留学者一行の旅路Ⅲ クラール共和国滞在記

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       ―旅の景色ⅩⅢ 8日目、見物、首都ベッツⅠ―    クラール共和国滞在最終日である今日、留学者一同は、自由行動となっていた。 自由と言うには、決め事が多かったのだけれど。 「まず、一番は、休むこと。明日(あす)からまた、馬車旅ですし、いずれ、慣れない船に乗るのですから、丸一日を乗り切れる体力が必要です。15時の茶の時間を目処(めど)に、17時までには、宿に戻っているようにしてください。行動範囲は、首都ベッツ内で、お願いします。馬車を利用する行き先としては、北のベッツ城か、東通り市が適当でしょうか。歩きでの目的地としては、中央広場近辺と、東に延びる店舗街、南通り市から四方八方に延びる小道の散策が適当かと思います」 いつものように、集まっていた食堂で、説明役のトレントが、そのように言って、続ける。 「朝早くからの活動をしたい方もいるのでしょうが、気持ちと体は、別な場合がありますから、周囲の者が、休むようにと言うのなら、そちらを優先させてもらいます。ですので、宿の中で長めに休んで、出掛ける時に、人数と、外出中の皆さんの居場所を考え合わせて、合流などの対応をお願いします。ゆったりと過ごせる場所としては、少し離れたベッツ城か、少し遠いですが、歩いて行ける学問所内の図書館と、中央広場近辺は、市場ほどの人出(ひとで)では、ないはずです」 ジョージイが、片手を挙げて言った。 「あー、今日は暁の日だから、どこも、人は多いかもしれないよ!ただ、ベッツ城と図書館は、静かに観覧、閲覧する決まりだから、要所に椅子もあるし、いいんじゃないかな。中央広場近辺は、まあ、多いって言っても、通り道とかだからね、確かに、市場よりは、歩きやすいと思う。あと、時間にもよるね!昼食時間は、食堂は混むし、職場との行き来なんかで、みんな、一斉に移動するのさ」 「ありがとうございます。そういう様子だそうなので、多少、顔触れを変えても、体調に合う場所、行動を選んでください」 そのように話を聞いて、皆、ちょっと首を傾けた。 そうして、同じ机を囲む者たち相手にだが、最初に口を開いたのは、私的留学者のリーベルだった。 「とりあえず、男性は、今日は別行動でよいのではないでしょうか。いつも付き合っていただいてますけど、1日ぐらい…」 そう言って見るのは、少し年上の、同じ私的留学者の少年3人だ。 リーベルの伯父の薦めで選ばれた同伴者なので、少女たちに合わせて、できるだけ同行してくれていたのだ。 「いや、気遣いは()らない。充分楽しんでるし、興味深いことばかりだ」 アモン・クールドが、そう言って、あとの2人に目を()り、すぐにリーベルに視線を戻した。 「休みたいなら、ひと息つくのも、悪くない。でも、気に掛かるようなら、今日は別行動としておこうか。最初にも、ずっと付き添わなくていいと言われたし」 そう言って、あとの2人を見る。 「今日は3人で行動するか?あんまり、分かれすぎるのも問題だろうし、ほかの顔触れと同行と言ってもなあ…ここまで、それほど話してないし」 それを聞き付けて、ジョージイが言った。 「おや!それはいけないね!折角(せっかく)、同世代なんだから、今日は5人で行動しようよ!俺が案内してやろう!」 そんなことを言って、さあさあ、と、セイブとラケットを立ち上がらせ、アモンとカガナと、フィオを()かし、少女たちに、じゃあ、借りるねと言って、上機嫌で食堂を出ていった。 置いていかれた少女たちは、顔を見合わせて、どうしようかと言いながら、時計を見たりする。 そこに、別の机にいたカタリナが来て、今朝はちょっと、休みましょうかと言った。 「ほんの1時間程度を見て、外に、お茶を飲みに行けるところを、探しに出掛けませんか?朝早くに見たところでは、中央広場の北側には、飲食できそうなところが、もう、(ひら)いていて、覗いてみたいと思っていたのです」 「その辺りは、確か、軽食屋ですよ。ペイドルト!そうよね」 機警隊のワティナに声を掛けられて、駐在の務めもあり、近辺に詳しい公使のペイドルトが寄ってきた。 「はい?どちらのことです?」 「中央広場の、国会議事堂の裏手ですよね?北の方」 「ええ、そうなの!おいしそうな香りが…あ!途中で買ったようなのよ!フアッカのような…あ、フッカと言うのね!」 