右剣の少女

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歴史ファンタジー物語【右剣(ゆうけん)の少女】 第二幕 過去の記憶 ***  幼き日、謀反の罪で家族を殺され、行き場を失った少女は、騎士モリスに拾われ、強く逞しく育てられた。  胸の奥に、家族を奪われたことへの復讐の炎を灯しながら、騎士団入りを果たした少女。 彼女の物語は、始まったばかりだった。    *** モリス「我々の存在意義は、弱き者を救い、民を正しく導くこと。決して死体を作りに行くわけではない。……わかっておるのか、アンリ。お前に言っているのだぞ」 アンリ「……はい」  まだ入団したばかりの若き騎士らを前にして、剣豪の騎士モリスは、その心得を説いていた。 モリス「我らは傭兵や軍人とは違うということを、よく心得ておくように。敵を殺すことよりも、傷ついた民を守ることを、一番に優先するべきである。多くの命を救う騎士こそが、真の賞賛に値すると覚えておきなさい」 騎士たち「はい」 モリス「さて、そろそろ夕食の時間だ。それぞれ着替えて食堂へ行くように。……アンリは、ここに残りなさい」  一同解散し、若き騎士らが立ち去ると、モリスは口を開いた。 モリス「明日、騎士団は辺境地ハクアへ向かって発つ」 アンリ「ああ」 モリス「未だハクアの民は迫害を受けている。此の国が始まって以来、ずっと続いている先住の民と移住の民の対立だ。今回の件も、王国兵士と農民の小さな衝突から、血を流す事態にまで広がった。一昨日、王国側が軍を送り込むという知らせが入った。マイルズ団長は民の保護に出向くことをお決めになった。……これにお前も連れて行くつもりだ」 アンリ「私は、何をすればいい」 モリス「以前にも言ったが、お前には傷ついた者を助け、安全な場所への護衛をしてもらう。これにはロズウェルが当たっているから、詳しくは彼から聞くといい」 アンリ「わかった」 モリス「お前用の防具や団服は用意しておいた。明朝、これを身につけて広場へ来るように」  アンリは、ずっしりと重いそれらを受け取った。防具といっても甲冑などといったしっかりしたものではなく、メイルやレザーアーマーなどの軽装備だ。それでも、戦うためのものであるという重みは、充分にあった。アンリは、片手でずり落ちそうになるのを、何度も抱えなおす。  いよいよ、少女は戦場を経験することになるのだ。    ***  あくる朝、騎士団は陽の登らぬうちから出発した。団長マイルズと数名の騎士は騎乗して先導し、アンリたちは荷馬車に乗って、食料などの積荷とともに、ハクアまでの道を揺られた。 ロズウェル「ハクアにいる間は、僕と一緒に行動してもらうよ。よろしくね、アンリ」  騎士の中でアンリと歳の近いロズウェルが、彼女に挨拶をした。 アンリ「騎士モリスは」 ロズウェル「しばらくは一緒さ。だけど彼には彼で役割があるんだ」 リアム「全くの別行動ってわけじゃない。俺も師匠について行くが、何かあればすぐに駆けつける」 アンリ「そうか」 リアム「そう気を張ることはないさ。アンリは修道院を離れるのは久しいだろ。楽しい旅ってわけでもないけれど、今から緊張してちゃ着くまでに疲れてしまう」 アンリ「緊張はしていない」 リアム「それは何より」 ロズウェル「まあ、話をするくらいの余裕は必要さ。僕はまだ君とあまり会話をしたことがなかったからね。それでアンリ、もし差し支えなければ、君の右腕について、訊いても構わないかい?」  アンリは自らの右腕があったはずの場所へ、視線を落とす。 ロズウェル「僕が騎士団に入ったのは最近のことだからさ。他の騎士は知っているようだけど、こういう尊厳に関わることは、直接本人に聞くべきだと思ってね」 リアム「悪いが騎士ロズウェル。それについてはあまり触れてほしくないんだ」 ロズウェル「そうかい? 余計な好奇心を起こしてしまってすまない」 アンリ「……いや、構わない、リアム。知らぬところで湾曲した話が伝わるより、私の口から語る方がずっといい。騎士ロズウェル、あまり景気の良い話ではないが、聞きたいと言うのであれば話そう」    ***  それは、アンリが騎士団に保護されて、3年経ったある日のことだった。  