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〇二階堂紅美  もうすぐ二月。  足元がツルツルだけど、凍りそうに寒い朝だけど。  何だか今日は外を走りたくて。  あたしはまだ暗い内から外に出た。  最近体が軽いのは、トレーニングの賜物なのかな。  それと…充実した食生活と…グレイスやノンくんの厳しい指摘に耐えられるぐらい考え方を変えられた事。  打たれ弱かったあたしは、今や打って来るものに打ち返す勢いだ。 「ふー…さむっ…」  手袋はしてるものの、手がかじかむ。  息を吹きかけながら軽くストレッチをして駆け出した。  この街は、どの時間でも人がうろついてる。  治安は中の上ぐらいだけど、全く危険じゃないとも言えない。  自分の身は自分で守らなくちゃいけない。  だから、走るコースもなるべく表通りの明るい道を選んだ。 「!!」  2kmほど走った所で、突然目の前に車が停まった。  周りには、あたしを含めて…7~8人がいたと思う。  急に停まったその車から慌てて降りてきた男は、あたしの左前方にいた女性の腕を掴むと。 「来るな!!こいつを撃つぞ!!」  後ろからやって来た車や人に向かって叫んだ。  …え?え?  これって…何?  映画のロケ…とかじゃない…よね?  辺りは騒然として、だけど…あたしを含めて5人は逃げ場を失ってた。  と言うのも…  車が停まった反対方向に…仲間がいた。 「新しい車を用意しろ。警察車両は全部他へ移せ。さもないと、こいつら全部殺す!!」  あたしは…こんな時なのに。  のんきな事を考えてた。  …海くん…来てくれないかな…  なんて…。  て言うか…  この状況、どうにかしなきゃ。  あたし、こんな所で死ぬわけにいかない。  デビューだってしなきゃいけないし、何はともあれ…本当は真っ先に海くんに会いに行きたい気持ちだったけど…  バンドが中途半端な時にそれはないな。って。  ちゃんと、進み始めたら…考えようって思ってた。  今は、バンドの事。  なのに…この展開…  あたし、ちょっと期待しちゃってる。  いや、ダメだよ…  人の命がかかってんだから…  銃を持った男は一人…  あたし達の後にいる仲間…三人は、ナイフしか持ってない。  オリンピック柔道で世界一になった早乙女さんに習ってたあたしだけど…それも昔の話。  それに、サボりまくってたし。  人を巻き込む事になっちゃいけないから、下手に動くまい…  それにしても…寒い。  走って少し汗をかいた所だったから、余計に体が冷える。  風邪ひいたらどうしてくれんのよ…  そんな事を考えながら、ふと…上を見た。 「……」  上に…人がいる。  ビルの上から、ロープをつたって降りて来てる。  いや…それ…危ないんじゃ…  って、あたしが見てちゃダメか。  慌てて視線を他に向ける。  誰も…気付いてないよね…  頑張って!!上の人!!  なぜか全面的に警察を信用してるあたし。  それが警察なのか、二階堂なのかは知らないけど。  ただ、何となく…大丈夫な気がして、のんきに構えてたんだけど… 「おまえ、こっちに来い!!」  隣にいた女性が乱暴に引っ張られて。 「ちょっと!!そんな乱暴にしないでよ!!」  つい…大声を上げてしまったあたしは… 「うるさい!!黙れ!!」  ナイフで、切りつけられた。  周りで悲鳴が上がる。  あたしの左腕から…血がしたたり落ちた。  ……痛くはないけど…熱い感じ。  これ、おニューのジャージなのに…って、また関係ない事考えて… 「…何…すんのよ…」  頭に、血が上った。 「何すんのよー!!」  あたしを切りつけた男に回し蹴りをくらわすと。 「今だ!!」  その騒ぎに、銃を持った男が振り向いたせいか。  警察は、その男を取り押さえて。  上からも人が降りて来て。  現場はあっと言う間に…犯人逮捕の賑わいに変わった。 「手当をします。車に来て下さい。」  上から降りてきた男の人に、そう言われて。  そう言えば、切られたんだっけ…って、自分の腕を見た。  ああ…母さんに叱られちゃうよ…  こんな時間に走りに出るなって言われちゃうよね…  そんな事を考えながら。  あたしは、その人について車に向かった。 「日本の方ですか?」  さっきまでは英語だったけど。  車で手当てが始まった途端、日本語で話しかけられた。 「はい。」 「…縫った方がいいと思うので、このまま病院に向かいます。」  えー…縫うの?って思ったけど。  最近は縫う方が傷が薄いって聞いたしな…と思って、言う事を聞く事にした。 「お名前聞いてよろしいですか?」 「…二階堂紅美です。」 「えっ?」 「え?とは?」 「あ…いえ、陸さんのお嬢さんですね?」 「て事は、あなたは二階堂、と。」 「はい。富樫と言います。」  富樫さん。  初めて聞く名前だ。  富樫さんはかなり車を飛ばして病院に向かった。  そして、到着するとすぐさま… 「何としても、傷が残らないように丁寧に縫合お願いします。」  すごく…焦った感じでそう言った。 「あ…あの、あたしがでしゃばったんで…自業自得なんで…」  申し訳ないな…って思いながら、富樫さんに頭を下げる。 