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―旅の景色ⅩⅠ 2日目、国境を越えて―
予め、野盗が居ることは分かっていたので、取り敢えず、異能を封じるために、往路で火の力を使っていたアルは、用心のために、通り抜けざま、街道に設置していた彩石を、風の力で回収して、彩石袋の中に収めた。
野盗たちは、この一週間、旅人を襲おうとしなかったようなので、術も発動していない。
あんなことができるようになったのは、異能の修練を短時間ずつでも継続したことと、そして、何より、彩石判定師の指導の賜物だ。
とにかく、誰も傷付かずに済んでよかったと、満足に思って、進行方向を見る。
今、乗り込んでいるのは、護衛用輸送馬車だ。
体を預けて座るより、体の均衡を、各人で取りやすい席になっている。
不測の事態が起こった時、すぐに体を動かして、飛び出していけるような造りを目指しているので、心も体も、どこかしら張り詰めたところは残るが、それでも、心身を、それなりに休めることはできる。
野盗も消えて、森の中にある道は、木陰に少し冷まされた風を運んで、気持ちいい。
アルシュファイド王国の森を思い出すと、違和感を持つ程度に、湿気が少ないような気はするが、これまでの旅程に在った荒野よりも、穏やかさを持って肌に触れ、行き過ぎる。
心地の良い空間の木の陰を抜けて、続く緑の草場をあとにすると、すぐに剥き出しの土と岩が広がり、その向こうに、町を囲う塀と、その向こうから、先だけを現す民家の屋根、そして遠くに、石造りらしい建物が集まって見えた。
だが、その前に、ケイマストラ王国の三條将軍ベガット・ガザロには、働いてもらわなければならない。
先ほど野盗を引き渡された駐留軍が、出迎えに来ていたのだ。
折角の迎えだが、ここは止まらず遣り過ごし、ベガットに、お任せだ。
面倒事を好まないのは、誰でも同じ。
ケイマストラ王国内では、この一団の交渉役として働くことを承知させられていたベガットは、今頃、嫌そうに顔を歪めて笑っているのだろう。
先ほどの彼の、その表情を思い出して、吹き出してしまうアルだ。
「はあ、足止めされてますよ、ご苦労さまです…」
「んじゃ、今度から、ボルに頼むわ」
「尊い犠牲は付き物です、感謝の心を忘れません!」
「なんじゃそら」
年下の従者は、最近、主となるアルに慣れてきたのか、心安いような言葉回しが見られる。
アルとしては、嬉しい変化だ。
言葉の内容は意味不明だが、どうやら、ベガットの犠牲を無駄にしない主旨の発言らしいと、ふふっと笑う。
要するに、自分が彼に代わることは、慎んで辞退すると言いたいのだ。
やはり、皆、面倒事は避けたいらしい。
さておき、ベガットと、2、3人の人員を置き去りにして順調に進む旅の本体は、町の二重壁のうち、外側の壁の門に到着した。
ここでの通行は、ゆっくりとなるが、自由と言っていいだろう。
よほどに奇妙な言動か、手配の回っている、お尋ね者でもない限り、通行証のようなものも必要ない。
ここからしばらく、地に這うような育ち方をする野菜畑が続き、その先で、地面に建てたのではない、簡単な組み立て式の店の並びを左手に見て、いくらか進むと、ふたつ目の壁の門に突き当たる。
こちらは、検問らしきことをしているが、通行証の確認を簡単に行うだけのようだ。
ここでの通行証は、国内のどこでも使えるもので、町を出る時に条件を選んで購入すれば、条件が変わったり、無くしたりしない限り、何度でも、何年経っても使える。
アルたちは、クラール共和国駐在のアルシュファイド王国特命全権公使が用意してくれたアバト発行のケイマストラ王国内通行証と、クラール共和国発行のクラール共和国並びにミルフロト王国内通行証の2枚を所持しているが、駐留軍との話を終えたベガットが追い付いて先行し、話を付けてくれているはずなので、提示の必要はないかもしれない。
果たして、自分たちの一団は、通行証の示しも必要なく、全員が問題なくアバトの中心街に入った。
まだ、夕暮れには時間があるが、このまま国境門の近くにある宿に行くので、馬の足は、それほど遅くならないまま、街の中心部を避ける馬車道を通って、宿に到着した。
一行の馬車が多いので、宿からは、いくらか離れた位置で、停車とともに道に降りる。
すると、アルを見付けたシリルが駆け寄ってきて、ブルネーレルでの捕り物の顛末を聞いてきた。
「ははっ!大した内容は、ねえよ。それより、そんなに元気が余ってんなら、国境門でも見に行くか?今回も馬車で通過だし、近くで見たこと、ないんじゃね?」
「行く!」
「ウォルトも、行けそうな。侍従に一言、言ってきな」
その間に、アルも話を付けて、侍者を数名連れたアル、シリル、ウォルトの3人は、それほど遠くない国境門を、歩いて見に行った。
