4人が本棚に入れています
本棚に追加
―旅の景色Ⅵ 4日目、サイレント領を行く―
サイレント領内は、昨日通ったバーバリア領よりも、起伏が少なく、木々が多いようで、街道から畑を見ることはできないようだった。
特に領の北西から中央部に、まっすぐ行く道の両脇は、深い森ばかりで、視界が悪い。
「サイレント領は、ミルフロト王国のなかでは、領土は広い方ですが、人の数は少なめで、中央の領都に集中し、あとは、東部に多くなっていますかね。そちらは、昔に開墾していて、すっかり畑としての土地が定着しています。この辺りは、狩猟を行う者が多く、ウォントウェントという獣狩りが行われています。繁殖力が強いらしくて、今のところ、大きな増減は無いみたいですね」
ペイドルトの説明に、知らない獣の名を聞く。
「ウォント…ウェント」
何気なく呟いて、リーヴは窓の外を見た。
窓側の席にはセイブがいて、同じく、なんとなく、窓の外に気が向いたらしく、そちらに顔を向けている。
並ぶ木々の種類は、同じように見えるが、とにかくこのような広大な緑の森は、ケイマストラ王国には無いもので、何度か王都の外に出たセイブにも、見慣れないものと映るのだろう。
「あまり大きな獣ではないです。本当は、ウォントが雄で、ウェントが雌らしいです。いつの間にか、ウォントウェントが種の名ということになっているらしくて。たぶん、ウォントウェントが多く狩られても、それほどに減らないのは、食料の茸が大量に生えているのでしょう。今、そちらの数が激減しないように、注意喚起して、調査の手法の確立を勧めているとか。そうです、狩猟が盛んですから、森には、気を付けてください。流れ矢が無いとも限らないので」
通常、狩り場の指定があるはずだが、方向を見失ったりして、間違いが起こることを考えないでは、いられない。
「バーバリアの休憩場は、最近できたように見受けられたが、サイレントもそうか?しかし、木々を切り倒したのか」
「ええ、そうです。この辺りの木は、皆、同じもの…これら全部、ひとつの株から生じているもので、大きくなるのに時間は掛かりますが、株さえ無事なら、絶えません。と、それを言うと、株を守る必要もあるという話になるのですが、それは、まあ、サイレントの問題で。しないとは思いますが、木を傷付けることはしないでくださいね。切り付けることはもちろん、叩くこともしないでください。サイレントの森は、特別なので」
「以前に通った時に、聞いたことがある。この森は意思を持つと」
「ええ。我々も、裏付けのない言い伝えだと、ずっとそう思ってきましたが、伝承と、事実と、考え合わせると、間違いではないのかもしれません。とにかく、手順に従って、伐る木は選びましたから、問題は起こりませんでしたよ」
「どういう…?」
窓から目を離して、尋ねるセイブに、リーヴは、ちょっと、得意そうに話した。
「サイレント領の木は、意思を持つと有名でな。それと言うのも、昔に、侵攻しようと、密かに木を伐り倒そうとした隣の領の軍が、木の葉に覆われて身動きできず、逃げ帰ったという事実があってな。今でも一部、葉も無いのに立ち続けている木があるそうだ。サイレント領の民の間では、木を伐る前に、声に出して伺いを立てるということは、常識だそうだ」
「う…、え?しかし、どうやって、その是非を確かめるのです。まさか、木がしゃべ…」
言葉を途切らせたセイブは、恐ろしいものを見たような顔で、でも半信半疑の様子だ。
気持ちがよく分かって、リーヴは、くくっと笑う。
「伐っても良ければ、木の葉の音が返るそうだ。不満があれば、恐ろしい声が聞こえるらしいぞ」
ペイドルトが、あとを受けて言った。