ペイドルトは、なんの話か察して、頷いた。 「ああ、あの辺りは、確かに、安価で、食べやすいものを売っています。軽食とは言え、食事の提供が主な目的ですが…」 「そうなの…」 残念そうなカタリナを見て、ペイドルトは、考え直した。 「あ!でも、飲み物だけでの利用もできますし、食べ物も、菓子の分量で選べます。では、そちらは、私が、ご案内しましょう。こちらの宿の玄関広間で待ちますので、ええと、時間は?」 「えっと…9時頃に、集まった人数で、お願いするわ!それまでは、個室か談話室で過ごします。人数は、その時に集まった者だけで。間に合わなかったり、もっと早くに出たければ、それでも、いいのじゃないかしら。ペイドルトの出発だけ、9時を目処(めど)にしてもらいたいの。誰も来ないようなら、一応、9時半ばまで、待ってもらえるかしら。その辺りで、見切りを付けて、自由にしてもらえたらいいと思うのだけれど」 「分かりました、そのように。では、お先に」 ペイドルトは、そう了承すると、隣国の駐在公使レステルと、身振りで役割を決めて、部屋を出た。 「それでは、私は談話室へ。ハシア、出てもよいけれど、お兄様の、どなたかと合流してね。ヨクサーナ、少し、部屋に戻って、ゆっくりなさい。無理に出掛けなくてもよいのです。皆さんもね」 「いっ!いえ!無理など…」 リーベルが言い掛けたが、カタリナの微笑みが深まるのを見て、言葉を途切れさせた。 「数人での同行は、合わせなければならない負担もあります。一度、部屋に戻って、体が重くないか、確かめてみなさい。大丈夫。あとで合流すればよいのです」 「ええ、そのように対応します。どうぞ、今一度、体調に向き合ってみてください」 ワティナが後を継ぎ、カタリナとエシェルとケイトリーが去ると、残ったファムが、ハシアとヨクサーナを促して部屋に戻し、テリーゼに促されたリーベルとキャニイとシシィは、身支度を整え直すということで、一旦、部屋に戻ることにした。 年長のファムやテリーゼ、それと、ネマとパテアは、少し話して、談話室に行ったカタリナたちを追った。 「おっし!今日は、付き合えよ、リーヴ、と、ハウル!グウェインとネイルも行くか?」 「いいが、どこに行くんだ?」 当然、問い返すリーヴに、国会議事堂!と、勢いよく答える。 「今日は各種定例会議なんだってさ!首都警備隊のを見学していいって言うからさ!行こうぜ!」 国会議事堂には、主要会議場である国政総轄会議場以外にも複数の会議場があり、このうち、国政に()ける各方面に分かれての会議場も、それぞれに固定化して、存在する。 そちらを使用して、毎週、暁の日に定例報告会があるのだが、毎月1日(ついたち)には、定例会議を重ねており、今日、5月1日(ついたち)も、その会議ということだ。 この見学案内には、ケイマストラ王国から戻ったクラール共和国駐在の特命全権大使デイロ・ミスユが付いてくれるということで、1階に降りると、玄関広間で待っていた彼と合流した。 「シェイキンに引き継いだのか」 リーヴに聞かれて、デイロは笑みを深めて頷いた。 ケイマストラ王国駐在の大使シェイキンの着任までということで、あちらの王都まで赴いて諸事を代行していたのが、このデイロなのだ。 留学者一行に国境まで同行していたシェイキンが引き返した時機を見て、本来の駐在地であるクラール共和国に戻ってきた。 「ええ、まあ、あちらには、公使のリガルドが()ましたからね。クラール国駐在として行うべきことを持ち帰ったのです。それでは、議事堂に、ご案内します」 そう促す彼らの先頭に立つのは、アルシュファイド王国の騎士ではなく、もちろんケイマストラ王国の騎士でもない。 クラール共和国の兵士かと考えたのは正解だったらしく、間もなく到着した国会議事堂内の首都警備会議場に入ると、同じような制服の軍人が、半分ほどだろうか、着席していた。 既に話は通っていたらしく、デイロたちを見ても、目を見交わした者だけが軽く頷いて返すだけで、あとは、どうしても、ちらちらと見るのが、赤璋騎士アルのことのようだ。 そんななか、一行は用意された壁際(かべぎわ)の席に座っていく。 そこは、観覧者用の区画で、色の無い透明の硝子(がらす)に似た仕切りの壁によって、室内の分断された空間となっていた。 椅子を引いたり、咳払いをする音は聞こえないが、着席を促す声や、欠席者名を並び立てての断りなどは聞こえる。 やがて、会議冒頭の挨拶と、会議名称や留意事項の宣言が終わると、早速、話し合いが始まった。 