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―旅の景色Ⅶ 2日目、街道―
リーヴは、街道の、ひとつひとつを眺めて、自分はこれまで、何を見てきたのかと、繰り返しの思考の中にいた。
クランの話では、この街道が変わり始めたのは、3年ほど前、ザクォーネ王国の全域を覆う絶縁結界が構築された後のことだという。
最初は、そのザクォーネ王国との国交のために、東大陸の内陸南寄りに造られた、1本の通商の道が始まりだったのだそうだ。
そちらの道路を整えるに当たり、クラール共和国にも、続く道を整備したいということで、沿岸部を広く占めるチタ共和国との話し合いのすえ、アルシュファイド王国主導で道が整えられたのだそうだ。
「よく分からないけど、いつの間にか、ミルフロト王国とも繋がりがあって、そちらの道の整備が進んでいたところ、ほら、うちはさ、3年前の開戦騒ぎで、サーシャ国と手を切ったもんだから、レットゥオーレ国までの最短経路が断たれたんだよね。んで、クラール国までは整っているんだし、どっち道、サーシャ国経由だと、南で使うには、船で運ばなきゃいけないだろ。輸送ってのは、体は楽かもしれないけど、馬にとっては、自力での移動の方が、負担は小さいところもあるだろうってんで、陸路を採ったんだと思うよ。それでまあ、ケイマストラ国経由の道が、整えられるようになったんだって」
クランも、王都フランシアまでは、北部の道を通ってきたので、こちらの道のことなど知らなかったらしい。
フランシアでの孤児保護施設の援助のことで、商人仲間と話をするまで、ミルフロト王国との繋がりが自国にあったことなど、記憶の端に飛ばしていたのだそうだ。
ただ、留意すべきは、クラール共和国以西の道について、アルシュファイド王国は、公金を動かしていないという点だ。
道を整えたのは、アルシュファイド王国の国民だが、有志による出資で、すべて個人資産と、個人が集まって立ち上げた、法人という組織の資産によるものなのだ。
「たぶん、政王陛下は、こちらのことを把握はしているけど、掌握はできていないね。できてたら、今回みたいに、いくつもの宿に分かれるより、ひとつの建物に固まらせてる。けど、当たり前に営業してる宿だから、負担と利益を分散させたんだよ」
ただの商人であるクランには、確かなことは言えないということで、今は、別の馬車に乗っているアルに、どのように聞くべきかと考えているところだ。
だが、聞くまでもない気もする。
すべて、目の前にあるではないか。
必要があって、整えられた。
ただ、それだけの現実があるだけだ。
これほどに衝撃を受けているのは、それを目にしていたはずなのに、今やっと、気付いた、そのことなのだ…。
「誰も気付いていないのか…」
呟きが聞こえて、目をやると、溜め息が絶えないハウルだ。
「抜けがあるんだろう。私たちは、要所しか見ていない。集約された事柄を見て、すべてを見た気になっていた。ほかの者は、もっと狭い範囲だけを見ている。全部を繋げる目が必要だったんだ。そういうことだ…」
「陛下は…」
「ゼノンとアバトの、ふたつの町は、他と違って、もともと流通が盛んだ。激変は、していない。ただ、変わったことは、あった。その一事のみを見て、なぜ変わったか、まで、追求しなかった。追求するまでの変化ではなかった」
「…………」
ぽつりぽつりと空いた地面の穴に気を付けるあまり、そこに架かる橋があることに気付かなかった、そんな気分だ。
衝撃に耐える2人を見て、自身も、いくらか公務に携わる弟王子グウェインは、リーヴでも、こんなことがあるのだなと、思っていた。
知らなかったわけではないが、多いことでもないので、何か、ほっとする気持ち、か。
「そろそろ昼食です。二手に分かれます。顔触れは、大体半々であれば、問題ありません。一部の警護の者などは、別の場所での昼食となります」
赤璋騎士従者の男騎士ホーディー・ルー、通称ホディが声を掛けた。
