留学者一行の旅路Ⅲ クラール共和国滞在記

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       ―旅の景色Ⅸ 6日目、観光、セイン領の城下町―    クラール共和国入国から3日目、今日は、揃って遠出をしようということで、留学者一行は、東隣の領地のひとつ、セイン領に来ていた。 一旦は、出入国することになるが、それほど難しい審査ではない。 国王所領のリタ領を右手に、ミルフロト王国供用路(きょうようろ)と言う、領境(りょうざかい)の緩衝地帯を少し北に進んで、入ることができるのが、セイン領だ。 ミルフロト王国は、小さくとも国家と呼べるような領地が集まって作られた国なので、その(さかい)には、共用の道を作ることで、互いの干渉を(とど)めている。 この道を、ミルフロト王国という、国として(まと)める国王が提供したものとして管理し、供用路、と呼んでいるのだ。 西側の、バーバリア領からサイレント領に至る道を、一行が進んでいたときは、これを横切る形で、特に、領土間武力行使禁止帯、と定められた区間を利用させてもらっていた。 そのほかの場所と、作法は、それほどに変わりは無いのだが、問題が起こった場合に、禁止帯以外では、国王が仲裁を行い、禁止帯内では、国王による処断が行われる、という違いがある。 クラール共和国を囲む道は、武力禁止帯ではなく、ミルフロト国王直轄の、供用路だ。 利用規則は、そのほかの供用路に準ずる。 ただし、ここで武力を用いると、国家間の問題となるので、禁止帯での騒動よりも、さらに重い結果を生むことになる。 そんなことで、特に監視も厳しく、結果として安全になっている道を通ったので、何事もなくセイン領に入った。 領境(りょうざかい)の門を入れば、そこが領都の範囲内だ。 正面にあるのが城下町、そちらを右手に迂回すれば、広めの農耕地に出て、左手側は、クラール共和国に接する国境だ。 東に正面を向けるセイン城は、西側の背後に、国境の高い山を見上げる。 その山は、領土としては、クラール共和国となっていて、セイン領側から踏み入ることは許されないのだが、峻険な山裾(やますそ)は、深く大きな谷底の向こうにあって、ちょっとやそっとの力量で、異能を活用したとしても、越えられるものではない。 はるか下方には水があるため、湖の(ふち)とされ、供用路に代わる緩衝地帯のようなものだ。 なかなかに見応えのある光景だと聞いたアルは、年少の少年たちと馬を駆って、()ってしまった。 「もうっ!それなら、ちゃんと着てきたのに!」 ハシアは、ここのところ、アルと会話が無いと気付いて、頬を膨らませる。 今回の旅装としては、王族の装いと心掛けたため、遠出をすると聞いて、活動用の工夫もしていないし、乗馬用の服も、もちろん選ばなかったのだ。 分かれて進む客車の窓から、アルたちを見送って、むくれるハシアを、同乗者が笑う。 「その姿で騎乗してくれなくてよかったよ。まあ、すぐに合流するだろう」 リーヴの声に、いつまでも不満な顔をしているべきではないと、ハシアは、表情を和らげる努力を、し始めた。 ヨクサーナは、それを見て、このようなことに、自分同様、ハシアも努力をするのだと、心のどこかが柔らかくなったように感じた。 「そう言えば、これから行くところは、どのようなところでしょうか。やはり、(いち)…でしょうか?」 少しでも、ハシアの気が(まぎ)れるならと、ヨクサーナは、先のことへと意識を向ける。 ハシアは、すぐに、ヨクサーナの問いに反応して、彼女を見た。 「うーん…そうだな。ほかの町との比較ができるといいのだが。やはり、物の値段とか、人の様子、身なりとかな、そういうことが判る場所だと、いいだろうか」 リーヴの言葉に、同じ机を囲む3人、ハシアとヨクサーナとケイトリーは、その状況を、それぞれに思い描いて、頷いた。 