当時、アンリはまだアンリエットと名乗っており、銀髪は長く三つ編み、顔つきにもまだ柔らかい少女の面影が残っていた。  その時はまだ修道院で暮らしており、そこでアンリエットとエマは出会い、仲良くなった。  その日、二人は若い修道女と3人で、市場へお使いに出ていた。 エマ「アンリエット! みてみて! ほら、あっちも!」 アンリ「エマ、あんまりはしゃいで行かないで。ちゃんと着いてきて」 エマ「ええっ、待ってよぉ、置いていかないで!」  その時、すれ違った男二人の会話が、アンリエットの耳に入ってきた。 町人1「はぁ。シュミットさんの後にゲルト伯が座ってから、リェス地区は治安が悪くなったな」 町人2「本当に、シュミットさんがいた時はよかった。惜しい人を亡くしたよ」 町人1「謀反を働いたっていうけれど、いまだに信じられないんだよなぁ」 町人2「(小声)噂では、リェス公が自らの罪を、無実の臣下に擦りつけたって話だ。代々仕えてきた忠実な重臣だって言うのに」 町人1「しっ。こんなところでする話じゃない。誰が聞いているかわからないからな」  シュミットは、アンリエットの父親のことである。アンリエットはもっと詳しい話が聞きたいと思い、男らの後をついていった。 エマ「待ってよ、アンリ」  幼いエマは、ひよこのようにその後ろをついて行く。気づいた時には、二人は修道女をすっかり見失っていた。 エマ「どうしよう、アンリエット。ハンナがいないよぉ」 アンリ「落ち着いて、エマ。ここで待っていれば、きっとみつけてくれるよ。大丈夫」  ひとつ年上のアンリエットは、おろおろするエマをなだめて、修道女が見つけてくれるまで、ここでじっとしていよう、と提案した。エマは素直に頷き、二人は道の隅で、修道女が探しに来るのを待った。  その様子を、向かいの酒場から眺めている男がいた。 男「おい、見ろよ。銀髪に赤髪だ。ハクアのガキかぁ? なんでこんなところにいるかは知らねえが──ありゃ儲かるぜ。特に銀髪の方は高くつく」  男は立ち上がると、仲間二人を連れて、少女たちに話しかけた。 男「やあ、お嬢ちゃん達。そこで誰を待っているのかな? ん? よかったら向こうに行かないかい? お兄さんがいいものをあげるよ」 アンリ「いいもの?」 男「そうだよ。あま〜いお菓子がたくさんあるんだ、おもちゃもいっぱいある」 アンリ「行かない。帰ろう、エマ」 男「待て待て待て。甘くて美味しいお菓子、食べたくないのか? ん? お母さんには、俺から話しておいてあげるからさ」 アンリ「私たちにはお母さんはいない!」 男「おお……そりゃ好都合、いや可哀想に。さあ、いい子ちゃん、お兄さんたちといいところへ行こう。向こうは寂しくないからね」  一方で、アンリエットとエマが帰ってこないと聞いたリアムが、市場へ二人を探しに来ていた。 リアム「ったく、どこへ行ったんだアンリエットのやつ……」 エマ「やだ! 離してぇ!」 男「こら、暴れるな」 リアム「なんだあいつら、3人で寄ってたかって、アンリエットとエマをどうする気だ! おい、おい! おっさんたち、その子をどこに連れて行くつもりだ!」 男「ああん? その声は……リアムじゃないかぁ」  とたん、リアムの顔色がさっと変わり、体は金縛りにあった様に動かなくなった。 男「久しいなあ。どこを探しても見つからないと思ったら、こんなところにいたのかよ。なんだぁ、ご立派なもん身につけやがって。騎士団の旦那たちに可愛がられているのかぁ?」 リアム「くっ……う……」 男「どうだぁ? 騎士団での暮らしは。お堅くてかなわねえだろ。俺たちは、お前に逃げられてから、新しい商売を始めたんだ。使いまわせるからガキの消費も少なくて済むし、お前も前よりはいい暮らしができるぜ。どうだ、俺たちのところに戻ってくる気はないか?」  男はリアムの腕を掴む。有無を言わせず連れて行くつもりらしい。  リアムは唇を噛んだ。彼は剣を持っていない。後ろに手を伸ばせば弓矢があるが、彼は全く体を動かせなかった。いつもなら振り解ける手も、全くびくともしない。 男「どうした? 震えちまって。何も痛いことはしねえよ」 リアム「違う……違う………離せ……!」  ようやく絞り出した声に、男は鼻を鳴らす。 男「何年経っても、元主人には逆らえないんだなぁ。