リーヴは、聞き流そうとして、固まり、硬い表情をホディに向けた。
「まだアバトではないよな?」
「はい。そこからアバトに入るまで、大体、1時間でしょうか。広い町ですから、国境門近くの宿まで、もう少しは掛かります」
「いや、アバトでないなら、昼食を取れるような町があるのかと」
「ああ、いえ、町…とは言えませんね。ゼノンの宿町と一緒です。住民は、居ません。もっと小規模で、ああ、ほら、先ほど立ち寄りました、休憩場所と同程度の設備ですよ。まあ、あちらより、いくらか落ち着いて食べる場所があるというだけで。あとまあ、弁当屋というのが多くて、昼食は、その弁当です。一般の利用者も使う場所を、先行の者に利用の申し出をさせて、特別に一部ずつ、空けておいてもらっているので、申し訳ないのですが、二手に分かれます」
「弁当…!」
ハウルが呟いて、頭を抱える。
リーヴも、その弁当には、覚えがある。
食べたのは、馬車の中でだったが、見た目に楽しい、満足する内容で、少し冷めていたが、まだ温かく、食べやすかった。
「え、えと…、だい、大丈夫?ですか?何か?」
ハウルの様子を気に掛けるホディに、大丈夫だと笑って見せて、後部座席に移動する彼を見送った。
それほど頻繁にフランシアを離れるわけでもないし、最近、ここを通ったのは、3ヵ月…いや、半年、近く前か。
こんなことも見落としていて、何が視察かと自分を殴りたくなる。
ホディの言ったように、間もなく、10時過ぎの休憩で利用した場所に似た造りのようでいて、あちらより、建物が多い通りに入り、到着した建物の前で馬車を降りた。
昼食を摂れるという建物は、窓の配置から、3階建てと判る建物だった。
馬車回しが、きちんと設けられていて、数台なら、脇に停めることができるが、彼らの乗ってきた馬車は、そのまま、敷地を出ていった。
「もうひとつは、向かいで用意しています。ほかの方は、こちらでいいとの、お話ですが、移動なさいますか。あ、もし、この辺りを見たいのであれば、出発まで1時間ありますから、食事後、半ばほど、時間を使っていただけます」
「ではそうしよう」
「承知しました」
ホディは、そう返すと、護衛たちに異存が無いことを確かめるために、そちらを見てから、軽く頷いていた。
同乗していたシリルやセイブは、先に建物に向かい、シリルの背中などは、すぐに見失ってしまう。
機警隊のガリィが案内のように付いてくれているので、護衛とは別に、安心を感じた。
建物は、1階部分に、小さめの食堂があるようで、気を引かれてそちらに足を向けると、階段は奥ですと、ホディに促された。
辺りには、奥に調理場があるような弁当売り場が、いくつかあるようで、広めの階段を上がり切ると、正面に案内板があり、右手に会食室、左手に食事禁止の休憩室があると書かれていた。
正面の部屋となる、その案内板の向こうには、自由な飲食区画があるようで、これもまた気にはなったが、ホディに促されて、会食室へと向かう。
会食室はいくつかあって、リーヴたちはこのうち、最奥の広い部屋を使うようだった。
そこは、かなり広い空間で、先着の者たちが、食事の整えのために動き回っていた。
見たところ、旅の同行者以外の者はいないようだ。
「席はご自由に、弁当は、数種類ありますので、選んで、あちらから、お取りください。飲料は、薬鑵から雑穀茶を注ぎます」
促される台には、形からして数種類ある弁当が積まれており、いつか見た弁当のように、透明の蓋越しに中身が見えた。
どうやら、左端から、内容が少ないらしく、また、手軽に食べられるような、簡素な内容と見えた。
右端が、最も品数は多かったが、見た目が華やかなものなので、通常よりも揺れの少ない馬車に乗っていただけとはいえ、大人の男の腹を満たすのなら、中央寄りの、ヒュミが多く、主菜も大きな一品が適当そうだった。
そちらの前では、シリルが立ち止まって、ちょっと悩んでから、斜め左手の山にある弁当を取り上げるところだ。
