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―旅の景色Ⅴ 3日目、領境にて―
バーバリア領、南東の領門があるキクの町を抜けると、断崖の下の狭い道を含む短い領土間武力行使禁止帯の一本道を通り、サイレント領、北西の領門があるメリアに入ると、賑やかな街道町が一行を迎えた。
古い街道そのままの通りは、狭く、宿が多かったが、彼らが泊まるのは、もう少し、町の外れの方で、急激に道が広がり、建物の様子も新築に変わった通り。
けれども、この辺りに来ると、急に人が少なくなって、ひとつの通りに見えるのに、あまりの違いに、皆、驚いた。
「なんだ、ここは…豪い変わり様だ」
リーヴの呟きを聞いて、通路を挟んだ席に居たペイドルトが答えた。
「もともとの宿や食堂の営業を妨げないように、この辺りは、値段を高くして、上質な整えを提供しているのですよ。サイレントの領都からの、貴族たちの宿泊が多いです。今回は、要人は、ふたつの宿に分けて、なるべく多くの部屋を押さえました。一般の客も、少ないですが、居ります。対応は人物に依るとは思いますが、領主との繋がりが無いとも言い切れません」
貴族という特権階級でなくとも、領主との繋がりを持つ者は居るのだろうが、その関係によっては、面倒なことも起こる。
異国の王族であることは、明かさない方が良いのだろうから、顔触れの一部は、不明瞭な身分の者となってしまう。
明かしたとして、例えば領主への挨拶など求められた場合、聞き分けの良い者とも限らないのだ。
まあ、一番の懸念は、特権の振りかざし、なのだけれど。
「そうか。承知した。顔触れの振り分けは?」
「女性は、いつも通りの分け方で、セイブ様とシリル様は、分かれていただきます。それによって、ほかの男子留学者の振り分けを決めましょう」
「分かった。うーん。なんだかんだで、セイブ、お前との会話が足りない。こちらに来なさい」
「あっ!はい!」
相変わらず、緊張の抜けない声に、困ったような笑みをこぼして、リーヴはセイブを見つめた。
いつからこんなに、緊張するようになったのかと思い返しても、最初からとしか言えなかった。
間もなく、馬車を降りて、宿に入ると、今日は色々と町を見たからと、休むことを強く勧められた。
皆、おとなしく部屋に入ると、汗を流して身支度を整え、談話室や遊戯室を覗いてみた。
部屋のほとんどを占領した甲斐があったようで、旅の仲間以外の者は見当たらず、年少の留学者たちは、見慣れぬ遊戯用設備を見て、瞳を輝かせた。
特に、奥に設置してあった有料遊戯設備は、多様で、更に奥まで行くと、この先、活動遊戯と表示があった。
案内をする者に尋ねると、汗をかく程度に活動することになるので、服装や、このあとの身支度に時間が掛かることを考慮して、進むようにと言われた。
「明日の早朝でしたら、湯も浴びられますし、寝るわけではないので、浴びずとも、気にならないかもしれません。そちらの通路から、見物できますので、ご利用ください」
示された通路は暗く、何があるのか分からない。
「護衛の方が、いらっしゃるのであれば、お先にどうぞ。女性は、そちらの服装ならば問題はありませんが、裾を気にされますように。いくらか捲れてしまいますので」
「私が先に行きましょう!」
楽しそうな声を上げるガリィが、さっと動いて、規定の靴に履き替えると、指定箇所に脱いだ靴を収め、通路の奥へと向かった。
シリルたち、年少の少年はもちろん、同じ宿のカタリナたちやグウェインたちも、靴を履き替え、あとに続く。
通路の奥には、縁が光る穴があり、足を下に飛び込んで!と、指示板が立っていた。
「では、行きます!合図をするまで、待ってください!」
喜び勇んで飛び込むガリィに続こうとするシリルを、近くに居たセリスが止める。
あははははっ、という、ガリィの笑い声が聞こえたと思うと、すぐに、いやに近くで、大きな彼女の声が響いた。
「次!いいですよ!暗いけど、滑り台です!途中で、ぶつかるかもしれないから、1人ずつで、連絡を待って、次の人が入ってください!」
「ベリオスを先に。すぐですから」
セリスの落ち着いた声に押し止められて、シリルは、自分の護衛の1人、青年騎士ベリオス・ジュードが穴に飛び込むのを見送った。