情けないねえ、リアムちゃん。あのでかい騎士がいないのが、残念だったなあ」 リアム「離せよ……!」  その声が合図だったかのように、男らに捕らわれていたアンリエットは、ふところに隠していた短剣を抜いた。 アンリ「離れて!! リアムから、離れて!!」  それと同時に、エマを捕らえていた男も、鋭い剣を抜く。 男「おいおいおい、物騒なものを持ってんな、お嬢ちゃん。ほーら、いい子だからそれをこっちに渡しな。そうしたら、この女の子は傷つけないから、さぁ」  エマの首筋に、鋭い刃が当てられる。 エマ「やだ………やだ……怖いよ……!」 アンリ「エマを傷つけないで!!」  アンリエットは護身用の短剣を構えると、男に向かって鉄砲玉のように飛びかかった。 リアム「やめろ、アンリエット!!」  リアムが叫ぶのをよそに、アンリエットの短剣が、男の脇腹を切り裂いた。反動で、エマの体が解放される。 男「があっ! 何をしやがるっ……!」  次の瞬間、男の剣が彼女の右腕を深く抉っていた。  ぼたぼたと落ちる赤い斑点が、アンリエットの足元を染めて行く。 アンリ「あ、あ、ああああああ……!!」 エマ「アンリエットーーーーッ!!」  エマはうずくまるアンリエットに駆け寄る。その背後に迫る男を、リアムは投げ出されたアンリの短剣を掴んで──そして──、    *** リアム「……エマがアンリの傷口を押さえている間に、俺は3人を殺した。あいつらは子供を攫って悪いことをしていた。だから……もう二度と、子供たちが悪夢を見ないように、何度も何度も、殺した」  リアムの表情に影が刺す。しかし、すぐに顔を上げ、苦々しい笑みを作った。 リアム「師匠に止められてたんだけど。剣を持つと、お前は絶対人を殺めるから、触るんじゃないって……約束を破ったのは、それが最初で最後だ」  少し前を行くモリスの背中を、リアムは見上げる。 アンリ「私の腕は、夏日であったために腐敗して、もう使い物にならなくなっていた。それで、切り捨てることにした」 ロズウェル「……嫌なことを、思い出させてしまった。すまない」 アンリ「私が話すと決めたんだ。謝らなくていい」 ロズウェル「アンリ……。君はそんな経験をしてなおも、剣を取る道を選んだのは、どうしてだい」  ロズウェルの問いに、アンリはしばし口をつぐみ、やがてぽつりと言った。 アンリ「守れなかったのが、悔しかった」 ロズウェル「……」 アンリ「家族も……たった一人の女の子さえも守れない、己の弱さが悔しかった。そして、腕を失っても、殺されかけても、まだ生きている、そんな自分に疑問をもった。私の生きる意味とは何か、と……。もしかするとこれは、試練なのかもしれない。私は神に試されているのだと思った。ならば、行けるところまで生きてやる。今まで守れなかった分、誰かを守ってみせる。……そう決意した時から、私は髪を切り、名もアンリに改めた」 ロズウェル「……アンリ。君の決意には敬意を示さないといけないな。君は立派だよ。勝利を挙げることばかりにとらわれている、どこかのクラウスとかいう騎士なんかより、充分に誇れる」 クラウス「おい、騎士ロズウェル。可愛い顔をしているからって、何でも発言を見逃してもらえると思ったら間違いだぞ」 ロズウェル「あらら。聞こえてましたか騎士クラウス。君も彼女を見習うといい。いつまでも女の子のお尻を追いかけていないでさ」 クラウス「まったく、君はいつだって一言多いな……」  話巧みなロズウェルが隣にいたおかげで、アンリたちは、道中それほど退屈をしなかった。しかし、ハクアが近づくにつれ、各々の顔に緊張が見え始める。 ロズウェル「……ここの畑は、焼き払われたようだね。何軒かあったはずの家も、打ち壊されている」 クラウス「此国は王が崩御してから、かなり政治が不安定だからな。今が機会と、ハクアも蜂起を起こしたのだろう」  リアムとアンリには、国の情勢がまだわからないながらも、二人の話を黙って聞いていた。 (作者もよく分からずに書いている) ロズウェル「ハクアにとって、我々は入植者であり、余所者なんだ。協力関係を築くために、ハクアから王妃を立てているが……溝は埋まるどころか、深くなる一方だ」 クラウス「仲良くなんて無理だろうさ。王都の人間はハクアの持つ力を、利用しつつも気味悪がっている。