この辺りは、翌日、早くから国境の審査を受けて、ミルフロト王国に渡ろうとする者たちが泊まる宿が並んでいる。
中心地とは違って、ゼノンの宿町のように、宿と食堂と、馬や馬車のための設備と貸出場など多いというところはあるが、ゼノンよりも、どこか華やかに見えるのは、身なりの良い女たちが多いからかもしれない。
外側から、広く開けられた玄関の奥を覗くと、飾り物の多い、繊細な品が並んでいたりする。
「ミルフロト国からの輸入品だな。あっちは、力の強い領主たちが各地を治めてるから、工芸品なんかも、それぞれの特徴がある。時間ができたら、うーん、帰りの道で、1泊ぐらいして、見た方がいいんだが」
アルの呟きを聞いて、シリルは、店の奥に、再度、目を向ける。
行くぞと声を掛けるアルに付いて、左右を見回しながら歩くと、すぐに国境門に着いた。
「手順ぐらい、今のうちに知ってた方がいいな。モールス、話、付けてくれる?」
「は」
勇将モールス・ゼールは、常に無い畏まり状態だ。
腹心…とは、まだ、言えないが、最も近くにいる部下の緊張に、シリルは、くすっと笑う。
いつもの、粗雑な所作が、幻だったようだ。
すぐに話の付いた、国境審査の箇所では、最も手軽な審査を行っている。
荷物の量や、通行証を持たない同伴者…これは、定年に達していない子供に限られるのだが、その人数によって、最も手間が少ない、すなわち、1人ひとつずつの荷物を持つ、子供5名程度の親子連れ、までは、こちらで受け付ける。
この場合、両親、若しくは、子供の保護者の通行証の確認と、口頭での遣り取りで、大人と子供の様子を見ながら、不当な連れ去りでないことなど確認して、通行の許可を検討する。
親子連れに、くっ付いて、親戚の者が1人、2人居ると、荷物を開けさせて、中身を確かめることもあり、近くに設置した場所で、その確認の様子が見られる。
「荷物を多く持つ商人だと、前日から検品することもあります。まあ、そこまでは、滅多にないです、馬車1台分程度で、奥まで入れるなら、すぐに通しますよ。人の団体とかだと、専用の通行証を示すなら、人数だけ確かめて通します」
もちろん、領主や国主から引き渡し依頼や捜索依頼がある場合は、1人1人の顔ぐらいは確認する。
尤も、ミルフロト王国側にも検問があるので、そちら側からの要請は一年に一度、未だに見付からない手配続行の手続きぐらいだ。
現在は、有力貴族を騙したとして、最近、加えられた娘が1人と、数ヵ月前に強盗の際に傷付けた者が死に至った者が数人と、数年前から継続して、殺人者が1人ということだ。
写真額は無いので、似顔絵付きの人相書だ。
印象によっては、見逃したり、人違いもありそうだ。
「ま、写真額も、術者の主観が入るから、こういう手配には向かないんだがな…」
人相書を見ながら、アルが呟く。
横から覗くが、いずれも目付きが悪い。
強盗団は、全身も絵にしてくれているので、これに似た集団が居れば、目に留まりそうに思う。
「ありがとう。一応、ケイマストラ国側の手配書は?」
「そちらは多いですが…、軽微な罪なら、領境や国境で食い止めますから、ミルフロト国側からの手配書は少ないのです」
国境門の先は、和平交渉地となっており、その向こうにミルフロト王国の領都の、ひとつがある。
「うーん。何枚ぐらい?」
「え?そ、その、100枚あるか…」
「そんなに!?」
「いっ、いやあの、何しろ、その、あちら側の、ブルネーレルには、50人を超える野盗が潜んでいるということで…」
「いや、50人は居ねえよ。てか、それ、捕まえたから確認しとけ。あと50人は」
「えっ、えっ、と!?捕まえっ、えっ、」
応対していた相棒が混乱を収められないようなので、彼の肩を引いて、もう1人が進み出た。
「申し訳ありません、確認します。それでしたら、残りは、せいぜい、20人というところです。100枚というのは、手配書が1人当たり2枚以上になっている者が在るのです。
「えー、それでも多いなあ…。国内で?」
「いえ、国内全域で手配されているものもありますが、10人ほどは、北部から回ってきた強盗団の一味なのですが、拠点が北部なので、未だに被害が続いていることから、こちらには来ていないと考えています。あと、10人ほどは、この町で、通りすがりに財布を盗む者です」
「は!?顔、分かってんのに、なんで捕まえない」
「特別、探してはいないのです。見掛けたら確認するという程度で、人相書は、被害者が、捕まえてくれと言って来るんですが、現場を押さえないことには、なんとも…」
「あ、あ…、なるほど。人相書があるからって、罪の証明はできてないのか」
「はい。財布を捨てられてしまえば、金は、持っている者が、所持者と判断するしか…」
「ん。じゃあ、今のとこ、罪の確定してるのは、居ない…か?強盗団は、調べるとして?」
