茶館の主人2

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茶館の主人2

   さほど広くはない店内は壁の全てに透かし彫りの彫刻が施されている。そのなかにずらりと並んだ飾り台。さまざまな色、大きさの蝋燭が所狭しと置いてあった。 「どの蝋燭にされますか?お好きなものをお選びくださいね」  夫婦は目をきょろきょろとさせあたりを窺う。 「あの、どれもお値段がないのですが。お代は?」 「ああ、ごめんなさい。お値段はどれも同じですよ。銅貨五枚です」  二人は目をパチクリさせた。 「五枚?うちの茶館の茶一杯と同じだ。そんなに安いのですか?」 「お安いですか?」  琉鈴は楽しそうに笑う。鈴のような声だ。  だがこれで、息子と会える。夫婦は緊張しているのか、蝋燭を選ぶ手がかすかに震えていた。 「では、これをお願いします」  恭しく差し出された蝋燭は、息子の好きな色である紺色をしていた。琉鈴も大事そうにそれを受け取る。 「さあ、主人が待っています。奥へどうぞ」  琉鈴は彼らを奥へ導いた。  望春堂の主、荀涼は奥にある堂で待っていた。天井から天女の羽衣のように薄い布がいく筋も垂れており、緩く揺れている。一番奥に、大人の身丈ほどある銀の燭台が  置いてあった。荀涼はその横で静かに佇む。彼の手には美しい細工の細い火付け棒が握られていた。  二人を見ると、彼は静かに頭を垂れた。肩まで垂れたまっすぐな髪は艶やかで、彼の端整な顔立ちをいっそう際立たせる。仲桓夫妻は彼の神秘的な美しさにしばし息を呑んだが、慌てて拱手した。 「ようこそ来られました。妻の案内はいかがでしたか?」  よく響く落ち着いた声に、夫妻は大きく頷く。 「ええ、ええ。とてもよく話を聞いてくださって、わたし達も安心して案内をお任せいたしました」 「それはよかった。琉鈴、ありがとう」  琉鈴は恥ずかしそうに微笑み俯く。そして夫妻に燭台の方へ行くよう指示した。 「こちらを、どうかお願いします」  二人は揃って紺色の蝋燭を荀涼に差し出す。彼はそれを燭台へとしっかり嵌め込んだ。そして、火付け棒の先へ火を灯す。夫婦の蝋燭の芯に移された小さな灯りは、ふるり震えて少し大きく瞬いた。やがて、堂のなかが霧に包まれる。仲桓は妻の手を握りしめた。  二人は、白く深くなってゆく靄の中で「いってらっしゃいませ」という琉鈴の声を聞いた。  目を凝らすとやがて、雲海のようになって立ち込めていた霧の向こうに人影が見えてきた。隣で妻が小さく声を上げる。 「あんた、ほら、あそこ!」  妻は仲桓の袍衫の裾を掴む。だが、彼にもとっくに息子の姿が目に入っていた。どこかの森だろうか。深い樹々の間で数人が獣相手に剣や弓を構えている。ただの猪か虎かと思ったが、その獣は大きな角を生やしあらゆるところから瘴気を吹き出していた。それこそ、噂でしか聞いたことのない魔物相手に彼らの息子は怯むことなく対峙していた。 「ああ。あの子はあんなに逞しかったかね?ふらふらとしているだけだったのに」 「ええ、ええ!なんて勇敢なんだ」  家を出発して以来、ほとんど口を開くことの無くなっていた妻が嬉しそうに叫ぶ。巨大な獣はやがて、最後の咆哮を放ち兵士たちの前にくずおれた。黒い火がもうもうと上がる。周りで彼らの勝鬨の声が響いた。  汗だくとなって喜ぶ息子の姿に、夫婦は涙を流して手を取り合った。 「どうしているかと夜も眠れなかったけど、あんた、よかったねえ」 「ああ。立派にお役目を果たしているじゃないか。ありがたいことだ」  再び白い靄がかかり始める。仲桓は大声で息子の名を呼んだが、聞こえることはない。  こうなると、ますます会いたくなるねえ、と二人がしんみりしていると、やがて霧が再びひらき始めた。  今度はどこかの家の中だ。大きな丸い卓を家族が囲んでいる。仲桓は並んだ料理に見覚えがあることに気づいた。そして、あっと声をあげる。食卓を囲んでいるのは、息子と、その妻らしき女性と、三人もの子供たちだ。 「なんと……。嫁をもらったのか、あいつめ!私らに知らせもせずに……」  涙声で文句を言い始める仲桓の隣で、妻は子供たちの顔をよく見ようとさらに身を乗り出している。 「まあまあまあ!なんて可愛らしい…!あの子にそっくりじゃありませんか」  息子が娶った女は心からの笑顔を夫に見せている。その様子に仲桓たちはまた、涙を流した。  と、その家に誰か訪れたようだ。