土地を奪い、職を奪い、隅へ追いやった。数年前の疫病さえ、ハクアの呪いだとか言う始末だ。ああ──アンリエット嬢の前でする話ではなかったかな。君の髪色からして、きっとハクアの血を引いているだろうから」 アンリ「私の父は選帝公家に使える臣下だった。ハクアで育ったという記憶もない。──私の髪色がなぜこうなのかは、わからない」 ロズウェル「母方の血筋がそうなのかもしれないね。どうにせよ、騎士団の中では、民族は関係ない。皆同じ志を持つ同士だ。違うかい?」 クラウス「そうとも。俺はどちらの肩も持つつもりはない。しかし、権利を奪い虐げることに対しては、嫌悪が湧く。よって、ハクアに味方しようと思うわけだ……と」  道は崖の上に出た。そこからは、ハクアの谷を見下ろすことができる。 アンリ「ここが、ハクア……」 クラウス「まだ王国の新手は到着していないようだ」 ロズウェル「まずは民の非難誘導と怪我人の救助が優先だ。民族間の争いに首を突っ込む必要はない。わかるかい?」 リアム「極力殺すな、ってことだろ」 ロズウェル「攻撃してくる兵士がいたら、まず騎士団であることを示すんだ。我らは中立であり、民の保護が目的であると。それでも構わず攻撃をしてくる場合のみ──抜刀が許される。剣を抜いていいのは護身の時のみ。そういうことだよ」  ロズウェルは圧のある声で、にっこり微笑んで言った。リアムとアンリはコクコクとうなづく。 ロズウェル「今は小さな気競り合いでしかないが、新しく鎮圧のために兵士が投入されれば……いよいよここは過酷な戦場になる」  アンリは谷を見下ろした。あの雪の日の惨劇が、この谷いっぱいに広がる様子を浮かべ、眉を寄せた。    ***  騎士団はまず、近くの修道院に協力を仰ぎ、そこを拠点として、ハクアの民の非難誘導を行なった。そしてアンリはロズウェルと共に怪我人などの世話に当たり、リアムとモリス、クラウスらは戦火が広がる谷へ、負傷者の探索に行った。  アンリは他の騎士や修道女の手伝いをしながら、力不足に悔しさを感じていた。戦地にいながら剣を振るえないこと、片腕であるせいで仕事が半分しかできないことに、苛立ちを感じ始める。そんな中、一人の女性が、アンリの袖を引っ張った。 女性「貴方……、腕をやられたの?」 アンリ「あ、いえ、これは………」 女性「お若いのに腕を失って……貴女もお辛いでしょうに、騎士のお仕事をされて、ご立派だわ……」  アンリは女性を見た。腕、脚、頭部を負傷し、包帯が巻かれ、体も満足に動かせていない。あちこちには血が滲んで、包帯を赤く染め上げている。 アンリ「どうか、安静に……」 女性「私にも、貴女くらいの娘がいるの。途中ではぐれてしまって……まだ、外を歩いていると思うと……(泣き始める)」 アンリ「貴女の娘は、騎士たちが必ずや見つけ、お連れします。なのでどうか、そのまま動かずに……傷が開いてしまう」 女性「あの子は……今どこにいるのかしら……」  アンリは辺りを見回した。  同じように我が子を探す女性、腕や足を負傷しても立ち上がろうとする若い男性、親を亡くしたのか涙の跡をつけたまま呆然とする子供──。 ロズウェル「アンリ、大丈夫かい」  顔色の悪さを見てとったのか、ロズウェルが声をかけてきた。 アンリ「大丈夫だ、私は何も……」 ロズウェル「これが、戦争の代償というやつだよ」 アンリ「……」 ロズウェル「ただの勝ち負けだけじゃない。傷つくもの、失うものがたくさんある。……こういうのには慣れておかないと、やっていけないよ」 アンリ「ああ………」 ロズウェル「だけど、自分に元気がないと、誰も助けることはできない。少し、表で休んでくるといい」 アンリ「いや、でも……」 ロズウェル「ここは任せて。少しだけ、外の空気を吸ってきなさい」  躊躇ったが、ロズウェルに押し切られ、アンリは修道院の表へ出た。  外は静かだった。争いを逃れてきたのか、数羽の鳥が、森の上を飛んでいく。  次期に、この辺りも戦火に飲み込まれるのだろう。これは嵐の前の、束の間の静寂なのだ。 修道女「すみません、騎士様」  後ろから声をかけられ、アンリははっと振り返る。騎士様、と呼ばれたのは初めてだった。  修道女も、相手が片腕の少女であることを知り、一瞬、その先の言葉を躊躇した。 