「ええ、そうなります。似顔絵はともかく、変えられない特徴などあれば」
「だな。分かった、ありがとう。務め、頑張ってくれな」
ここらで切り上げようと、声を掛けると、相手は、ぴしっと姿勢を正した。
「はっ!励みになります!」
「ああっ!ありがとうございます!」
相棒の方も、感激した様子で、姿勢を正す。
アルは、シリルとウォルトを促して、来た道とは逆側の歩道に渡り、引き返すことにした。
「シリル、ウォルト、分かんないこととか、あった?」
分からないと言えば、分からない、ことばかりのような気もしたし、けれども、内容自体は、呑み込めたように思うが、何が分からないか、確定できないような気持ちがする。
「ええと…」
シリルが、考えを明確にしようと、整理していると、ウォルトが声を上げた。
「あっ、あの!何人ぐらいだと、多いんでしょうか…、その、犯罪者100人とか、確かに多い気もしますけど、国全体で考えたら、どうなのかと思って…」
「うーん。アルシュファイドで100人とか、居るわけが無いんだよ。過去に罪を犯した者なら、それぐらいは居るだろうけど、捕まっていない者は、犯罪として認識されていない者になる。犯罪が発覚してれば、犯人は、国境まで手配掛けるほど、遠くには逃がさねえよ」
ただし、と、アルは続けた。
「それは、アルシュファイドの話な。そのほかの国での犯罪は、国体に依る。極端な話、アルシュファイドで罪としていることを、ほかの国では罪とはしないものもあるんだ。あと、犯罪者の数と、手配書の数は同じじゃない。犯罪現場を押さえて、捕まえるんなら、探してくれって手配はしないからな。それを考えると、国境まで手配を回される者が複数居るってだけで、俺には充分多いけど、聞いたろ、強盗団って、団体で村や町、旅人を襲う者は、世界を見れば、少なくはない。ひとつの団体に数人、数十人いるわけだから、国全体で見て、100人は、多いが、それが、世界の現実でもあるわけだ」
「…………」
「あと、その手配が、この国の犯罪すべてじゃないはずだ。この場で手配が掛かっている犯罪者が100人なら、実際の、国全体での犯罪者は、どのくらいとは、言わねえが、それよりも少なくはないと、考えるのが妥当だ」
ぞっとする。
でもそれは、実体のない恐ろしさだ。
ウォルトは、実際のところ、犯罪、というものが、どんなものかを、知らない。
その…その、恐ろしさ、を。
「お前たちの年齢だと、そろそろ、そういうことも知ってなきゃ、いけないかもな。でも、それに関わる様々なこと、巻き込まれた1人1人のことを、理解できないうちは、片方だけ知ろうとしても、正しい認識には、ならない。今は、悪いことをする奴は、どこにでも居るんだと覚えとけ。そして、見極めのできないお前たちを守るのが、そいつらだよ」
言いながら、アルが立ち止まって、後ろを顎で示した。
見なくても知っている。
でも、ウォルトも、そしてシリルも、振り向いて、その者たちを見た。
相手は、目を合わせて、軽く視線を伏せる。
「うん」
シリルが言って、前を見た。
「アルは、強いから、護衛が居ないの?」
聞くと、アルは、歩き出しながら、笑って答えた。
「強いからじゃねえよ。自力で身を守れるからだ。王族とか貴族とかは、巻き込まれる犯罪の規模が大きくなる。数の暴力には、勝てないのが当たり前のことだ。だから、リーヴにだって、護衛が付いてる」
「ああ…」
「それに、身の守り方は、ひとつじゃねえ。敵が多くなる前に、敵対する材料を潰していくのも、手段の、ひとつだぜ。そういうことをやってんのが、お前たち、王族、貴族なのさ」
実際には、もっとずっと複雑だったり、細かく分かれているのだが、今のところは、そのように思っていればいい。
「ここまでが、お前たちの国だ。ここから、異国での旅が始まる」
アルが立ち止まって、通りの向かいにある、シリルとウォルトが泊まる予定の宿を見上げた。
それから、年少の2人を見て、笑顔を見せる。
「お前たちは、そんなに、移動の疲れを持ち越さないみたいだからな、もーちょっと、自由に、あちこち見てもいいかもな!」
後ろの護衛が、異存有り、なような息を吐くが、シリルは、ちょっと護衛の顔を振り返ると、ウォルトを見て、笑い掛けた。
「うん!行きたい!」
「おっ!そう言うと思ったぜ!ウォルトは?」
「いっ!いきたい!」
衝動。
不意に突き上げるそれ。
ウォルトは、苦しくなった胸元の服を掴んだ。
「楽しみにしてな!」
ウォルトは、再び自分に顔を向けるシリルと、顔を見合わせて、笑った。
2人の少年の、小さな笑い声が、風に飛んでいく。
国境すら、越えていく。
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