「…先にも通達したように、異国の客人が、ご観覧だ。正確な数値は手元の資料で確認するので、説明は省いていい。では、まず、報告から」 この部屋に観覧席が(しつら)えてあるように、クラール共和国のほとんどの会議場では、観覧ができるし、場合によっては、参加もできる。 観覧者が公賓の位階であることは珍しいが、観覧されること自体には、慣れたものだ。 議長席に座る軍人が促して、片手を挙げた者が、着席したまま、手元の資料を読み上げる。 「警備隊副隊長ザルツ・バルガから、全体報告。先週の東西南北門の不審者数は記載通り。追跡後の防犯は完全な効果であると言っていいでしょう、引き続き、現行の対応で数字を見てみます。続いて警備隊の養成状況ですが、基礎修練の習得は順調で、正規兵には行き渡っています。見習い新兵については、随時対応です。そのほか、問題は無いです。以上です」 「次」 先の発言者、ザルツは軍服らしい服装だったが、次に片手を挙げた者は、軍に属する、と言うよりは、学究機関に属していそうな制服で、堅苦しさが幾分、抜けている。 ザルツや議長が着る服よりも、明るめの色調であるためかもしれない。 「はい。警備隊唱術(しょうじゅつ)科大隊より設置科中隊が報告します。東西南北門に()ける固定術は現行にて継続しており、これは、今のところ問題無いです。改定に向け、配置予定表を作成しましたので、参考資料として手元にありますが、これは、本日の会議の結果で、変更するものと考えています。以上です」 「次」 ただの報告のためか、疑問を差し挟む声は出ない。 次の発言者は、また、議長やザルツと似た、軍服だ。 「は。警備隊警邏科第一、第二大隊より報告。共に、通常警邏に問題は無いです」 発言者の隣に座る者、これも、色は違うが、軍服の者が、軽く手を挙げた。 「警備隊警邏科第三、第四大隊より報告、不審者のうち、国外に出た者たちの動向について、供用路までは問題無いようですが、人数が多いので、明確な証拠は無いものの、一言(ひとこと)だけでも、ミルフロト国(がわ)に通知を行っていただきたく、具申(ぐしん)します。以上です」 議長が発言した。 「国境警備も問題は無い。首都警備で対応が必要な案件は、今のところは無い。続いて、軍務局、報告を聞かせてくれ」 それからは、軍務局が携わる事務手続きが必要な事柄、大まかには、国内外に向けての対応と、軍備の整えと、人員配置と、隊員の養成手順について、簡単な報告があり、いずれも、問題とするほどの困った事態は起こっていないように判断できた。 「さて、以上を踏まえて、5月1日(ついたち)定例会議を始める。先の提案から、各々考えてもらったと思うが、供用路に()けるミルフロト王国側との軍事演習について、各領共通の取り決めを(まと)めたいと思う」 首都警備隊は、首都を中心に防衛を担うので、供用路での軍事演習に関しては、国境警備隊に任せて、参加することはないのだが、首都のすぐ外が供用路であるなどで、無関係では、いられない。 そのため、以前に、首都警備の都合から、要望を出していたのだが、その要望に応えられないなどの返答があったため、各部隊と軍務局で再度の検討を行い、折衷(せっちゅう)案などの訂正を行った事柄の是非を話し合うことが、今日、最初の議題となった。 クラール共和国は、立地と成り立ち、何より国体が特殊なので、ケイマストラ王国と重ねられないが、国境線での取り決めについては、考えさせられることが多い。 いくら親密な関係であっても、国として独立を保つのなら、親密な今だけの取り決めではなく、いずれ、敵対関係となった場合にも、自国を守ることのできる取り決めが必要だ。 話し合いの中で、現在、クラール共和国は、ミルフロト王国の提供する基礎修練なるものを学ばせてもらっており、年末のミルフロト王国第1王女のアルシュファイド王国訪問に合わせて、正規兵の教育のため、先遣隊を派遣して、兵士の留学制度を整えようという動きであることを知った。 「知っていたか?」 リーヴに聞かれて、アルは、まあなと頷いた。 「俺は対外が担当だから、話は聞いてるけど、内容を考えるのは別の者なんだ。そいつらが整えた履修項目を、どう提供するかってのが、俺の課題だな。ケイマストラ国も、こういう留学に合わせて国王の歴訪を組むんなら、動きやすくなるかも知んねえよな。そこんとこ、第1王女の訪問は、リーヴも考えることがあるんだろう」 「なぜ第1王女が?」 「ん?うちに来るかってこと?定期健診だな。