とたんに彼らはばたばたと慌ただしくなる。くるくると変わる場面に、仲桓たちは追いつくのに必死だ。次はどんな息子たちを見せてくれるのか。気づくと夫婦は心待ちにしていた。  次に現れたのは、泥だ。  視界いっぱいを覆うのは一面の茶色く濁った泥。遥か遠くまでがどこもかしこも、泥と水に覆われている。所々に家の残骸や、家財道具の一部分が顔をのぞかせている。そして、恐ろしいことに、そのなかに汚泥に埋もれた人間の脚や手らしきモノが見え隠れしていた。  ひゅ、と隣で妻が息を呑んだ。  仲桓も思わず悲鳴をあげそうになる。 「これは……、これは、いったい、なにがあったんだ……」  この光景が、息子と関係ないということはあり得ない。彼らは蝋燭が見せるものに初めて不安を覚えた。 「あの子は……?あの子たちは無事なの?」  口から不安が次から次に溢れ出る。目を背けたくなる光景から、息子家族を探そうと彼らは全神経を尖らせた。 「あ!いたわ。いたよあんた!」  喜びの叫びと共に妻が飛び上がる。まさしく息子たちだ。だが、その顔は悲嘆にくれ、悔しさを滲ませている。妻の方は泣き叫んでいた。 「何があったんだ……」  仲桓は恐る恐る彼らの側を見つめた。息子たちは藁に覆われた二つの亡骸を前に嘆いているようだった。  その、藁からはみ出した裸足の脚が二組、目に入ったとたん、仲桓のなかでがくんとなにかが揺れた。立っていられなくなり、思わず膝をつく。  彼は、亡骸の周りの景色をよく見渡した。泥と水に覆われてはいるが、ここは、私は、よく知っている。  そうだ、ここは、私の店だ。美味しい花茶で有名な、侑林県の、私が作り上げた茶館のあった街だ。  よく見れば、ここも、あそこにも、知った顔がある。馴染みの店の店主や、近所の屋台の親父。みな疲れ、絶望をはりつけた顔をしている。そして、茶館の看板が目に入った。亡骸の横に添えられている。 「わ、わたしらの店は……街は…」  か細く、震える声。これは、どうやら自分の口から漏れているらしい。仲桓はどこか、人ごとのようにそう感じた。琉鈴の悲しげな声が遠くから響いた。 「侑林県では 数年前に長雨による水害があったのです。  一つの街が流され、たくさんの方が亡くなったと聞いています」 「すう、すうねんまえ?……それは、いったい……」  言葉を詰まらせる琉鈴に、仲桓ははっと顔をあげた。そして、思い出したように互いを見合う。妻は、土気色の顔をさらに白くして仲桓の手を握りしめた。 「わ、私たちは……」  恐ろしい言葉だ。これ以上は話したくない。だが、仲桓は思い切って口を開いた。 「私たち、しんだんですか……」  琉鈴は何も言わない。悲しげな表情で夫婦を見つめ、小さく拱手した。そこで、やっと、彼らは理解する。 「そうか、死んだんですね。わたしたち」  仲桓は一面の泥で埋まった街を見渡した。 「私の茶館は流されてしまったのかぁ……」  ため息が、長い長いため息が尾を引くように喉から流れてゆく。短くなった蝋燭の火が頼りなげに揺れる。もう、この情景で終わりなのか。  何もかも、終わったのだろうか。 「私らはどれだけ、彷徨ってたのだろうね……」  魂が抜けたような気分とはこのことだろうか、文字通り仲桓はがっくりと項垂れ、膝を地面に投げだした。  と、妻が再び顔を上げる。 「見て、あれ」  再び、蝋燭は明るく燃え上がった。やがて二人の前に新たな光景が浮かび上がる。  仲桓の店の看板が再び店先に掲げられている。所々折れて傷だらけだが、あれは確かに彼が拵えたものだ。そして、懐かしい花茶の香りが鼻をくすぐった。  小さくともしっかりとした作りの店の前に卓や椅子がいくつも並び、人々が茶と、茶菓子を片手に談笑している。その間を、店主の格好をした彼らの息子が忙しく立ち働いていた。 「ああ、あの子が!……あの子が!」  息子の妻は湯を沸かし茶を立てる。その横で楽しそうに皿を洗い、そして客を呼び込んでいるのは、大きくなった彼らの子供たちだ。  息子は故郷へもどったのだ。自分の家族を連れて。そして、茶館を立て直し、父の掲げた看板を構え、店を復興させた。  蝋燭は最後の炎を激しく燃やす。抱き合い、幸せの涙を流す彼らはその目に愛しい光景を焼き付けるように目を見開いている。  炎が消える刹那、孫たちがこちらに手を振ったように見えた。
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