最後辺りに、うわっと声がしたが、次、いいですよ!と、ガリィの声がしたので、無事なのだろう。
「どうぞ」
セリスの言葉に、弾かれたように動いて、シリルは穴に飛び込んだ。
暗いけれど、形状が筒で、左右に曲線を描く通り道ということは分かった。
ちょっとだけ、怖いと思うような速度だったが、明るい向こうに、ガリィの笑顔と、ベリオスの心配そうな顔を見付けると、笑みが零れた。
「うわっ!」
筒から飛び出ると、柔らかい何かに沈み込み、さあ、立ってと、手を差し出された。
「両足をこちらに、そう、はい!大丈夫ですか?」
笑顔のガリィと、やっぱり心配そうなベリオス。
安心させたくなって、笑顔で大きく頷いた。
「うんっ!」
「よかった、どうぞ、ウォルトを待ちましょう」
言われて、ベリオスに促された位置に立つ。
次にガリィは、今の時間に同行しているウォルトの護衛の1人、青年騎士ルラン・マックォートに滑るように言い、その次にウォルト、次にセリスを呼んだ。
「ウォルトが到着したら、5人で進みます。セリス、任せていいよね」
「承知しました」
そのように分かれて、セリスは、入り口を、グウェインの、護衛の1人である青年騎士エウリート・カシマに頼んで、滑り降りた。
到着点の先は、また暗い隧道となっており、セリスの到着を見ていたガリィが、離れたところから片手を挙げて、軽く振った。
片手を挙げて返すと、すぐ目に付いた立て板に、入り口に繋がる合図用だと書かれた伝達管を教えられ、入り口に向けて、後続の者を呼んだ。
様子を見守る者は辺りに居ないようだったが、時間の合間に横の説明書きを見ると、緊急事態の対応の中に、滑り台封鎖の発動も挙げられていた。
滑り台の途中で利用者が動けなくなった場合や、出口付近に人が居る場合など、発動条件を見れば、自分に気付けなかった仕掛けであることには不安を持ったが、安全対策には、信用を置けそうだった。
座って後続の者を待てるので、令嬢には椅子らしい背凭れのない台を勧めて、滑り出しの合図を出していると、やがて来た政王機警隊補佐隊の男騎士レビットポート・ラヴィステ、通称レビが代わってくれ、カタリナたちの移動に合わせて動くことができるようになった。
見物用通路は、最初の方は暗かったが、すぐに、その名の通りの見物ができる区画に入ると、嘘のように周囲が明るくなった。
最初に目に入ったのは、広い空間、殊更、高い天井が目を引く空間に浮かぶ人々だ。
見物用通路があるのは、その区画の壁の、中ほどの高さで、空間に対して、活動場の利用者が少な過ぎるのは、宿泊客の多くが留学者一行で占められているからだろう。
どうやって浮いているのかと見ていたら、ゆっくりと下に降りていき、着地したと思った瞬間、急に、自力では有り得ない高さまで跳び上がって、驚いた。
説明書きによれば、床に張られた布に、飛び跳ねるための、土の力による仕掛けがあり、空間全体には、落下が緩やかになる風の力による仕掛けを施しているということだ。
ただし、この区画は、色違いの部分で仕様が異なっており、もう片方は、下に敷かれた布そのものに、弾力を持たせているということで、飛び跳ね具合は、自分で調節し、落下は、細工をしていないので、通常の速度となるそうだ。
接触防止の術は空間全体に対して行っているが、安全には、利用者自身の注意が多く必要となる。
この2種類の遊び場が大小3面ずつあるということ、大きな1面が自由利用、半分の大きさ2面が、指定利用で1時間から2時間まで、独占できるということも明示してある。
料金は、異能の仕掛けが無い方なら、自由利用が1時間1人300ディナリ、指定利用が1面1時間1,000ディナリで、10人までの入場を認めるとのことだ。
ケイマストラ王国で第1王女の侍従兼護衛だったセリスの給与は、一般のそれより数段高いが、300ディナリだと、安い酒を1杯飲む程度なので、一般兵士の給与なら、遊興で使うことにも、それほどの躊躇は無いだろう。
カタリナたちの組に同行していた政王機警隊補佐隊の女騎士メアイレンカ・ローゼ、通称イレンカが、言葉を添えた。
「あちら側は、飛び跳ねる際に、それなりに自分で工夫が必要ですし、案外、体力を使います。そちら側は、ほぼ、仕掛けに任せられるので、それほど汗をかかなくて済みそうです。食後に少し、遊んでみてもいいかもしれませんね」