「実際に、休憩場を作るとき、いや、ほら、新たに作られていた宿があったでしょう、あちらもなんですがね、道幅を広げて、建物を作る前に、その伺いを、1本1本で行ったそうですよ。で、何度か、この、恐ろしい声と言うか、拒否の声ですか。それが、上がったそうです。道幅を広げるのはともかく、宿なんて、敷地が広いですからね、拒否の声が上がらなかったところだけ伐採して、拒否されたところは、敷地に含まないようにしているそうです。近いところは、借景のようにして、宿としては、庭作りの、いい素材だと喜んでいるそうです。ああ、あの宿で、お見せすればよかったですね。車馬の置き場なんかも、馬車回しの都合に合わせていたりします。次、コフリシャオは、馬の休憩場ですが、少しだけ降りて、ご覧になりますか」
そういうことで、リーヴたちは、短時間だったが、降りて、馬たちの休憩場を見せてもらった。
人のための休憩場もあるが、小さめになっており、食堂は無く、ただ、近くの町から来ているらしい、軽食売りは、いくらか見られた。
この軽食売りたちは、1本ずつ、木を借りて、その周囲に、商品の置き場や、自分たちの荷物を置いているようだ。
気になって近付いてみると、木の太い幹に専用の鉤を備えた輪を取り付けており、それを支柱の、ひとつとして、板を水平に保ったり、簡単に、袋を引っ掛けたりするのに使っているのだった。
「ちょっと聞きたいんだが。そんなことをして、木を傷付けたりはしないのか」
リーヴに聞かれた娘は、彼らの身なりや、全体の様子に、少し首を傾げながら、答えた。
「だいじょうぶですよ、きずつけたって、これは切っていい木だもん。売り子は、そういうの、えらんでつかってるの。ぎょしゃたちもそう」
見回せば、売り子だけでなく、木を柱にして、縄を渡し、横に張った布の上で休む者までいる。
「あんたたち、知らないんなら、気を付けて!こっち側はいいけど、あっちらへんは、柵があるでしょ!変なことしたら、こわいんだからね!」
「実際に何があるんだ」
セイブが聞くのに応えて、娘は、そちらに顔を向けた。
「そのときどきだよ。大量の虫が、ふってきたり、ふってきた葉が、りょうほうのまぶたの上にはりついてとれなくなったり、ほんとに、ひどいことしたやつなんか、葉っぱにうもれて死ぬとこだったんだから」
「待て、したことによって、されることに差があるのか」
リーヴの確認に、娘は、そうだよと首肯した。
「子どもの、いたずらていどなら、いやがらせみたい、笑ってすむようなことしかおこらないけど、ひどくおどすようなやつらなんか、けっこう、いたい目、見てるよ」
「そう…なのか…」
「うん。このへんのものは、そういうのがあって、おっきくなったから、めったなことはしないよ。しなくても、じゅうぶん、生きていけるしさ」
「そうか…」
「ありがとう、時間だから行くよ。それをいただこう、2袋」
ペイドルトの声に、商売を思い出した娘は、木の実を、すぐ食べられるように蒸したものを、渡した。
「あっ!ありがとね!200ディナリだよ!」
「面白い話を聞かせてもらったから、お礼だよ。飲み物代ぐらいだが、受け取ってくれ」
そう言って、500ディナリ硬貨を渡すと、釣りは君にと、付け加えた。
「あっ!ありがとね!道中、きをつけて!」
「ああ、ありがとう、さよなら」
一同は、とにかく、出発だからと、馬や馬車のところへと戻り、乗った。
再び馬車が動き出すと、席に落ち着いたペイドルトは、先ほど買った木の実を取り出して、本来は硬いが、今は少し、ふやけたようになっている殻を剥いて、食べた。
「ん。簡単に、塩茹で…いや、サーシャリントの葉の包み蒸しだったな、ここは」
「なんだ、それは?」
「どうぞ。見た目、栗みたいですけど…あ、こっちは、無いのか。ええと、尖った部分があるでしょう、そこ、両側を摘んで、そう、開いたでしょう、きれいに割れるから。そのまま食べられます」
リーヴが、実を口に入れて、味わうのを見て、ペイドルトは先の問いに答えた。
「これが、この辺りの森を作っている株の木に生る、実ですよ。サイレントには、サーシャリントと言う植物があって、この草の葉には、大量の塩が含まれているんですよ。この葉で、包んで調理とかすると、中の食材に塩味が付くんです。それが、これ、こんな感じの、味加減に」
