知らない人達

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過去を変えることが大変だなんて、誰が言ったんだろう。 「施設のご利用は初めてですか?」 「はい、初めてです」 「では簡単に説明させてもらいますね。」 黒いスーツの男はさも面倒臭そうにため息をつくと、椅子に据わってコーヒーを啜った。 「時空移動装置を利用する者は、仮死状態となります。過去、未来の中で死亡した場合、遺体の回収はされない場合がございます。また、過去に行き未来を変える場合、政治経済…世界的規模の変動を起こした時は終身刑となります。また、そのような変化は処理班がすぐにリセットを行います。未来に行く場合の方が身体への負担は大きいことをご了承ください…と、まぁこんなところですね。」 男は言い切ると、こちらを様子を窺うようにちらりと目線を合わせる。 「大丈夫です。」 「はい、では署名を。」 ペンシルと紙を手渡され、一瞬戸惑ってしまう。 「随分古風ですね…書けました。」 「結局アナログが一番信用できるんですよ…はい 、ではこちらのスーツをつけて…どうぞ。」 案内されるままに初めての触れる素材のスーツを身にまとい、カプセルに入る。 「では最後に確認です、お名前、生年月日、行先、目的をどうぞ。」 「はい…アイザワハクト…二千百十年八月三日生まれ…行先は、十年前二月二日の…埼玉にある実家だ。目的は…兄を…殺した人物を特定して…警察に突き出すこと。」 「はい、確認とれました。…では、力を抜いてください。」 男がカプセルの外で何かを操作すると、謎の液体がカプセル内に充満する。重い、水ではない、何か糊のような粘りのあるものだ。身体が動かせない、閉所恐怖症の人間には堪らないだろう。視界まで奪われ息ができない、苦しい、もしかして、死ぬのかもしれない、多額の金額を奪って人を殺す詐欺だったのかもしれない…意識が持たないかと思ったその時、視界が突然開けた。 「ああ」 思わず声が漏れる。俺は懐かしい実家の庭に立っていた。腕に着けた時計を確認する、ひとつは現在…つまり二千百四十五年四月五日の時間を示している、そしてもうひとつは…二千百三十五年…こちらの時間を示していた。夜の十時半、町はいくつか明かりがともっているのが、目の前にある実家にはあかり一つとして見当たらない。俺は玄関にまわると、ポケットから鍵を取り出して入った。兄が…アイザワマナトが殺されたのは今から十分後の出来事である。堂々と階段をあがり、兄の部屋の前で待機する。大丈夫だ、俺は廊下に掛けてあるバットを握りしめると暗闇で目を凝らした。 兄とは昔から折り合いが悪かった。 一緒に遊んだ記憶なんてほとんど無い。兄は根暗で、友達も少なく、家でも部屋にこもりがちだった。俺が野球をして汚れて帰ってくると何か嫌味をいうような奴だ…だが、見ず知らずの奴に殺される訳にはいかないのだ。根暗で嫌味で気味の悪い奴だが…兄貴なのだ。父親が蒸発した今、兄弟で力を合わせて母親を助けていきたい…そして、いつかは一緒に酒を飲んで肩を組むんだー… ガタ、 階段の下で音がした。下の階には誰もいなかった。つまり、今、この階段を上がってくるやつが…兄を殺した犯人…心臓が痛いほどに鼓動し、全身に緊張が走る。微かな足音はゆっくりと近づくと、何故かすぐそばの角で止まった。 暫し待ってみるが、動く様子はない。おかしい、時計を見ると兄が殺された時間から二分も過ぎていた。なんだ、どうなってる、こちらから行くかー… 一歩踏み出した途端、暗闇の中で相手か動いた。早い、こちらのバットを正確に掴み、奪われる。仕方が無いので、力技で体当たりをして無我夢中で相手の顔目掛けて拳を振りあげた。