牡牛座として生きてゆく

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牡牛座として生きてゆく

選択肢の中から、どれかひとつを選ばなければならないとき。理屈的に正しそうなものと、なんとなく気になるもの。どちらを選ぶべきか、いつも迷って動けなくなる。 何年か前、たまたま手に取った鏡リュウジさんの著書『牡牛座の君へ』の中に、その答えはあった。他にも人生で迷いがちないくつかのことに、指針と染みるような心地良い言葉が添えられている。 この本と出会ってから私は牡牛座として生きてゆこうと決め、『牡牛座の君へ』は聖典となった。   * ブッダ、アドラー、ポジティブ、感謝、日頃の行い、自分はいい女だと言い聞かせる等々。子供でなくなった頃から生き方に迷うようになり、自己啓発本をいくつか読んできた。魔法の書のように思える反面、私の気分の浮き沈みによって、それらの価値は変化する。 精神の落ち込みがひどければ、ポジティブでいることは苦しい。人と関わりたくないときにはアドラー心理学が好きだったが、共同体感覚の話が出てきたところで「アドラー、お前もか」と途方に暮れた。 そういうときは、苦から逃れる専門家ブッダの教えがスッと入ってくる。でも気持ちが陽へ転じると、「中庸や平常心も素晴らしいけど、楽しいときにはやっぱりはしゃぎたい」とブッダから離れ、またポジティブ思想へ戻ってきたりする。 (でも最近になって、仏教は苦しいときだけ頼っていい、という話を聞いて納得した) こんな具合で傾倒する本はかわり、しかしまた戻り、とローテーション。本棚にはいつも三、四種類ほどの拠り所となる啓発本が置いてあった。 そんな私の移ろう気持ちさえ包括して、教え導き、背中を押してくれるのが、『牡牛座の君へ』である。   * 世の中にはたくさんの人間がいる。それなのにたかだか12の星座の分類で事足りてたまるか――などと思っていたこともあったが、以前放送されたNHK『あさイチ』の占い特集を見て、納得した。 ムーンプリンセス妃弥子さんによる各星座の運勢や順位付けについてのVTRを見たあと、スタジオで出た質問が、 「獅子座がその日アンラッキーだとしたら、同じ獅子座の人、みんなアンラッキーなんですか?」 というもの。 これに答えてくれたのは、占い師のしいたけ.さん。 獅子座の平均値みたいなものを出すと思う。降水確率と一緒。だからもちろん全員というわけではないと思います。――というようなことをおっしゃっていた。 それでいくと私は、「ド牡牛座」じゃないかと思う。牡牛座の基本的な性格や、得手不得手、生態を語った本を見ると、ほとんどが当てはまっていると思うから。 二十代の頃に読んだ石井ゆかりさんの『牡牛座』という本でもドキリとした経験がある。手元にないので一字一句正確ではないのだが――大地の属性である牡牛座は、住むなら平屋。高層階は合わない云々、とあった。 当時私は、単身者向けの鉄筋コンクリート製アパートの5階という、およそ大地の属性らしからぬ建物に住んでいた。免疫異常系の病を発症、悪化したのはまさにその頃。「土から離れては生きられないのよ」というシータの言葉は、牡牛座のためにあったらしい。 そういったことを経て、私は自分を「ド牡牛座」だと判断。故に、牡牛座のために書かれた本は私の人生の指南書になると思ったし、牡牛座の生態に沿った行動を取ると無理がなく、心地よかった。 「そうだ、牡牛座として生きてゆこう」と決心するに至ったのは、こういうわけである。   * 『牡牛座の君へ』は、今後の運勢がどうなるか、という類の本ではない。生き方に迷ったときに開く海図のようなもの。 だからこの本を、私にとっての聖典とした。 私は牡牛座として生きてゆく。 何かに迷ったときは、牡牛座として心地良い方を選ぼう。それが一番、後悔がなく、正しいと思える道。 そしてこの本に書かれている牡牛座の楽園を探し、創り、広げていきたい。 ここに、牡牛座として生きていくと決めた私の「牡牛座日記」を綴っていこうと思う。
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