あまり話し合う時間もなく、南側から低めの門の中に入ると、平坦な町の西側奥に、小山のようなセイン城が見え、北から南まで、半円以上の扇形の城下町が広がっていた。 馬車道の両脇にある建物が高いので、彼ら一行には、その全容を知ることはできない。 そのため、ミルフロト王国駐在公使のレステルが、領主に頼んで、城の城門から町を見下ろすことを許してもらった。 領主本人は、視察で郊外に赴いており、領主の妻と娘が一行を迎え、庭で、(のど)を潤す程度の茶を振る舞ってくれた。 非常に、あっさりとした()()しで、城下町の見所を紹介してもらった一行は、丁寧に礼を言って城を去った。 「しかし、このような応対でよかったのか?領主としては?」 リーヴが、不審に思って聞くと、レステルは、笑顔を深めて言った。 「このような応対が、よいのですよ。国王を差し置いて領主が異国の王太子に挨拶するよりも、ずっとね。領主は、国王に対して、無断で余計な事柄に手を出さないのだという恭順を示せますし、国王は、アルシュファイド王国に対して、適切な応対に徹したことの恩を売れます。ケイマストラ国の外交官なら、挨拶ぐらい交わしたいところでしょうが、皆さんの目的は、学びですからね。それ以上のことを求めれば、肝要な部分が(おろそ)かになります。それは、いけません」 人差し指を立てて、にっと笑う様子は、悪戯(いたずら)(たしな)める教師の威厳があった。 リーヴの倍近い年齢の威厳が、きちんとあることは、王太子として多く頭を下げられてきた彼には、とても新鮮な態度の示しだった。 リーヴは、なんだか、彼女のことを気に入ってしまい、親しく会話を交わして、城下町を歩いた。 婚約者を取られてしまったケイトリーだが、それならそれで、同年代の少女たちと、親しみたい。 カタリナとエシェルを探して、急いで仲間に加えてもらった。 とは言え、街路を歩くのに、3人で並ぶのでは、道を塞ぎ過ぎる。 カタリナは、ちょうどよいと思い付いて、公的留学調整者のハウルを仲間に引き込み、4人組で通りを歩くことにした。 ハウルも、初めての町なのだが、一通(ひととお)りの知識は持っているので、街中で見掛ける多くの事柄に対して、丁寧な説明を行うことができた。 「やはり、街中を見て回って、そのようなことを覚えたの?」 見上げてくるカタリナに、ハウルは、複雑な表情を見せた。 笑っていいものか、正直に言ったものか、いつもリーヴに対して放つような皮肉を、口にしたい欲求がせめぎ合う困り顔だ。 「ええと…、まあ、そうですね…」 「何?何かあるの?」 はっきりしないのは、好まない。 眉根を寄せるカタリナに、正直が一番だろうと、ハウルは言うことにした。 「私がこんなことを知っているのは、リーヴ様が、あちらこちらに視察…に行かれたからですよ。供として、付いて行きましたので」 カタリナは、その言い方で、ぴんときた。 「は、ああん…?お兄様も、あまり褒められた視察の仕方をしていたわけではない、ということね?」 「そんなことは言っていませんよ…」 「ふふん!まあ、いいわ!」 機嫌の良くなるカタリナに、ちょっと笑って、ハウルは、改めて、周囲を見る。 彼らは今、城下町に流れる水路沿いに歩いており、流れる水の音が心地よい、人通りの少ない道にいる。 この程度になら、分かれてもいいと、了承をもらった彼らの一団は、通常の住居の通りも見てみたいのだと、(いち)に向かうことのできる、閑散とした、この道を選んだ。 先頭を行くのは、リーヴとレステルで、2人の護衛の(あと)に3人の少女とハウル、この6人の前後に護衛が付き、少し離れて、グウェインとファムが並び、私的留学者のネマ・ワイアットとパテア・キュリシオがその後ろ、さらに後ろに、同じく私的留学者のロウル・バステアとマウカルスト・カッシーリョが並んで、この、ひと(まと)めで、護衛が付いていた。 