楽園追放

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楽園追放

長年、難病による激痛に悩まされ。 2020年に結婚生活を終わらせて。 2021年には父が逝ってしまって。 この頃は緊張や悔しさ悲しさなど、精神的ストレスがとても大きかった。 だけど戻ってきた実家での暮らしは、とても健やかで、落ち着いていた。 私は楽園を手に入れた。 いや、楽園に戻ってきたのだと実感していた。 父が亡くなった2021年と翌2022年は、母のそばにいること、実家の草刈りをすること、畑仕事をすることが、心地良く私にフィットした。 コロナ禍であったことも私には幸いした。免疫異常の疾患を内包しているから、母から直々に「まだ外で働かなくていい」と告げられ、おかげで私は堂々と家にいられた。 父を失った故の大変さはある。 だけど、ゆっくり自分のペースでいられる田舎暮らしは、心も体も、心地良さで満たされた。 とは言え、心が満たされた状態で暮らし続けていると、意識は自ずと外へ向くらしい。私は地元で約20日間開催されるイベントでアルバイトをすることにした。メイン会場での受付担当である。 ここで「お試し社会復帰」をしたくなったのだ。 あとせっかくだから、受付業務を習得したい。領収書を用意するとか、テキパキと人をさばくということに、苦手意識があったから。 それとヒマなときには、受付で一緒に組む大先輩方の昔話を聞くことにした。人生の参考になるし、小説のネタにもなるかもしれない。 とにかく精一杯やろう。 朗らかに、感じ良く。そして誠実に。 ――という意識のおかげで、人間関係は良好。受付業務も、我ながら千手観音かと思うほど、ピーク時のお客さんをさばきまくることがてきた。 そして最終日の、店仕舞いをしていたとき。イベントを仕切る長から直々に、私の仕事面と人柄について、お褒めの言葉をいただいた。 「来年もお願いしたい」とまで。 無事に勤め上げ、帰路に着く。 このときの気持ちは、長編小説を脱稿して応募したときと同じくらいの、達成感と充実感だった。 実家だけだと思っていた私の楽園。 このアルバイトを通して、私の楽園が、少し広がった。   * 2023年春。アルバイトを無事終えて、再び楽園在住の無職に戻る。 ところが―― さあ今年も始めるか! と畑へ出て目の前の景色と対峙したとき、「ズレ」を感じた。 もうここにいちゃいけないのだと、目の前の景色に言われた気がした。 まるで楽園から追い出されてしまったような。 でも悲しくはない。 今の私は、楽園を外へ広げる力があると知ったから。 それに次の働き口について、私はあまり心配をしていなかった。というより、「そろそろ話が来るんじゃないかな」と余裕すら持っていた。 アルバイトをした地元イベントに、私は10年ほど前にも参加したことがあった。そこでわかったのは、「ここで働いていると、次の仕事が舞い込んでくる」ということ。 約20日間もイベントでそこに居続けるのである。するとどうなるか。 顔見知りのお客さんから、 「あら、和珪ちゃん、今お勤めしてないのが? んじゃ〇〇で人足んないがら、働いでみないが?」 と声を掛けられるのである。 これは何がいいって、お互いのことをなんとなく知っていることである。ハローワークを通してまったく知らない会社に履歴書を送るのとは違って、ちょっとだけ安心感があるのだ。 以前イベントのお手伝いをしたときは、期間中に2、3件それらしい話が来たし、実際次の働き口も決まった。 そういう経験と実感があったから、私はなんとなくのん気に過ごしていたのである。 そしてしばらく経ったある日。電話が鳴った。 ――来たな、と直感した。 「もし良ければ、〇〇で働いてみませんか?」 ほ……ほらね。 私の予想どおりでしょ(震えた)。 だけどお声掛けいただいたその職種に、ちょっとだけ不安があった。もしかしたら私の苦手分野かもしれない。……そうじゃないかもしれない。 ちょっとわかんない。 だけど、感覚的になんとなく、――この流れに乗った方がいい――そう思っていた。 試しに逆のことも想像してみる。 この流れに乗らなかった場合の、その後の私を。 ――うん、違う。 やっぱりもう、それは、違うよ。 はっきりわかった。 私はやはり、この楽園から追放されたのだ。 いや追放ではなく、背中を押されたのかもしれない。 コロナはまだ完全に収束したわけではないけれど。もうここじゃないよ、次へ行きなさいよ――と、ここに留まることを断られてしまった。 「お受けします。よろしくお願いします」 迷いはあったけど、「なんかこっちだ」という確信はあった。 私は、迷ったときは本能に従うことにしている。 言語化できないだけで、答えはすでに自分の中で決まっているから。 「なんかこっちだ」の「なんか」が大切なのだ。 翌月から早速新たな生活が始まった。 苦手な仕事もあったけど、人にとても恵まれていた。おかげでとても居心地が良く、心身ともに健やかでいられた。……1週間ほど食欲落ちてお腹ゆるくなったのは環境がかわったときの常なので、想定内。 勤め始めて数ヶ月後に私は気付く。 いつの間にかこの職場も、楽園になっていると。 私の楽園がまた少し、広がったのだ。
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