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「しばらくすると、雨が止みました。さっきまでの大雨が嘘のように晴れ渡りました。
僕は言いました。『すっかり晴れてきましたね』と。そう言ったつもりでした。そう言ったつもりだったのに。
僕はついうっかり、『すっかりはげてきましたね』と言ってしまったんです。
その方は髪が薄くなっていて、それを大層気にしている様子でした。僕自身も、その方の禿げが気になって、つい口を滑らせたといった感が否めません。その方は大変ご立腹になり、すっかり嫌われてしまったのです」
クロード・モネは笑いを堪えきれなくなって、奥の部屋に引っ込んだ。六三郎はげんなりしてその様子を見やる。クロード・モネは本当に子供だな、などと思っている。少年の見た目は仮の姿に過ぎないというのに。
「つまり、『すっかりはげてきましたね』と言ってしまった記憶を消したいのですね。あなたからも、その地主さんからも」
「そう、そうなんです!」
中田は語気を強めた。
六三郎は優しく微笑み、
「それならできますよ。中田さんが持ってきた思い出とも釣り合いますし。思い出のほうも、共有した人間の記憶からもすべて消えてしまいますが、それでも構いませんか?」
と尋ねた。
「構いません。娘はもう自転車に乗れるんですから、記憶がなくても問題ないです」
中田洋平の顔に、笑顔と自信が伺えた。
「それでは、商談成立です」
六三郎が握手を求めると、中田は力強く応じた。
「では、写真は預からせていただきます。さっそく悪い記憶を消しましょう。おい、クロード・モネ!」
六三郎が呼びつけると、クロード・モネは
「はい! ただいま!」
と言って、銀のお盆を持って現れた。お盆の上には太めのろうそくとマッチが乗っている。お盆をテーブルの上に乗せるときに
「商談成立して良かったですね」
と、中田に言ったが、相変わらずにやにやしているので、六三郎はクロード・モネに早く戻るように目で合図した。
六三郎はろうそくに火を付けながら
「覚悟はいいですね」
と尋ねる。
「は、はい」
と答え、中田は神妙な顔をした。
「消したい過去を思い浮かべながら、ろうそくの炎を吹き消してください。過去の嫌な記憶が消えますから」
「それだけですか?」
「それだけです」
中田と六三郎の間で、ろうそくの炎が揺れている。
中田が覚悟を決めてろうそくの炎を吹き消すと、ろうそくは一瞬で真っ黒になり、粉々になって崩れ落ちた。
目の前で起こったことに、中田は声も出ずに驚いている。
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