「いえ、あなたの勇気ある行動がなかったら、もっと長期戦になってました。お年寄りにあの寒さは耐えられなかったと思います。」  …そう言えば、五人中二人は年寄りだったな…  携帯が鳴って、富樫さんが廊下に出る。  あたしは腕を出して初めて、結構な傷がある事に気付いた。  お医者さんは、手早く…だけど丁寧に縫ってくれて。  幸い痛みもそんなになくて…  だけど、痛みにビビりなあたしは、一応痛み止めをもらって帰る事にした。  あたしが薬をもらってロビーにいると… 「車で送ります。裏の方へどうぞ。」  富樫さんが、そう言ってくれた。 「あ、ありがとうございます。」  …海くんの事…聞いてみようかな…  なんて思ってると。 「富樫、ここはもういい。」  背後から…低い声…と共に。  あたしの肩に、コートがかけられた。 「は。分かりました。ボス。」  顔だけ振り返ると…そこに…海くん。 「……」  声が出なかった。  海くんは、あたしと視線を合わさず…ただ、背中に手を当てて…車に誘導してくれる。  久しぶりに見た…黒ずくめの海くん…  あたしの心臓…壊れそうなぐらい音…出てない…?  駐車場に出て、海くんは…後部座席のドアを開けた。  …助手席には、座らせない…と。  まあ、いいけど…  おとなしく乗り込んで、おとなしく座った。  海くんは車を発進させて…無言のまま、10分。  あたしが言ってもないのに…アパートの前にたどり着いた。 「……」  ドアを開けられて…無言のままだけど、海くんの顔を見上げた。  すると… 「麗姉来てるんだろ。状況を説明する。」  相変わらず…目は合わさずに。  低い声で、それだけ言うと歩き出した。  先に歩いてく海くんの背中を見つめながら…あたしは、ゆっくりと歩いた。  もう、通勤や通学で人が行き交ってて、たぶん、朝の食卓にあたしがいない…って、ちょっとした騒ぎになってやしないかな…って。  少し心配になって来た。  だけど… 「ああ、紅美!!」  階段を上がる前に…母さんが駆け下りて来た。 「大丈夫なの!?」 「え…?」 「こっちの本部から電話があったのよ。紅美が怪我をしたって…海くん、色々迷惑かけて…」 「迷惑はかかってないけど、あんな時間のジョギングはいただけない。」  海くんは、淡々とそう言った。  …しかも、母さんに。  なんであたしに言わない…? 「じゃ、俺はこれで…」  海くんが帰ろうとした、その時… 「紅美ちゃん!!」  沙都が階段を駆け下りて来て。 「あ…」  海くんを見て。  足が止まった。  …そう言えば、沙都…知ってるんだっけ。  どうして知ったのか…聞くの忘れてたな…。 「…え…えっと…」  沙都は…少しテンパったのか。 「えっと…お、おはよう!!久しぶり…海くん…!!」  変なテンションで、そんな挨拶をした。 「…久しぶりだな。」 「う…うん…」 「……」 「……」  今度はそこへ… 「あっ!!小田切先生!!」  …沙也伽が来た。  つい…額に手を当ててしまう。 「沙也伽ちゃん…それ、懐かし過ぎる…」  沙都が目を細めて苦笑い。 「えーっ、何それコスプレ?マフィアみたい。」  沙也伽…あんた…目が笑ってないよ…。  そうすると…当然… 「紅美。」  階段の上から。  低い声が聞こえて来た。 「……」  海くんが、無言でそこを見上げる。 「…何…?」 「怪我したって、大丈夫なのか。」 「…うん。縫ったけど…平気。」 「ギター、弾けんのか?」 「うん…平」 「無茶するな。」  平気…って言おうとした所で。  海くんに…遮られた。 「せめて三日は安静にしてろ。」 「……」  相変わらず、海くんはあたしを見てないんだけど…  あたしは、海くんを見て。  それから、ノンくんを見て。  それから…母さんと沙都と沙也伽を見渡した。  ど…どうしたらいいの…  沙都なんて、緊張のあまり…泡吹きそうな顔になってる… 「ま、とりあえずご飯にしましょ。海くん、食べてかない?」  か…母さん!!やめてー!! 「いや、遠慮する。仕事に戻らないと。」 「あら、そう?じゃ、ちょっと外まで送ってくから。あんた達、残さず食べるのよ?」  母さんはそう言うと、沙都と沙也伽の背中を押した。 「あ、コート…」  あたしは、肩にかけてたコートを脱いで、海くんに渡す。  その時…かすかに指が触れて…  初めて、海くんと目が合った。 「っ……」  つい…慌てて手を引っ込める。 「…これで新しいの買え。」  海くんは、そう言ってポケットからお金を出した。  新しいの?  ああ…ジャージか。  腕の周り、ザックリ切れて…中に着てたTシャツは血まみれ。 「…要らないよ。」 「心配するな。経費だ。」 「…あ、そ…」  そうですか…と思って、お金を受け取る。 「あ…コート、血がついてないかな。クリーニングに…」 「気にしなくていい。」 「でも…」 「紅美、早く中入って着替えなさい。そんな血だらけのジャージ、嫌だわ。」  母さんに促されて、あたしは中に入る。  …未練がましい…  海くんはあたしを見ないのに。  もっと声を聞きたいと思ってしまう。  それがどんなに…  冷たい声であったとしても…。
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