アンリ「何か、御用ですか」 修道女「あの……お願いがございます。包帯がもうすぐで底をついてしまいます。他の物資も少なくなっております。森を抜けた向こうに、オスピタル修道院がございます。現状をお伝えし、物資を分けてほしいとお願いに行くのを、お頼みできないでしょうか」  アンリに声をかけた彼女自身もまだ若く、どの騎士に頼めばよいのかもわからない様子だった。 アンリ「その修道院には、話のわかる人物はいるのですか」 修道女「オスピタル修道院は、我々と神を同じくする同胞です。きっと、快く協力を仰げるかと思います。森を通らないと行けませんが、ほとんど一本道ですので迷われることはないかと」 アンリ「……承知した。お引き受けしましょう」 修道女「あたりは暗くなって参りましたので、どうかお気をつけて……」  アンリは近くにいた騎士団の従者に、使いに出ることを伝えると、森へ続く道を急いだ。  普段からよく使われる道なのだろうか、足元はよく踏み慣らされていて、夜目のきくアンリは、薄暗い森の中を難なく進んでいけた。木々の間からは月明かりがみえ、陰ることなく足元を照らした。  森の中ほどで、アンリはふと足を止めた。森がざわついている。小さな獣が一匹、アンリの足元を走り抜けて行った。彼女はだんだんと大きくなるざわめきを聴きながら、森の中に身を隠した。  程なくして、一頭の馬が現れた。上には外套を羽織った、立派な身なりの軍人を乗せている。アンリにとっては敵となる相手だ。軍人が通り過ぎるのを待っていたが、月光に映し出された顔を見て、アンリは反射的に呼び止めていた。 アンリ「兄さん……!」  男はかなり驚いた様子で馬を止め、振り返って声の主を確かめる。 軍人「俺を兄と呼ぶ人はいないはずだが……」  しかし、すぐに目を見開いた。 軍人「はっ……! もしや、アンリエットか……!?」  その場が凍りついたように、どちらも身動きせず、お互いの顔を見た。 軍人「そのマントは……ガルディア騎士団の」  しかし、また別の蹄の音が、遠くから近づいてきた。 軍人「隠れろ」 アンリ「……!」  軍人の言葉に、咄嗟にアンリは森の中へ姿を隠した。 従者「待ってくださいよぉ……貴方はいつだって私を置いて行ってしまうんだから……もぉ……」  後から追いついた従者らしき男が、軍人が一点を見つめて動かないのを見て、不思議そうにする。 従者「どうかしましたか? エトワール様」 軍人「お前を待ってやったんだぞ、グエン」 従者「左様で」 軍人「俺を待たせるとは、贅沢なやつだなお前は。だいたい、お前を連れて行くと騒がしくてかなわない。これじゃあ偵察の意味がないだろうが」 従者「はいはい。仰せの通り静かにしますよ」  そんなやりとりをしながら、軍人らは森を抜けて行った。  アンリは道に戻り、見えなくなった背中をじっと見送った。 アンリ「あれは……たしかに兄だった。だけど、何かが違う……」    ***  その後、アンリは修道院に到着し、ことの有り様を伝えた。  数人の修道士を連れて戻ったアンリを待っていたのは、探索から帰っていたモリスのお叱りだった。 モリス「アンリ。ここを離れるなとあれほど言っておいたというのに」 アンリ「だがモリス、これは必要な外出だった」 モリス「せめて誰かに告げてから出て行くものだぞ」 アンリ「イーザックという従者に言付けた」 モリス「はあ……あいつに言ったところでしょうがない。何故ロズウェルに告げなかった」 アンリ「忙しくしていた故」 モリス「それでも言うべきだった。なあ、アンリ。お前は昔から思い切った行動が過ぎて、思慮が足りん。それではいつか、己の命を無駄にすることになるかもしれんぞ」 アンリ「だが、行動を起こさないと知り得ないこともある。……王国軍はすでに、この近隣にまで迫ってきている」 モリス「何故そうだとわかる」 アンリ「森の中で偵察に行く二人の軍人の姿をみかけた」 モリス「まったく無茶を……」 ロズウェル「まあまあ、騎士モリス。彼女ももう子供ではないのですから」  しかしその後、アンリはロズウェルによって、みっちり説教を受けるのだった。  
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