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 こっちに来て紹介されたプロデューサーは、グレイスという36歳の女性だった。  若いし女性だし…って、ちょっと面食らったけど…  彼女が手掛けたアーティストの名前を聞いて、納得した。  …全部、成功してる。  あたし達のデビューは…この、グレイスにかかってる。  一応、ちさ兄がビートランド一押しって事で紹介してくれてたから、グレイスも音源を聴いて…納得してからの…あたし達の渡米となった。  これから、こっちでも地味に知名度を上げるべく、あたし達はいくつかのライヴや、地元のローカルなラジオ番組に出演しなくてはならない。 「Deep Redもこういうのしてたのかな。」  ノンくんがスケジュール表を見ながら言った。 「じいちゃんが言うには、スカウトされて来たから、あまり下積みっぽい事はしてないって。」 「…本当に、世界のDeep Redだね…」 「ま、あたし達はあたし達のやり方で頑張ろ。」  まさか…  こんな夢を見るなんて思わなかった。  みんなとの楽しい時間が続けばいいなって。  あたしの夢は、そんな漠然とした物でしかなくて。  だけど…自分の生い立ちを知って苦しんだり。  慎太郎や、海くん…それに…沙都にもノンくんにも…恋と、恋じゃない何かと。  …あたし、自分で首絞めてるよね。  しっかりしなきゃ。  これは…みんなでなきゃ叶えられない夢。  …うん。 「もうクリスマスだねー。」  事務所の帰り。  約束通り、沙也伽とカフェに寄った。  当然、沙都はついて来たそうだったけど。 「女子トークに普通の顔して入ろうとするな。」  って、ノンくんに首根っこ掴まれて、引きずられて帰って行った。 「プレゼント送ったの?」 「うん。希世はいいって言ったけど、気持ちだからね。」 「確かに。」  街のあちこちにイルミネーション。  …海くんの部屋から、眺めた事があったっけ…  朝子ちゃんから、婚約解消を聞いて。  そして…温泉で海くんに会ってしまって…気持ちが膨らんだ。  海くんはあたしを拒絶したけど…あの時の別れに比べたら、苦しくもなんともなかった。  無理矢理気持ちを押し殺したあの時。  今は…想うぐらい自由だよね。 「あのさ。」  沙也伽がカプチーノの泡を口につけたまま顔を上げて、つい小さく笑ってしまう。 「笑った。」 「だって。」 「わざとよ。」 「……」  沙也伽はペロリと泡を舐めると。 「こっち来て…なんか、中途半端じゃない?」  真顔で言った。 「…え?」 「心ここに非ずって感じ。」 「どういう事?あたし、集中してやってるけど。」  少しムッとして答えると。 「ほんとに?小田切先生の事ばっか考えてない?」  沙也伽は…今までになく、厳しい声。 「……そりゃ…少しは考えるけど…ばっかって事はないよ。」  ドキドキした。  あたし…そんなに…態度にも出てる…? 「一年半しかないんだよ?」  沙也伽は指を組んで、あたしに顔を近付けた。 「…分かってる。」 「紅美は分かってないよ。」 「分かってるよ。」 「……」  つい、乱暴な口調になってしまった。 「…ごめん…」  小さく謝ると。 「…一年半しかないんだよ。毎日、そうやって考えてるだけなら、一日も早く会って進めば?」  沙也伽は、相変わらず真顔で言った。 「……は?」 「せっかく同じ街に来てるんだから、早いとこ決着つけなよ。」 「……」 「あんた、ただ好きで、それだけでいいって顔してない。」 「……」 「沙都のためにも、ノンくんのためにも、あんたが動いて…あんたが決めなきゃ。」  あたしは…この沙也伽の言葉に、電流が走ったみたいな気がした。  ただ好きで、それだけでいいって顔してない。  …そう…そうなのかもしれない…  朝子ちゃんとは終わった。  でも、海くんはだからってあたしを選ばない。  分かってる。  …そう、言い聞かせて…  だけど。  振り向かせるほどの愛を…あたし、持ってるんじゃないの…?  まだ、あの日の事、あの夜の事を思い出すだけで…海くんの事、愛しくてたまらないよね…?  あの浜辺で、海くんは…すごく冷たい声だった。  彼自身…もう、恋だの愛だの結婚だの…そんなのにはうんざりしてるかもしれない。  だけど、その気持ち…あたし、とかしてあげられないかな… 「そうだよね…あたし、二人に普通にしてても…それだけで思わせぶりになる事あるもんね…」 「あたしにも普通に見えるけど、沙都はどんな小さなことも見落とさないし、ノンくんはいいように解釈しちゃうからさー…」 「……」  沙也伽、よく見てるな… 「あたしさ…あんたが家出してる時に妊娠したじゃん?」 「うん…」 「身内以外で、初めて妊娠を話したのって…小田切先生…海くんだったんだよね。」 「え?」  それは…初めて聞く話だった。  希世のファンにいじめられて、学と沙都に助けられてたってのは聞いたけど… 「保健室で吐いてたあたしに『つわりか?』って、真顔で聞いてくるしさ。察しのいい男なのに…あんたの話聞いた時、なんで紅美の時には気付かなかったんだよ。って、ちょっとムカついた。」 「あー…あたし、まだつわりとかの段階じゃなかったしね…」 「…すごく、いい人だと思う。」 「……」 「だから…先生にも、自分の気持に正直になって欲しいって思う。」  海くん。って呼び方に、どうしても慣れないのか。  沙也伽は『先生』に戻した。 「…でさ。」 「ん?」 「前から気になってたんだけど。」 「うん。」 「先生、ヤクザなのにこっちで仕事って、何してんの?」 「……」  そ…そうか。  表向き、ヤクザ。  沙都は…知ってるけど… 「ごめん…これ、あたしからは言えないから…」  あたしがそう言うと。 「…ま、そうか。人の事だしね。」  沙也伽は首をすくめて…一応は納得してくれた。  いつかは…表向きヤクザって事も無くしていきたいって聞いたけど。  どうなんだろう。 「クリスマス、オフだよね。どうすんの?」  あたしが聞くと。 「ジャンクな物買って、部屋でスカイプ三昧。」  沙也伽は楽しそうにそう言った。
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