セイン城の城下町は、少なくとも、この辺りでは、とても静かで、レステルが手配した案内人の説明によれば、貴族など、大きな屋敷の使用人として働く者や、警護任務に当たる者たちの住居だそうで、この時間は、家族揃って、雇われている屋敷に入って、親は勤務、子は、手伝いを言い付かるものらしい。 まだ、手伝いができない子は、屋敷の一室で、年長の子が面倒を見るのだとか。 そうして育っているから、きちんと役目を果たせるようになると、その屋敷で働き、親のあとを継ぐような流れになるのだそうだ。 そのようなこともあって、屋敷の使用人というものは、2人以上の子を作らないように、自分の体に細工をするものなのだそうだ。 「細工って…」 「異能でやる、避妊のことだ。そうだろ」 マウカルストの声が、低く密やかに響く。 ファムたち、3人の、前を歩く令嬢には、聞こえないように。 案内人も、これに合わせて、声を(ひそ)めた。 「そうです。場合によっては、火の異能で、機能自体を焼失させる…実際の火で焼くわけではありませんが…という話です。まあ、最も必要な若いうちに、失敗が多くて、3人ぐらいまでは、まあ、作ってしまうようですがね。そうなると、勤め先がなくなるんで、男の子は、兵になったり、物作りの工房に入ったり、セイン領で見付からなければ、王都のシャリーナに行ったりです。女の子は、いずれ嫁に行けばいいわけで、小間使いとしては、どこも手が足りていないので、賃金は安いですが、朝、昼、晩の食事付きならばと、時機が来るまでは、家族と共に住むような感じで、留まります」 「ん。つまり、そうして、家族で助け合って暮らして、これだけの場所に住める…か…」 「そうです。少しばかり、支度金を貯めることもできるので、苦労はしますが、なんとか、働き口を探します。ああ、きちんとした屋敷で育つので、ある程度の文字の読み書きと、数字と、計算は、知っているからですね。もう少し貧しい者になると、雇ってくれるところは、ぐっと少なくなるし、つてがないんで、王都に行く場合も、当ての無い旅になります」 「そうか…」 その苦労を、本当の意味で、貴族令息として育ったロウルも、マウカルストも、知らない。 なんと言ったものか、分からず沈黙する(あいだ)にも、案内人は、先に行く護衛の者に合図して、曲がり角を指示している。 「クラール国には行かないのか?」 「つてがあれば、行きますかね。学びたいと思う者が。ただまあ、学習は無料でも、生活費は稼ぐ必要があるもんでね、住む場所とか、必要だから、なかなか難しいですよ。領が違うのではなく、国というものが違いますから、まず、屋敷で教わる程度の言葉しか知らないでは、苦労も一入(ひとしお)ですよ」 「そう…なのか…」 「ええ。小さいうちから、学ぶんだって思ってる子は、クラール国の郊外にある小学校の分校に通えばいいですけど、12歳を過ぎてると、受け入れてくれないんで、いきなり学問所に行っても、作法が判らない。説明書きを、1人1人に説明はしませんからね、まずは、それを、独力でも理解して、小学校の卒業証明書を取らなけりゃいけない」 「ふうん…」 前方に、人の多い広場が見えてきた。 それを観察しながら、ロウルは、なんとなくで立ち寄ることとなった、この領の民に思いを向けた。 何も、明確な感情などなく、ただ、自分には想像もできない事情に、ぼんやりと、ただ、気持ちが傾く。 風に乗るような浮遊感が胸に広がって。 ロウルは、ふと、目に入った婚約者に気付いて、地に足を付けた。 まだ、理解できないことが多過ぎる。 けれども今は、とにかく今は、目の前の彼女を、守らなければならない。 この異国の土地で。
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