そのまま体制を崩し、俺と二人絡み合うように階段から転げ落ちる。地面についた瞬間、相手がバット振り上げたことが確認できた。俺は力の限り足を相手の股間目掛けて蹴りあげた。痛みでしゃがみ込んだ奴の顔が、全身が、ゆっくり月明かりに照らされていく。 「俺?」 そこには、青のダサいパーカーを着て、髪を緑に染めた俺が居た。その時、二階から扉の開く音がして、二人びくりと反応する。特に見られてしまっても問題はない…が、ここに居るのは… 二階の音に気を取られているうちに、目の前の男は立ち去ってしまった。俺は呆然と立ち尽くしていたが、階段を降りてくる誰かの足音ではっとする。ここにいてももう何も出来そうにない…仕方がないので時計で信号を送る。向こう側の人間に、俺を引き戻してもらうのだ。 「誰?」 消えゆく意識の中で、若い母親が暗闇で目を凝らしているのがわかった。 元に戻ると、身体が異常に痛いことに驚いた。痛いなんてものでは無い、言葉にならない。 「大丈夫ですか?」 「はぁ…」 「目的は」 「あに、の命は助けました」 「ほぉ、よかったですね」 どうでも良さそうに男は応えると、薬と水を差し出した。 「飲んでください、痛みが消えます。」 すごい、即効性だ。口に含んだ途端、溶けだした薬がすぐに身体の痛みを消し去ってくれた。 「こちらで終了となります。」 そういうと男は出口を指さし頭を下げた。 「あの、」「はい?」 「過去に俺がここを利用したかどうかとかって…」 「利用者記録は過去現在未来に影響を及ぼす事があるので、お答えできません。」 「俺が…でもでしょうか?」 「ご自身のことはご自身で覚えていらっしゃるのでは?」 もう仕事をする気は無いのだろう。男は据わってサンドイッチを食べようとしている。仕方がなく、俺は出口から外に出た。ふらふらと歩いて、近くのベンチに座り込んだ。 あれは、俺だった。しかも過去の俺だ。あのダサい服…もう今は着ていないし、あの髪型も昔気に入ってしていたものだ。でも、なぜ覚えていない?どういうことだ?それに、あれではまるで俺が兄を…。 ゾッとするような考えが浮かんだところで、現在は兄が生きていることを思い出す。そうだ、兄に会おう、ああ、いや…そうだ…俺達は仲が良くないのだ。頭の中の記憶がある書き換えられていく。俺が結婚に失敗して借金をつくったときも、兄は笑って助けもしてくれなかった…それどころか、兄妹の縁を切ってほしいと言い出して、俺を邪魔物扱いしたのだ…そして親父の蒸発も…母の自業自得だと馬鹿にして…兄はいつだって自分勝手に過ごしてきたのだ…。 「くそ…ッ」 まぁいい。兄の命は救えたのだ。やることはやった、とにかく、謎は…過去の俺だ、なぜ記憶がない?俺は初めてのタイムリープのはずだった…絶対に…。 家に帰る頃には、時空移動装置を利用した記憶はほとんど薄れていくようだった。そうだ、過去を変えたことによって、今日の俺は兄を助けるためにあの施設を利用する理由が無くなってしまったのだ。薄れゆく記憶の中で俺はテーブルに向かうとコンピュータを起動させ、寸前の記憶をファイルに閉じ込める。これで大丈夫だ、忘れるはずがない、いや…ああ、そうだ…。ついに忘れてしまった頭で、今記憶したファイルを再生する。そうか、俺が兄を…助けたのか…兄は殺される予定だったのか…過去の俺が…?かなりの謎だな… 暫くファイルの内容を考えていたが、身体がどっと疲れていることに気がつく。なんせ今日は朝から、温暖化対策施設の建設に関わっていたのだ。ほとんどがロボットで賄われるが、鉄骨を組む際、人の手が加わっているものを好む会社が未だにある。そのおかげで、俺のような底辺人間にも仕事がある訳だが…「チッ」つい舌打ちがでた。温暖化対策施設の長は兄なのだ。世界中にある温暖化対策施設。