「あ、そういう、こと。考えられるのね…」
カタリナの呟きに、イレンカは頷いて返した。
「見物用通路は、見守りの大人たちのためですが、こちらのような施設は、まだ、馴染みがありませんからね、初めての人には、いきなり料金を支払うより、見て知ることができるから、都合がいいです」
なるほどと思いながら、セリスは、異能も使い様なのだなと考える。
全く異能を使わなかったとしても、素材の工夫次第、いや、特質かもしれない、それ次第で、ほかと同じことができたり、ただの遊びにもなるし…いや、有料なら、こんなことでも、稼げるのだ。
遊びなんて、贅沢は、特権階級でしかできないことかもしれないが、それでも、利用者がいるのなら、庶民にも、仕事として、得るものはある。
そんなことを意識の端に追い遣って、再び進み出したカタリナたちを追う。
この遊び場は、位置からして、正面の入り口だった建物の裏手にあるものと思える。
かなり広い空間だが、先ほどの遊戯室が縦長だったのに対して、横長の遊戯室があったり、細い通路を、ほかの遊戯室の端に通して、長さを取っていたりで、遊戯内容に合わせているのだろう、物足りなさは感じない。
遊戯としては、3種類と言えるだろう。
先ほどの、飛び跳ねの遊戯と、長い台を滑るもの、それと、様々な障害物を、体全体を使って乗り越えていく一連の経路だ。
滑り台は、指定の籠に乗って滑り下りるだけのものと、指定の籠に乗って、障害物を避けながら滑り降りるものの2種類。
障害物経路は、自力で各障害物を乗り越えるものと、障害物の方に自力を助ける異能による仕掛けが加えられている物の2種類。
いずれも、安全対策以外で、遊戯設備自体に異能による仕掛けのある方が、総じて利用料金が高くなっているが、安い酒を、ちょっと高い酒にする程度で、たまの贅沢ならいいかと納得できる範囲だ。
「楽しそう…!滑り籠くらいは、できそうじゃないかしら…!」
「そうですね。あれなら、どちらにしても、手軽です。そろそろ、食事に向かいましょうか」
声掛けをして、入り口から運ばれていた自分たちの靴に履き替え、一同が見物用通路を出ると、宿の主要設備のある棟から離れていたらしく、食堂区画まで、水平移動用の歩行設備を利用することになった。
名称を往復路と言うそれは、逆方向に向かう動く2本の歩道が、ひと組となっているもので、アルシュファイド王国では、通常の道に多く設置してあるものだという説明だった。
「こういったものも、到着したら、慣れるようにしてください」
護衛含む侍者向けに、イレンカが、そのように言った。
セリスたち護衛としては、幅の制限があるので動き難いし、手摺りなどがあって、とても剣など、振り回せない。
難しいことを考えるセリスの表情に何を見たものか、分からないが、不意にイレンカが、条件は同じですよと言った。
守る側も、攻撃する側も、設置されている物があるならば、それは同じ、障害物なのだと。
「こういった乗り物の類は、外からの襲撃は、通常、行えません。アルシュファイド王国で作っている道具は、考えられる、備えられるだけにはなりますが、安全対策が施されているのです。それだけで安心はしませんが、異変を察知するための情報のひとつです。暴漢が往復路の中に入ったり、外からの攻撃が通るようであれば、安全対策を無効化される異常事態が起きていると考えてください。大事なのは、そういった緊急事態に、どう対処するかを決め、行動できる手法を、多く持っておくことです。それは、異国に行くなら、それに合わせた手法にはなりますが、知識の差さえ無くせば、与えられる条件は同じです。守り方というのは、きっと、それほどに変えることでは、ありませんから」
異国だからと、萎縮するなどで、守り方が変わってしまうことは、あるのだろう。
けれども、その変化はきっと、好ましくない。
「覚えておきます。今はただ」
「ええ。ありがとう」
イレンカは、瞳をやさしくして、前を向いた。
なぜだか、これは女じゃなくて。
女騎士だという、思いが、セリスには生じていた。
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