「ん。なるほど。プノム…より、あれだな、ポトム…か?途中で食べた、甘い…」
「ああ、ええ!味は全く違いますが、甘みは似た感じですね。これが、サイレスカルトと言う名の木の、実です」
「サイレスカルト…」
「ええ。あ、さっき、株はひとつと言いましたが、正確ではないです。サイレントの土地にしか無いようですが、数株くらいはあるんじゃないかと、予想されています。色々と、恵んでくれる木ですよ…」
「何を?」
こちらも、実を食べてみて、どうやら気に入ったらしく、殻を剥く手が止まらないセイブが聞く。
「まず、この、実ですね。火を入れないといけませんが、多量にあるので、飢えずに済みます。それと、先ほど、ちらと出しましたが、この辺りで得られるウォントウェントですが、これが食べる茸が、サイレスカルトの根元から幹の低い部分に生えるのです。そして、サイレスカルトの根の下は、ウォントウェントの巣になっています。虚のなかには、飛べない鳥が巣を作って、育たない卵を外に出すんです。この卵も、人には貴重な栄養源で」
「なんだか、都合のいい…」
「ははっ!ですね。でも、この形が崩れないのは、サイレント領の民たちが、サイレスカルトの木を、その自然の調和を、大事にするからです。今後も、大事にしてもらいたいですね…、まあ、これは、異国の者の勝手な感傷ですが」
「それは何か、悪いのか?」
ふと、実を食べる手を止めて、セイブが聞く。
その口の端に、殻の、かけらが、くっ付いていて、リーヴはちょっと、口元を緩ませた。
「そりゃあね、ここで住む人に、もし、現状維持が辛いことになってきたら、異国の民の言うことなんて、どれだけの無責任でしょう。しかも、ただ、その形が、好ましいからって理由。そんなの、押し付ければ、疎まれて当然です。ちゃんと、現実を知って、ここに生きる彼らに、できること、生きていくために、必要なことを満たすように、形を作っていかなければ。それが、我々、交渉師、外交官の、務めなんです」
「交渉…師。交渉師?か。外交官は、交渉師か」
「ええ、そうです」
「ふうん…」
セイブは、何かを思い返すよう。
邪魔したくはなかったが、そろそろ、口の端にあるものを、どうにかしなければ。
すっと、動かす手に気付いて、身を起こしたセイブの口の端を、リーヴが、指で強めに拭ってやる。
「ふふ。考え事もいいが、そんなでは、締まらない」
言うと、かあっと、頬を染める。
「つっ、付いて…」
「うん。まあ、かわいくて、私はいいけど」
「男が、かわいくたって、なんにもならないでしょう!」
「おや。弟が、かわいいは、なかなかに有用だよ?兄や姉が、何かと世話を焼いてくれるからね」
「俺はあなたに世話なんか掛けません!」
「ええ、いやだよ、世話を掛けてくれよ、頻繁には困るけどさあ…」
「なっ!なっ!なんですか!甘やかしてるんですか!」
「うん」
「そっ!?そんなで!王が!務まりますか!」
「ちっ、ち。甘く見ちゃあいかんよ、私を誰だと思っているんだい。私だよ」
「じっ!じっ!自信過剰…っ、!!」
「過剰じゃないよう。的確な把握だよ、弟よ。ふふ。初めてぐらい、私を見てくれたね」
そう言うと、セイブは、はっと息を呑んだ。
リーヴは、流し目を遣って、正面に体を向けると、深く後ろに背を預けた。
「うん。そういう、お前も、いいな。きっと、私の近くにいておくれよ。セイブ」
そのまま、目を閉じてしまうリーヴに、誰も声を掛けられない、もちろん、セイブも。
両手に持っていた、こぶしの中に入る程度の実を、机に置くと、近くにあった濡れ塵紙で手を拭いて、横にあった棚から、毛布を取り出す。
「掛けましょうか」
声を掛けると、リーヴは、目を開けて、うん、と、笑った。
セイブは、毛布を広げて、兄に掛けてやると、再び、気に入ってしまったサイレスカルトの実を、手に取った。
最初のコメントを投稿しよう!