机に行こうとして、リーヴの視線に気付いたので、それはなんだと聞いてみた。
「コズリのビット甘辛炒めって書いてますよ。なんだか、気を引かれたので、食べてみようかと」
よく見ると、全体的に赤い。
とにかく赤い。
「赤いな…」
「あはは!ですね!」
そう言って、シリルは、待ち切れないように席に着いた。
しかし、数種類の品数があるよりも、侍従が毒見をするのなら、一品物の料理は、手軽だ。
少し戻って、見てみると、先ほどのシリルが取り上げた料理と、色違いに見える料理が、横に並んでいた。
蓋の表示には、コズリのヴォッカ背燻炒めとあって、どうやら、肉と緑の…厚みのある莢を加えた、コズリと言う細長い形状の食べ物を炒めたもの…らしい。
リーヴは、それに決めて、手に取ると、振り返ったところで受け取ろうとする侍従カッシオ・セドリーに渡して、王太子付き護衛騎士隊副隊長ベシリウス・クァロウが示す、シリルの向かいに腰を下ろした。
既に毒見を終えたのだろう、シリルが、おいしそうに食べ始めているが、口許に赤い色が移っている。
どこか、かわいくて、ふふっと笑ううちに、こちらも毒見を終えたらしい弁当が、手前に置かれた。
横に添えられた食具は、箸と三叉の肉叉だった。
どちらでもいいのかなと、思いながら、箸を取る。
この世界での食具の使用は、大抵、箸と、このように三叉の肉刺しに多用される肉叉と呼ばれるものを適宜利用する形で、決まりはない。
ただ、使ってみて、このような食事は、こちらが食べやすいと、覚えるもので、ケイマストラ王国の貴族階級なら、個人の使い勝手を考えて、予め、ほかの食具に並べて箸を添えておくことが、洗練された配慮というものだ。
とにかくここでは、まずは気になった緑の莢…リーヴの知識では確か、内部に小さな種のようなものを収めている、莢と言うものを、口に運ぶ。
噛むと、やや、青臭い感じもするが、ぽりぽりとした食感と、表面の塩味、素材そのものの、ほのかな甘み、内部には、思った通り、種…にしては柔らかい何か。
「あ、そっちにも入ってますね。なんとなく、気に入りました!」
明るい末の弟の笑顔が眩しい。
こんなに、かわいく育っちゃって、どうするんだ、この子はと、わけのわからない感想を抱いていることを、付き合いの長いカッシオだけが気付いていた。
「なんだろうな、これは」
呑み込んで、ふたつ目を取り上げる。
「兄上も知らないのですか!」
「ケイマストラ国には無い素材ではないかな…」
近くの席に座るガリィが、音莢(おとさや)と言います、と声を上げた。
「豆の種類の内だと思います。特に皮が厚くて、でも折れやすいから、そのまま炒めると、おいしいです。折れる時に、ぱきっと、小気味よい音がするでしょう。それで、音莢。似たもので、莢に入ったまま食べる豆と、莢が硬過ぎるとか、食用に向かないものは、中身の豆だけ食べます。豆って、うーん、果実とか、種とからしいんですけど、すみません、植物に特別詳しいわけではなくて」
「いや、いい。そうだ、そういうことを知ることはできるだろうか?」
「あ、ええ。一般に行き渡らせるために大量に作っているのは、農牧地区のボルーネ区なんですが、試しで作っているところが、レグノリア区には、あるんです。大きな図書館もありますし、予定が合えば、政王陛下と一緒に視察もいいかもしれませんね」
「政王陛下と…」
「ええ。今、ちょっと忙しいんですが、あの辺りに行く用事も、できるだろうから、交流も兼ねて、ご一緒できたらいいですよね。事前に、どのような作物に期待できそうか、調べてみるといいのではないでしょうか。まあ、でも、この辺りの様子を見ると、食べ物より、土とかの調査をした方がいいかもしれませんね。それはまた、到着してから」
にっこり笑って締め括り、ガリィは食事を進めた。
リーヴも、食事に向き直って、その味に満足する。
塩味だが、噛むほどに味わい深い肉の味も相俟って、少し塩の絡むコズリが、味の濃さを調節してくれる。
