コバルトブルーの断崖

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  「逃げる場所なんてどこにもありません」  風に消されてしまいそうな弱々しい声しか出せなかった。 「ルイス、ここに来てから、発作も起こさななかったし、食事も普通にとれるようになった。健康状態は問題ないだろう。戻れそうか?今までの生活に」  僕は視線だけを下に向けた。叔父の目は真っ直ぐに僕に向けられているのが分かる。 「喘息というよりお前の問題は心の方だろ。今はストレスのある環境から離れて状態がよくなっているかもしれないが、無理をすればまた同じようなことになる可能性もある。もし、お前が望むならもうしばらくこの島に残っても……」  「大丈夫です。僕は戻ります」  叔父の言葉を最後まで聞かずに否定した。自分に言い聞かせるように。  思いがけない提案は迷いを生んだ。この時間が止まったように穏やかな島で暮らしていけるのならどんなにいいだろうか。でも、今感じている幸せは夢のような期間限定のものだと気づいてしまっているから。過去にこの島へと流された人たちと違って、僕には戻る方法があるのだから。自分自身の過去や記憶からはどれだけ距離を置いても、時間を置いたとしても逃げられない。岩壁を波が削り取る様にいつかは消えてくれる。そんなのは幻想だと。薄れたとしても、ふいに鮮明に蘇る。叔父のように向き合うしかないのだ。 「……そうか」と、叔父はそれ以上引き留めてくることはなかった。  辛くて苦しくて、自分が嫌いでたまらなくなることばかりの日々が待っていたとしても、僕はここに残ることを選択するわけにはいかない。僕はまだ家族の一員でいたかった。たとえ兄のスペアとしての役割だけだとしても、父の望むとおりの道を歩いていたい。必死に歩いてきたのだ。もう戻ることはできないくらいに。
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