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 もうじき春。  相変わらずグレイスはいい顔をしないけど、あたし達がスタジオに入っているのはチェックに来る。  あたしの入院中、たぶんお見舞いに来たくて仕方なかったであろう沙都と沙也伽は…それでも、今はあたしの分も自分達がバンドで前に進まなきゃ。と、個人練を繰り返していて。  久しぶりのスタジオで、二人の上達ぶりはあたしの度胆を抜いた。  それは…本当にいい具合に…  あたしの闘争心に火をつけてくれた。  ずっとノンくんとボイトレとギターの特訓を繰り返して。  スタジオでは、ノンくんのボーカルで練習して来て。  あたしは…一つの提案をしてみた。 「ねえ、みんな。」 「ん?」  三人が、あたしを見る。 「ボーカルの事なんだけど…」  あたしがそう切り出すと。 「…今は練習だからって事でこういう形取ってるけど、俺はおまえの歌じゃないと弾かないっつっただろ。」  ノンくんは即…低い声で言った。 「うん。それは、ありがとう。でも…ここんとこ、ずっと考えてたんだけどさ…」 「……」 「ツインボーカルで、どうかな。」 「……え?」  三人は、キョトンとした顔であたしを見た。 「あたし、グレイスが言ったのも分かる気がするんだ。DANGERのサウンドには、ノンくんの声が合ってるって。」 「でもおま」 「聞いてよ。」 「……」 「うちのバンド、すごいや。って、Live aliveの時に思った。」  そう…。  あの時あたしは、この四人でバンドをやってる事が、誇らしくてたまらなかった。 「楽器が出来るだけじゃなくてさ…コーラスもバッチリ。四人とも歌えるんだよ?」  複雑なベースラインを弾く沙都も、激しくドラムを叩いてる沙也伽も。  コーラスに参加する曲が結構ある。 「それって、うちの強味だよね。しかも、本気出したノンくんがボーカル取って、それにもっと上手くなる予定のあたしもボーカルして…何なら、ギターソロだって二人で弾けちゃう気がする。」  そう考え始めてからのあたしは…どの特訓も楽しくて仕方なかった。  退院してすぐは、普通の生活に慣れるように。って、いきなりスタジオには入らなかった。  朝起きて、まだ居てくれる母さんの作った朝食をみんなで食べて。  みんなを送り出した後、掃除をしたり、母さんと散歩に行ったり食材の買い出しに行ったり。  それからの時間は、一人でリビングでギターの練習をした。  焦らなきゃいけなかったけど、焦ってはなかった。  あたしは…楽しんでなんぼ。って性格なんだ。  出来る事を楽しまなきゃ、あたしじゃない。  だったら…って。 「あたし達、あたしのせいでダメ出しされたけど、結局はみんな…いい方向に進んでるよね?」 「うん。」  沙都が笑顔で答えてくれた。 「僕…ずっと楽しくやって来たけど、今はもっと楽しいって思ってる。まだグレイスには認めてもらってないけど…それでも、認めてもらえない気はしないんだ。」  笑顔の沙都に続いて。 「うん…あたしも思うよ。確かにノンくんの声、合ってる。だけど、あたし達にとっては、紅美の声あってのDANGERだからね。ツインボーカルにツインリード…いいんじゃない?紅美次第だけど。」  沙也伽は、あたしにプレッシャーをかけながら言った。  ノンくんは…ツインボーカルがおもしろくなかったのか… 「…悪い。ちょっと休憩入れてくれ。」  そう言って…ギターを下ろすとスタジオを出て行ってしまった。  あたしはノンくんを追ってスタジオを出て。 「ノンくん。」  その背中に声をかける。 「ごめん…ボイトレの時に先に相談すれば良かったのかもだけど…」  だけど、ノンくんは足を止めない。  あたしに背中を向けたまま、ズンズンと歩いて行ってしまう。 「ちょ…どこ行くのよ。」  椅子が並んでる、休憩出来るような場所はとっくに過ぎてしまって。  なのにノンくんの足が止まらないのが…不安になって。 「待って。」  あたしは走ってノンくんに追いつくと、腕を掴んで前に回った。 「……え?」 「……」  ノンくんはくいしばって…あたしが掴んでない方の腕を上げて。  シャツの袖で…涙を拭いた。 「な…なんで…?」 「…はっ…」  ノンくんは小さく笑って鼻水をすすると。 「…悪い。ちょっと…感動と自己嫌悪が一度に来た。」 「…感動と自己嫌悪…?」 「情けねーな。みっともないし。だから…悪いけど、ほっといてくれないか。」  ノンくんはそう言ったけど… 「…ダメ。」  あたしは、掴んだ腕をぐい、と引っ張って。 「ちゃんと話してよ。」  ビルの外にある、赤いベンチに並んで座った。  ベンチの裏には、Deep Redが何かの賞を獲った記念日の入った小さなプレートがあって。  この事務所って、どんな形ででも栄光を残してくれるんだなあ。なんて、ちょっと笑えた。 「さ。なんで感動と自己嫌悪?」 「……」 「情けないとかみっともないとかじゃないよ。あたし達、仲間じゃん。」 「…ふっ…」 「何よ。」 「いや…そうだな。」  ノンくんは観念したように溜息をつくと。 「俺は…おまえの歌じゃないと弾かない。