうしなさい。一宮家の嫁となったからにはこのくらいの物を身に着けておかなくては、これは我が家では()()の事なの」  「だから享受しなさい」と美幸の母親はそう言うと、一度俺に渡した首輪をもう一度手に取りそのまま俺の首に填めた。  ガチャリと首輪の鍵が閉まる重い音が部屋に響く。  厳しくても自分に向き合ってくれる美幸の母親。見れば美幸の母親の首にも宝石は違うが似たような物が填められていた。  この首輪が『この家の普通』だと言うのなら、俺も『普通の事』として受け入れよう。  そもそも普通の人の日常は俺にとっての非日常で、俺の日常はきっと普通の人には日常ではない。だからどちらを基準とするかで違ってくるし、日常非日常、普通特別、どちらであっても大した意味を持たないのだ。  その時の俺は、その首輪の本来の意味にも美幸の母親の想いにも気づけないくらい色んな事を知らないままだった。
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