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途端、有川は背後にいる彼らに目配せをした。すると少年のような短髪の女が「可能性はゼロです」と答えた。
「どうしてその異変に気づいたのですか?」
「来月のイベントで読み聞かせを行うんですよ。それの候補を選んでいるときに発覚しました」
確かに、先ほど見たイベント告知の中に読み聞かせのものがあった気がする。元アナウンサーがゲスト登場する読み聞かせらしく、ちょっとしたトークショーもあるようだった。
「では、何故書庫に保管したんですか?」
有川がそう尋ねると前島は表情を歪ませた。
「だって嫌じゃないですか。こんな不気味なものを目に見える場所に置いておくのは」
思わず目を細める。一体、あの本に何が起きているのかはわからない。でも、それを汚いものを扱うかのような態度だけは、気にくわなかった。
「ではお借りします」
有川が前島から本を受け取ると中を確認した。背後からのぞき見たわかばは、思わず目を見張る。
中が真っ白だったのだ。イラストだけが残り、肝心の文字が一切なくなっていた。
落丁――というわけではないだろう。購入した際、不備はないか確認する。それに、ここまで真っ白だと逆に消しゴムで文字だけ消されてしまったようにすら見える。
これの一体どこが警備課の出番なのか。文字を盗む者がいるのなら話は別だろうが。
「痕跡はまだある?」
そう言って有川は、先ほど返事をした黒髪の女に本を手渡した。彼女は本を持つと目を閉じた。そして「登録にはない下位階級者のようです。これ以上はわかりません」とだけ口にした。まるで機械のように無機質な声と言葉に、人ではなくロボットではないかとほんの少しだけ思う。
有川は少し考えるような仕草をすると、すぐに指示を出した。
「まだここに痕跡が残っているかもしれない。赤木(あかぎ)・加藤・羽賀(はが)は館内全域の調査。藤崎は稲森さんと一緒にいて」
「えー、俺も探したい。お守りなんて嫌だよ」
子供みたいに駄々をこねる藤崎を有川は一瞥しただけだった。
「無視? 冷たすぎる」
すでに書庫を出て行った三人に続き、わかばも藤崎に連れられ書庫を出る。続いて有川、前島が出てきた。
初日から足手まといだなとため息を飲み込んだときだ。
「あれが、噂にきく文(ふみ)鬼(おに)ですか。――まるで人間ですね」
前島が吐き捨てるように言う声が聞こえて、わかばは思わず眉をひそめた。
先に出て行った三人のことを言っているのは、嫌でもわかる。しかし、フミオニ、とは一体何なのだろう。
汚いものを呼ぶかのような口振りが気になる。そっと有川の顔を盗み見たわかばだったが、有川は驚くほど無表情であった。
「前島さん。言葉には気をつけてください。それと、彼らは警備課の実行員です。本を守るという信念は、我々と変わりありません」
「まあ、そうかもしれないですがね」
前島は書庫を閉め、こちらに向き直ると図書館を調べ回る彼らに目を向けた。心なしか、軽蔑するような視線にわかばの胸はざわつく。
そのときだ。
「かんちょーさんの気持ち、わからなくないけどね」
漂い始めた息苦しい空気を吹き飛ばすような陽気な声が耳に飛び込む。
藤崎だ。
「『化け物には化け物を使う』なんて発想、考えついても下手したら地獄絵図。何もかも失う恐怖と隣り合わせだし。でも、そういう道を選ぶしか方法がなかったのも事実。昔から、人間は自分と違うものを敵視し排除しようとする。それは、人間の性(さが)みたいなものだから仕方がないかもしれないけど――――それを選んだのはお前等だということを忘れるな」
殺気をむき出しにした最後の言葉に、前島は小さな叫びをあげた。聞いていただけのわかばでさえ、背筋が凍る。しかし、内容を理解できていたかと聞かれればそうでもない。
有川は「藤崎」と小さく声を上げる。
藤崎は、「すんません」と反省した様子のない声で答えた。
「前島さん、我々は本を守るために来ています。決して本を食い荒らす獣でもなければ、人に害をなす化け物でもありません。そのあたり、是非ご理解いただければと思います」
有川の静かな抗議の言葉に、前島は無言で頷いた。
一体どういうことなんだろう。
会話の中から察するに、文字が抜け落ちた「星の王子さま」は、誰かが故意に行ったということになる。
そんなことできるのだろうか。
傷一つつけることなく、文字だけを消す――無理だ。データならまだわからなくもないけど、紙に印刷された本だ。絶対にあり得ない。
端から見ても変な顔をしていたのだろう。藤崎がくすくすと笑う。
「わけわからないって顔してるね」
その笑顔からは、先ほどの殺気は想像できない。
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