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 名刺に書いてある住所は、以前住んでたアパートから2ブロックの場所にあるビルだった。  どちらかと言うと治安は良くなさそうで、ガラの悪い連中が集まってるイメージ…  …こんな時間にそこに行ったら、たぶんあたし…叱られるよね。  って思ったけど。  空ちゃんに後押しされた。  地下鉄に乗って、その街に行って。  一応、気を付けながら…そのビルにたどり着いた。  玄関でブザーを鳴らしてみる。  …けど、無反応。  留守…かな…。  何となく、ここまで来たら帰りたくなくて。  あたしは、屋上に上がってみる事にした。  海くんの住んでる街を…見渡してみたい。  エレベーターは屋上まで行かなくて。  その下の階から、階段で上った。  開いたままのドアから屋上に出ると、意外と周りのビルが低くて、ここは空に近い気がした。  どこからともなく立ち上って来る煙とか。  車の騒音。  誰かの怒鳴り声。  そんなのを聞きながら、あたしは空を見上げてみる。  …星、きれいだな…  ゆっくりと屋上を歩き始めると… 「……」  フェンスに持たれて…タバコを吸ってる人がいる。  あたしには、それが…海くんにしか見えなかった。  あのシルエット…そうだよ。  ふいに、桜花の屋上を思い出す。  あの頃も…こうやって、海くんは…何か悩みがあると、屋上でタバコを吸ってた。  ゆっくりと近付いて… 「…先生、何悩んでんの?」  声をかける。 「………おまえ…」  やっぱり。  海くん…。 「…見事だな。足音もたてずに。」 「…あたしが敵なら、やられてたね。」 「……」  海くんが、小さく笑った気がした。  …こんなやりとり…  昔あったよね…。 「…空か。」 「うん。」 「…ったく…」  海くんはそばにあった灰皿にタバコを捨てると。 「送ってくから、帰れ。」  あたしの腕も取らずに…歩き始めた。  …帰るわけないじゃん。  しばらく歩いて行った海くんは、仕方なさそうに振り返って。 「おい。」  低い声で言った。 「…いいじゃん。ちょっとぐらい。」 「良くない。」 「なんで。」 「邪魔だ。」 「……」  そう…即答されると、ちょっと…へこむ気もしたけど。 「…じゃないクセに…」 「あ?」 「邪魔なんかじゃないクセに。」  あたしは、ツカツカと海くんに歩み寄って言う。 「あたし、こっちでのデビューが決まったの。だから、海くんに報告したかった。おめでとうって言ってほしかった。」 「…おめでとう。」 「お祝いしてよ。」 「それは知らない。さあ、帰るぞ。」  グッと、手首を掴まれた。 「やだ。」 「…紅美。」 「いやだ。」 「…いい加減にしろ。」  その…低い声に、あたしは少し…ゾッとした。  あたしの知ってる限り…海くんは知ってる誰かに対して、こんな声をしない。 「……」  黙ったまま、海くんを見つめる。 「頼むから…もう俺に関わらないでくれ。」 「…あたし、言ったよね。あたし、海くんの事好きだか」 「やめろ。」  海くんの低い声は、変わらなかった。  あたしに…好きって言われたくない…って事? 「……」 「……おまえの事を考えると、仕事が手につかなくなる。」 「…え?」  ドキッとした。  それってー… 「でもそれは、愛とかそういう想いの事じゃない。おまえに対する罪悪感が強すぎて…気持ちが落ち着かない。」 「……」  勘違いしそうになって…釘を刺された。  あたしは言葉を失って、ただただ…唇を噛みしめる。 「俺は二階堂を…変える立場にある。仕事だけに専念したい…」 「……」 「俺が悪い。全部俺が悪い。だけど、頼む…もう、俺の中から…」 「……」 「…消えてくれ…」  嫌いでもいい。  そう…思ってはいたけど…  実際…こうやって…口にされると… 「…そっか…あたし、とんだ邪念になってたんだね。」 「……」 「罪悪感とか…海くん…バカじゃない?」 「……」 「ほんと…バカだよ…」  おまえの事考えると、仕事が手につかなくなる…ってさ。  普通、そんなにあたしの事好きなの?って…思っちゃうじゃん。  俺の中から消えてくれ…だなんてさ。  今、あたし…すごい事言われた。  ほんと…すごい…  へこむ…。 「…なら…あの時、話したいなんて…」  今更なのに。  あたしは、温泉で会った事を持ち出した。 「話したいなんて、言わなきゃ良かったじゃない。あれで、あれで…あたしは…好きって再確認したし…」 「…そうだな。もう、おまえも終わった事にしてくれてると思ったから…。でも、話さなきゃ良かった。」 「……」 「頼むから、帰れ。」  海くんの声には、ためらいがなくなった。  本気で、あたしを帰らせたがってる。  本気で、あたしに消えて欲しがってる。 「…分かった。帰る。」 「そうしてくれ。」 「…一人で帰る。」 「…分かった。」 「……」  泣かない。  泣くもんか。  だけど…  笑顔なんて…絶対無理。  涙も笑顔も。  ーきっと、海くんの罪悪感を、もっともっと大きくする。  あたしは無言で海くんから離れると。  一度だけ…夜空を見上げた。  すると、それにつられたのか…海くんも、空を見上げた。  …忘れない。  最後に…一緒に見た夜空。  海くんは、夜空を見上げたままだった。  あたしは…そのまま、静かに屋上を後にした。  バイバイ。  今度こそ…  バイバイ。  海くん。
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