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「……起きたか。買い物ご苦労だったな、迷わなかったか」
叔父は向かいのソファ足を組んで座っていた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「いえ、地図が分かりやすかったので」
「なら良かった。よく俺の好きなチョコが分かったな。ジャックに聞いたのか?おしゃべりだからな、話し始めるとなかなか帰れないから困ったもんだよ、まったく」フッと思い出したように笑う。
「昼ご飯はちゃんと食べったのか」
「クロワッサンと卵を」
「もっと食べろ。やせすぎだ。冷蔵庫にいろいろ入っているだろ、腐らせてしまったらもったいない」
「善処します……」
「ああ、そうしてくれ。今オーブンでチキンを焼いてるから、もうすぐしたら晩御飯にしよう」
それからしばらくは穏やかな日を過ごした。
雨の日は読書をして一日を過ごした。雷の鳴る日には窓から荒れた海を見た。粉雪の舞う日もあった。晴れの日には散歩をして、買い物をすれば店主のジャックさんからたくさんの話を聞いて、ずいぶんフランス語も上達した。初めは少し気難しそうに見えたブーランジェリーの店主ともいつしか言葉を交わすようになっていた。
相変わらず日中は診察室にこもっている叔父との会話は少なかったが、当初の緊張感は薄れ、診察の合間に患者さんからいただいたお菓子を友にコーヒーブレークに誘ってくれることもあった。
この静かで、安全な生活になじめばなじむほど、帰国の日が近づいてきていることから目を背けることが難しくなってきた。
一時的な逃避だった。冬休みが終われば、寄宿学校で目立たないように息をひそめて卒業の日を待つ日々に戻る。
春にはトーマスおじさんとエヴァは結婚するのだろう。法律的に僕の親族になる。もう逃げられない。
今まで以上に顔を合わせる機会は増えるだろう。トーマスおじさんは僕の父親のような人だ。次男の僕にも父に代わって愛情をくれた人。僕はこれから傷つけることになるのだろうか。
これからもエヴァは僕を脅して関係を迫るのだろう。誰にも言うことができない弱い僕の事を分かっているから。
僕はずっと良心の呵責に苦しみながらも罪を重ね続けることになる。
そんな未来に希望なんて一筋もない。
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