長いという特徴は、少し手間だが、具材を巻き込みやすくもあるので、気にするほどのこともない。
「うまいな…」
「はあ、おいしかった!」
雑穀茶を呷って、満足の声を上げるシリルの口の端には、分かり難いが、赤い色が付着している。
それに気付いたわけではないようだが、いつもの所作で、予め侍従が用意した手拭きを使った。
「兄上、リーヴ兄上は、これからどちらに?俺は、少し町を歩きたいと思うんですが」
「私も行きたいが、この建物も気になるんだ。別の部屋など、見てみよう。カタリナたちが町に出るかもしれないから、様子を見に行ってもらえるか?」
「あ!はい!承りました!」
「セイブは、よければ、私と来て欲しいな。いいかな」
「あっ!はい!もちろんです!」
どこか緊張する様子のセイブに、ちょっと笑みをこぼして、もう1人の弟を見た。
「悪いが、シリルたちを頼む。だが、もしかして、カタリナも、建物を見るか…、あちらは、どのような建物かな…」
ガリィが顔を向けて、すぐに応えた。
「あちらも、建物自体は、似たような内容です。ただ、弁当の主食に違いがあって、こちらは、ヒュミとコズリが中心ですが、あちらは、フッカと、コズリではないサズの粉の加工品を中心としています。歩きながらでも食べられるような形の弁当と、その場で急いで食べて、出発できるものが中心となっています。ご令嬢は、量より、食べやすい方がいいかと、このような分け方になりました」
「そうなのか。それはそれで、興味がある」
それを聞いて、ガリィは少し、考える顔をした。
「うーん…。そうだ!あ!でも、ううん。……いずれにせよ、宿泊地まで、1時間強といったところなのです。アバトの街並みを見ることも興味深いでしょうが、もし、お望みであれば、この辺りを長めに見て回り、アバトの町歩きを諦める…ということは、難しくはないと思います。ただ、留学者の皆さんには、分かれて移動ということができませんから、全員の意向の確認が必要ですね…」
王太子として、求めることは…強要することはできるが、なるべくなら、避けたいことだ。
きっと皆、アバトでの町歩きを楽しみにしている。
「あ!今からなら、自由時間は、少し長くなるんじゃないか!?」
シリルの言葉に、ガリィも、ほんの少しだけ考えてから、すぐに頷いた。
「ええ、確かに、そうですね。それでは、この時間のうちに、皆さんの、ご意見と、警護の都合を考え合わせてみます」
「兄上!それなら、いいでしょう?みんな、見て回れる時間が長い方が、いいって言うと思います!」
それは、ありそうなことだ。
「では、頼んでみようかな。そうだ、セイブ、グウェイン、お前たちは、どうだ?」
「ええ、皆がいいなら、それで、私も」
グウェインが言い、セイブも、いつも反対することはないのだが、今回は、どちらでもいいと思っているようだ。
「ラケット、正直に、言ってごらん」
にっこり笑って聞くと、急いで、異存ありません!と答える。
まあ、ここで正直にとは、難しいだろう。
グウェインの同伴としての公的留学者のもう1人、ネイルに目を向けると、異存ありませんと、静かに返す。
リーヴからの、からかいには慣れているので、この程度では動じない。
ちょっとだけ、頬に力が入っているのは、目下のラケットに対する同情か、リーヴからの追撃への警戒だろう、期待に応えたくなって困る。
「コウウォルトも、こうなっては、断り辛いだろうが、シリルを頼むよ。一緒にいてくれるだけで、安心だ。そう言えば、ウォルトと呼ばれていたな。私も、そう呼んでいいかい」
「はっ!はい!光栄です!」
頬を赤くして、これもまた、よい。
シリルと、親しめるかは判らないが、少なくとも、我欲を押し付ける愚かさは感じない。
もうしばらくの観察の必要を心に留めて、茶を飲んだリーヴは、席を立つことにした。
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