彩音さんは推しが好きすぎて辛い。

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「推しの広告が見える」  居酒屋の窓から見えた。  冷たい冬の空と。  私、嶋田彩音は、会社の飲み会で、かなり酔いながら愚痴ともつかない話をしていた。  川瀬(あらた)、今、20代で最も注目されているという、舞台出身のイケメン俳優。184センチの長身で、今やモデルとしても引っ張りだこだ。  少し前に、舞台を偶然見に来た有名脚本家の目に止まり、テレビドラマに出演すると、あっと言う間に人気に火が付いて、今度は朝ドラの出演が決定したらしい。   いきなりの人気急上昇に、気持ちが付いて行かない。私は心が狭いのか。   もちろん嬉しいんだけど。  手の届かなさ過ぎ甚だしい。  何だか泣きたい。    初めての私の推しの、彼との出会いを話そう。  地方から出て来たばかりの私は、東京というものに憧れを抱きつつも、ちょっと気後れしていた。  夜の街。冒険するつもりで、目についたバーに思い切って入ってみた。そこに、彼がいた。 「いらっしゃいませ」  絵に描いたような、都会的な洗練されたバーテンダーに見えた。  テレビドラマで見るような、その場でのオリジナルカクテルを頼んでみた。 「お客様のイメージで、フレッシュなオレンジベースのカクテルです」  グラスにはカットオレンジ。  カクテルは綺麗な2色。上層は薄く、下層は濃い色オレンジ。 「綺麗・・・」  照明が落とされた店内に、スポットライトのように照らされたグラスがキラキラと輝く。  憧れの夢の世界のようだった。  地方から出て来てまだ慣れない都会生活で、友達もまだいなくて。  不安だらけの毎日に。  一際キラキラと輝いて見えた。  そんな事も、彼に話した。  バーカウンターの片隅に置いてあった広告が目に止まる。 『川瀬新』  彼は舞台役者が本業で。  私は芝居を見に行くと約束した。  東京の、目に映るものが全て新鮮に見えた。  その後、店で彼を見かける事は無くて。彼はオーナーの知人で気まぐれ出勤だとかで。  私は、下北沢の小劇場に演劇を観に行った。  そこには、予想以上の熱量で、全力で役を演じる彼がいて。  私はたちまち魅了されて行った。  舞台が終わると、出演者を待っている人達が目について。  間もなく出演者達が登場し、皆に順番に挨拶していて、私も彼に声をかけた。   彼は私に気づいて、 「あ、この間のバーに来てくれた・・・」  覚えてくれていた。 「本当に来てくれたんだ。  ありがとう」  真っ直ぐこっちを見て微笑んでくれて。  それが彼の優しさなのか、それとも罪なのか。  未だに私には分からない・・・。  でも私はそれですっかり舞い上がってしまった。  世界がまるで彼色に染まったみたいに。  それからは何度も彼の芝居に通って。  手紙を書いて手渡して。  その日は近くに誰もいなかったので、  決心したように。  手紙を渡す時に、彼の手をギュッと握って。 「好きです」  って言った。  彼は真っ直ぐにこっちを見て 「ありがとう」  と、言って微笑んでくれた。     少しだけ、手を握り返して。  これは、喜ぶべき事なのか。  それとも交わされたと捉えるべきなのか・・・。  今ではもう、彼の舞台のチケットも手に入らないし手に入ったところで以前のように近付けないだろうし。 「私は振られたんだろうか。  ・・・泣きたい・・・」  居酒屋の窓から見える彼に言ってみた。  好きだった。  今でも応援してるし。  でも泣きたい。 「でもさ・・・」  隣にずっといた同僚の有野奏多(かなた)くんが言う。 「その人、嶋田さんの気持ち、目線を逸らさずに真っ直ぐ受け止めてくれたんじゃないかな?」  そう言われると、何か込み上げて来る物があって、本当に涙が出て来た。 「いい男じゃない。  ちょっと悔しいけど・・・」  気が付いたら、会社の皆は帰っていたらしく、有野くんと二人きりになっていた。 「まあ、今となっては芸能人だからさ。  今度は現実見てみようか。  ・・・俺とか・・・」  その言葉に、少しだけ酔いが醒めて来た。 「今度、二人でどこか行かない?  映画でも、食事でも・・・」  うっかり気を許してしまった。  酔いと、窓から見える川瀬新の広告のせい。  でも、気づいたら、この人はずっと私のつまらない話に一人で付き合ってくれてたんだ。 「有野くん。  そういうのは、酔ってない時に改めて・・・」 「全然酔ってないけど。これ烏龍茶だし。  嶋田さんの飲み方が普通じゃないから、ちょっと心配で見てた」  言われてみれば・・・。  私は、全然周りが見えてないくらいに酔ってて、自分の話ばかりしてたんだ・・・。 「ごめん、話に付き合ってくれてありがとう。  少し、頭冷やしてから、帰るね」  私が席を立つと、彼が 「危ないから、送るよ」  って言ってくれたけど。  またねって別れた。  外に出ると冷たい空気と共に、少し頭が冷えた。  川瀬新の広告を、さっきより少し近くに見上げた。 「やっぱカッコいいし、好きだわー」  って。  そこをグルグル回って抜け出せない。  この気持ちに出口はあるのかな?  多分、ハタから見たら、ありふれたつまらない話。  ちょっと切ないけど、キラキラとした特別な時間をくれた人。  そして。 「悩みを、また増やしてどうするー・・・」  有野くんは、彼は本気か否か。  また考えるのは、  今度にしよう・・・。
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