かなりのトップ企業だ。兄は俺が建設で働いていることを知って、わざわざ俺の会社を当てると、人のてで汗水垂らして作って欲しいと頼んだのだ。 「嫌なやつだ…ホントに…。」 気がつくとそのままベッドで眠ってしまった。 鈍いベッドの振動で目が覚める。 コンピュータを起動させて、今日の予定を確認する。「そうだった…」今日は四月六日、ある施設を予約しているのだ。着替えるために服を漁る。青いパーカーがでてきて、顔をしかめた。昔はこのダサいパーカーがイケてると思っていた自分がいたのだ。支度を終えて予約している施設まで歩いて向かう、温暖化が進んでいて四月だというのに馬鹿みたいに暑い。それにしても随分とでかい施設だ、この施設のために俺は次道に金を貯めてきたんだ… 施設に入ると男が色々と説明をする。コーヒーを飲みながら、やる気の無い態度だ。こっちは十年前に殺された兄を救う為に必死なんだ…犯人だって、絶対捕まえてやる…。 「またあいつね」 白いスーツの男が別室から入ってくる。 「あ、お疲れ様です」 コーヒーを飲みながら待機中の男は、座ったまま軽く頭を下げた。 「こいつずっとループしてて、とめてあげたいんすけど、まぁ、仕方がないっすよねぇ。殺人鬼だし。」 「まぁ前回は兄、助かったんでしょ?」 「みたいですね…でもまた昨日から今日までの間に殺されたみたいで。」 「大変だねぇ」 白いスーツの男が憐れむように微笑んだ。 「ほんとですよ…殺したの、未来の自分なのに…しかもわざわざ、過去の自分に成りすまして…過去と未来でずっとやり合ってループしてる。」 男はコーヒーをおくと、こらえ切れずに笑い出す。 「…まぁ、そう笑ってやるなよ。」 カプセル内を見つめていた白いスーツの男は、振り返ると指を立てた。 「そーだ、自分の分身をつくる方法…学会で通りそうだよ…何年か後にはこれが普通になる。」 「ええ!?」 笑っていた男の目が、驚きで一気に見開かれる。 「マナトさんはすげぇな…だって、この時空移動装置の原案って結局マナトさんって噂聞きましたけど…」 マナトと呼ばれた男はあいまいに頷くと、腕をくんで外を見た。 「細胞と血液をつかって、クローンをつくることは…十年前以上前に開発してた…ただ、危険も多かったからなかなか言い出せなくてね。なんせかなり多くの脳細胞、皮膚細胞…その他体液血液を使うもんだから…」 「よく挑戦しようと思いましたね。」 「うん、まぁ、弟のおかげなんだけどね、出来損ないの弟がいてさ、どうも俺を殺そうと企むわけよ…で、もう一匹自分をつくって囮にしようと思ったのがキッカケ…」 「へ、へぇ…?」 男はマナトの言葉を、目を細めて聞いている。 「その頃は色々考えていたよ、馬鹿な人間を閉じ込める檻は何がいいだろう…ってね。頑丈なもの…水でできているもの…真空…」 マナトは一度言葉を切ると、笑って見せた。 「時間の中で閉じ込められるのは、苦痛だろうなぁ。」 そういうと、時空移動装置利用者名簿を手に取ると、ぱらぱらと捲って眺める。 「ああ…そういえば、やっぱりアナログってすごいっすね。過去未来が変わっても、この署名だけは絶対消えないんですよ。」 男がそう言い終わると、カプセルから信号が発せられる。利用者が戻って来る合図だ。 「じゃ、頑張って。」 立ち去ろうとするマナトを、男が呼ぶ。 「あ、名札落ちました…マナトさん…アイザワさんっていうんですね。」 「ん?そうそう、ああ…明日は、温暖化が落ち着きそうだね。」 「え?どういう、」 マナトは男の疑問に応えずに部屋を出ていく。 過去も未来も変えられる。 ただ、覚えていないだけで。
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