そう決めてたし…沙都と沙也伽にももっと上達して欲しいって、スパルタでここまでやって来た。」  話し始めた。 「うん。」 「正直…あいつら泣きそうな顔してる事も多かったし…俺はどうしても成功したい反面…自分のエゴに付き合わせてるような感覚になり始めてさ。」 「……」 「生まれて初めて…ちゃんと頑張りたいって思った。だけど…俺が頑張ると、みんなが頑張って埋まっていいはずの差は…縮まるどころか広がる気がした。」  …なるほど。  嫌味じゃなく、ノンくんは本当に上手い。  Live aliveのDeep Redのステージには。  SHE'S-HE'Sの朝霧光史さんと、F'sの浅香京介さんが、Deep Redのドラマーであるミツグさんのサポートとして、出演した。  ミツグさんが大御所だとしても…あたしから見たら、光史さんも浅香さんも大ベテランで。  そんな人達と…ノンくんと、映ちゃんは、それぞれギターとベースでステージに立った。  そして…ノンくんは。  あの世界のDeep Redのマノン…朝霧真音さんを挑発するようなソロを弾いて。  マノンさんは、『久しぶりに血が騒いだ!!』って…二人のソロ合戦は、会場を興奮のるつぼにした。  あれを見て…ノンくん、あんなに弾けるんだ。  って…正直思った。 「俺は、昔から…どこか…人に合わせて上手くいくなら、それでいいって思う所があってさ。」 「…うん。」 「だから、DANGERも…俺の立ち位置はそれで十分って、そんなつもりはなくても…どこかで思ってたのかもな。」  ノンくんが見上げた空を、あたしも見上げる。  今日は雲が多くて、青空は見当たらない。 「俺が実際そうされたら…仕方ねーよ。差があるんだから。って、たぶん思うだろうけど…みんなには思われたくないって言うかさ…他の誰に思われるのは良くても、紅美たちには思われたくなくて。」 「…うん。」 「実は、こっち来てずっと…葛藤してた。」  ノンくんは膝の上で組んだ指に目を落としたまま、小さくそう言った。  …こっち来てからずっとだなんて…  ノンくん、バカだよ。  こっち来てから…なんて言いながら。  きっとノンくんは、ずっと思ってたはず。  小さな頃から。  だけどあたし達に対して…本気になってくれたからこそ、今こうして…その葛藤に涙を流してくれた。 「…早く言えば良かったのに。」  前に伸ばした足の靴先を見ながら言う。  何となくだけど…ノンくんとの心の距離が近付いた気がした。 「言えるかよ。」 「言えよ。」 「バーカ。」 「で…感動は?」  あたしがノンくんを覗き込みながら問いかけると。 「感動は…」  ノンくんは少しだけ伏し目がちになって。 「…紅美はいつも前向きだな。って。」  苦笑いしながら言った。 「…それが感動?」 「俺は楽な方を選びがちだけど、おまえは辛い中でもそれに楽しさと夢を見出す。」 「……」  合わせる事が楽だなんてさ…  ノンくん、もう…そういうのに慣れちゃってたんだな。って思った。  自分の全力を抑えて、誰かに合わせる事が、楽……なわけ、ないじゃん‼︎ 「ツインボーカル?ツインリード?俺、考えもしなかったぜ?」 「…反対?」  あたしが目を細めて言うと。 「……」  ノンくんは、黙ってしまった。 「……言ってよ。言わなきゃ分かんないよ。」  ノンくんの腕を、ペシッと叩く。 「いてっ。」 「ほら、早く。」 「……」  ノンくんはもう一度、空を見上げた。  すると、雲の隙間から少しだけ光が射して来て。  あたし達が眩しそうにそれを見てると…雲が風に流されて、青空が顔を覗かせた。 「俺は、正直…今もおまえのボーカルで弾きたいって気持ちが強い。だから、ツインボーカルって言われると、戸惑いの方が大きい。」 「…うん。」 「だけど…やってみない手はないのかな。とも思う。紅美と俺で、化学反応的な何かが起きれば…それが強味になるのは間違いないし。」 「…うん。」 「でも、普通さ…こういうのって、試してから言わないか?」  そう言ってあたしの顔を見たノンくんは、久しぶりの優しい笑顔で。  それが…あたしを笑顔にした。 「ははっ…ほんとだ。」 「だろ?」 「でも…高原さんだって、歌を聴かせてないのにDeep Redに入れてくれって頼んだって言ってたじゃない。」 「あの人と俺達を比べるなよ。」 「大丈夫だよ。ノンくんとあたしの声なら…最強だよ。」 「……」  ノンくんは無言であたしの頭をポンポンとしながら小さく笑って。 「…ほんと…おまえのそういう強気なとこ…救われる。」  らしくない事を言った。  何だか飄々としてて、掴み所がないなって思ってたノンくん。  本当は弱音吐きたい時だってあるよね。  …これからは、そういうのも気付いてあげたいって思った。 「あたしだって、ノンくんに救われまくりだよ。」 「……」 「あたし達をさ、もっともっと信用して、もっともっと引っ張りあげまくってよ。」  あたしも、ノンくんの頭をポンポンとしながら言った。  すると… 「そういう話は、二人だけじゃなくて、全員でしない?」  後ろの窓が開いて、沙都と沙也伽が顔を覗かせながら、頬を膨らませた。
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