Ⅰ 文守

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「有川さん、教えてあげてもいい?」  藤崎の言葉に有川は小さく頷いた。  一体何を教えてくれるというのか。  あたりを見回した藤崎は、にっこりと笑みを浮かべたまま、稲森に近づくとその耳に囁いた。  ――俺たちは人間ではない、と。  眉をひそめるわかばの反応を藤崎はおもしろそうに眺めている。  ふざけているのだろうか、そう思ったときだ。 「ふざけてはいないさ。信じられないのもわかるけど、嘘はついていない」  思わず彼に視線を向けた。  心が読めるのだろうか。いや、そんなわけはない。人間ではない、それがどういう意味なのか開こうと口を開いたときだ。 「文(ふみ)守(もり)、これをみてくれ」  先ほど日光が眩しいと言っていた男が、三冊の本を手に戻ってきた。どれも児童書であり、その表紙には大きくイラストが載っていた。  出版元が異なるが、すべて「星の王子さま」だ。  本を受け取った有川は、ぱらぱらとページをめくる。藤崎も一冊手に取った。  一体どうしたというのだろう。  ぱらぱらとページをめくったあと、藤崎は「星の王子さま」をわかばに手渡した。同じようにページをめくる。一見、特に変わったところはないように見える。  だが、言葉を「見る」のではなく「読む」とすぐに気がついた。ところどころ、送り仮名や句読点が消えているのだ。  それも違和感を抱かせない程度の消失だ。こういうものだと言われれば、納得してしまうだろう。  先ほど見た文字が消失した本の存在が脳裏をよぎる。  これも、誰かが意図的に文字を消したというのか。 「まったく、バカだなあ。味見のつもりだったんだろうけど、結局は空腹に負けたってところだろ」  呆れたように言う藤崎だが、わかばの頭の中は疑問符だらけだ。  味見? 空腹? ――まるで文字を食べることができるような言い方である。  もし、それができたのなら間違いなく人間ではないだろう。 「下位階級者なら、こちらの気配を察して隠れた可能性もある。しばらくここには現れないかもしれないわね」  そう言うと、有川は前島の方へ行き、何かを説明し始めた。 「まあ、的確な判断だよね」  つまらなさそうに息を吐いた藤崎は、有川たちの方を見つめながら言う。 「犯人の階級より低い奴が一人でもいれば、話は別だろうけど。今は撤退して策を練り直すのが最善だし」  そう言葉では言うものの、納得していないことがありありと伝わる。正直、未だにわからないことだらけだが、とりあえず本部に戻るらしい。  ほっと胸をなでおろす。  それだけわかれば十分だ。初日からいろいろありすぎで疲れてしまった。  話をつけたのだろう有川がこちらに向かってくる。 「一度引き上げて作戦を練りましょう。皆を集めて――」  そのときだった。 「文守、上位階級の文鬼の気配が近づいています」  声を上げたのは、先ほど本から気配を感じ取った女だった。その瞬間、有川を始め他の者たちの雰囲気ががらりと変わる。場の空気がピンと張りつめた。有川が他の者に目配せをすると、視線を向けられた二人は首を左右に振った。 「外れるのは、加藤だけだな」  ぽつりと有川は言葉をこぼすと、視線をあげる。 「加藤は出入り口で待機。ターゲットの姿が確認できたら合図を。他の者は加藤から距離をとって。決して感づかれないように。いつもの方法でいく」  張りつめた空気の中を、有川の指示が駆け抜ける。有川はすぐに館長の元へ向かい、藤崎を始めとした残り二人もすぐに自分の持ち場へ向かう。 「ほら、稲森さんも有川さんについて行かないと」  藤崎が言う。わかばに声をかけるあたり、まじめなんだろう。  でも、これでいいのだろうか。わかばの胸の奥でもう一人の自分が声をあげる。  本を白紙にしてしまう者がこちらに近づいており、それを捕縛しようとしているのは何となくわかる。  けれど、あと一人にはこのことは伝わっていない。捕縛に連携は不可欠だ。だったら、伝えに行くべきでは。  ――本から文字が消えてしまう前に。 「藤崎さん」 「ん?」 「私、金髪の女性に伝えてきます」  ある意味時間との勝負だ。  背後から藤崎が呼びかけたが、わかばの耳には届かなかった。 「ありゃりゃ、行っちゃったか」  藤崎は小さくなるわかばの後ろ姿を眺めるだけで追いかけようとはしなかった。  二階建ての図書館だが、部屋数はそんなに多くない。すぐに見つかるだろう。  一体、これから何がやってくるのか。利用客もそのまま館内にいることから、危険はないのだと思う。  一体どうやって文字を消すんだろうか。考えながら階段を降りたときだ。
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