「風の時代」の牡牛座の反乱

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「風の時代」の牡牛座の反乱

高校時代の、ある夏のお昼どき。同級生の女の子3人が、お弁当にそうめんを持ってきてすすっていた。 それぞれがそうめん弁当を持ってきたということではない。麺担当、麺つゆ担当、薬味担当、と役割分担をして持ってきたのだ。誰が言い出したか知らないが、おもしろい発想である。 以前放送された『サラメシ』でも、似たような光景があった。どこかの市場のお昼ごはん。お肉屋さんとお向かいの青果店が、毎日肉と野菜を持ち寄ってまかないを作り、一緒に食べていた。 なんか、いいなあ、と思った。   * こういう感じのこと、ご近所同士でもできそうな気がする。というか実際やっている部分がある。例えば「二人暮らしで食べきれないから」と葉物野菜をおすそ分けしてくれたり、こちらも間引いたニンジンを何本かあげたり。 これを発展させて、ご近所さんや村のみんなで食事を作る~みたいなこととかどうだろう。各家で作っている野菜などを持ち寄って。料理はその場でみんなと食べてもいいし、持ち帰ってもいいし。 料理作りじゃなくても、作りすぎた野菜を持ち寄ってほしい人にあげたり、交換したり。 ちょっと楽しそうだ。 なんか楽しそうだ。 何年か前まで、地域の集まりとかあまり興味がなかったのだけど。ここ最近の私は、地域コミュニティーを愛するようになってきた。多分今いる場所が、生まれ育った地元だからだろう。「愛するようになってきた」というより、もともと愛していた場所だ。 そして「ここで生きていく」という覚悟ができているから、そこに生きる人たちと関わることを望んでいるのだろう。 共同体意識が、かつてないほど芽生えている。   * 時は「風の時代」。リモートだズームだテレワークだ、とまさに「風の時代」の到来を感じずにはいられない。 だけど私は、過ぎ去った「土の時代」で生きたがっている。 なんかこう、部族みたいな感じのコミュニティーとか、ライフスタイルとかをしたいなあ、と空想する。自分のペースで、毎日草刈りなんかをしながら生きていけたらなあ、とか考え始めている。 まったく興味がなかったはずの薬草の本を開いて、「今年はドクダミを天日干ししよう」などと企んでいる。 ――お金、どうしても稼がなきゃだめかなあ。お金を必要としない暮らしにしたらいいんじゃないかなあ。でも税金は払わなきゃだから、やっぱり稼ぐ力はないとダメなんだろうなあ。パソコンやスマホも、あると便利だけど、振り回されるのは嫌なんだよなあ。 だんだんこういう考え事が強くなってきている。 もしかしたら、もうじき明けるかもしれない自粛生活に、「変化を嫌う牡牛座」が恐れを抱いているのかもしれない。 持病が安定して元気ではある。 だけどまた以前のように、毎日決まった時間に出勤して働くようになったら、私の心と体は、世の中の時間の流れについていけるだろうか。 また体壊して仕事辞めた……と落ち込みたくない。 しんどいな、と体の声が聞こえたとき、自由に休める今の生活がとても心地良い。手放したくない。 「普通に外で働く」のが本当に嫌なら、この自粛期間中に私らしい生き方を確立させておくべきなんだろうけど。なかなか「これだ!」と思う形が決まらず、もどかしい。 ただやっぱり、一日の大半を留守にするような生活は、なんか嫌なんだよなあ……とは思う。 「迷ったときは本能に従え」が私の牡牛座的選択法だから、多分この「家を空けたくない」あたりの生き方で、どうにかできないものかとグルグル考えていくんだろうな。 もっと熟慮していったら、何か閃きそうな気がしないでもないんだけど。 どう発展するか楽しみだ。
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