定期ってなると、狙われやすくもなるから、その点でも、留学目的の兵士が同行するのは、安心できるな」 「なる、ほど…けんしんというのは、どういうこと…なんだ?」 「ん?そういう…ああ、健診て、言わないか。うちでは、健康診断を略して、健診て言うの。健康かどうかを調べるってこと。特別な不安要素があるんだが、感染するようなものじゃないし、別段、不健康な体ってわけじゃないから、気にすんな。特に秘密ではないはずだが、王家の特質でもあるから、俺に言えることはない。ただ、面白半分に話題に出すことじゃないってことは、忠告しとく」 「…分かった」 この大陸、国家によっては、他国の者には不思議に思える現象や、事柄が散見される。 半年以上も前のこと、ケイマストラ王国の西隣国ベルウッド王国の結界が改められ、通過はできるが、カラザール王国の進軍が撤退したという話を聞いている。 なんでも、郷愁に(から)れる兵が(おお)()ぎて、軍を維持できない状況に追い込まれたということなのだが、なんとも理解に苦しむ説明だ。 郷愁、ぐらいで、人の、()して兵士の足を止めることなど、それだけでも信じられないのに、戦に背を向ける事態にまで陥ったと言う。 裏切り行為となるのだから、罰されることへの恐れの方が大きいはずだ。 それなのに、このために全軍総崩れと言うのだから、他国のこととは言え、非常に気になる。 原因を探らせたところ、改められた結界によるものと、判断するしかなかったが、理解できない事態であることから、情報など、不足していると考えるに(とど)めることとなった。 そのように、大きな結果を及ぼすことは(まれ)だが、例えば、南隣国ザクォーネ王国でしか育たない不老長寿の妙薬なども、不思議な存在に加えられるだろう。 リーヴは、意識を会議に戻して、休憩時間まで、一行は静かに見学をさせてもらった。 休憩に入ってから、アルは、デイロを伴って議長の(もと)に行き、一言、二言交わすと、戻ってきた。 「さて、もし興味があるなら、帰国の時にでも、また見せてもらえばいい。今日は、もう行こうぜ。次は、アルシュファイドの施設な」 そう話すと、近くに来ていた馬車に乗り込み、北の城門寄りの地区に向かった。 「首都ベッツは、空いている土地というものが、少なかったので、位置としては、中央区から外れてしまいましたが、クラール共和国からすれば、異国の施設ということもあって、脇に寄せるのもよいだろうと、こちらに決めました」 そんなデイロの説明を聞きながら、馬車を降りたところは、高く飾り気のない建物の正面だった。 乗客を降ろした馬車は、狭い乗降区画からすぐに出て、敷地内の道なりに、どこかへ行ってしまった。 「こちらは、アルシュファイド王国の公設就職支援事業所です。名称は、サルーナ・リップル・リー・サヴァシェルツと言いまして、ケイマストラ国でクランが立ち上げた事業所とは、成り立ちが違いますが、内容としては、同じようなことになるのではと思います。すなわち、就職の支援です」 「ここでも!?」 「まあ、クランのところは、運営資金を求める必要があるので、その辺り、かなり違うのですがね。具体的には、ここでは、アルシュファイド国で雇う人材を育てています。クランは、ケイマストラ王国で仕事をする者を育てます。そこが、大きく違う、基礎の部分ですね。入りましょう」 思わず、気になった部分を復唱するところだったのだが、促されたので、足を動かすことに意識が向いた。 玄関から入ると、正面は壁となっていて、その手前で左右に延びる廊下には、いくらか人の行き来する姿が見られた。 正面にある壁は、案内板でもあって、(やかた)の中の配置図も(えが)かれている。 「板張りですが、靴のままで上がってください。手前の敷物に足裏の汚れを落とす術が仕込まれているので、ああ、護衛の(かた)が先に()った方がいいですね、どなたか、どうぞ」 促すデイロの横を、アルが素通りして、廊下の左右を見ながら言った。 「受付、そこか。行った方がいいか?」 「まあ、案内もできますし、そちらを先にしましょうか」 「分かった」 アルが、さっさと先に行くので、リーヴも、早く追いたくて仕方がない。 護衛のベシリウスを()かして、早足でアルの向かった方へと、あとを追い、受付、という飛び出した札の下にある扉へと手を掛けた。 扉の上半分は、色の無い透明の硝子(がらす)(いた)らしく、やや重かったが、取っ手を押すと難なく(ひら)いた。 その部屋は、かなり広い空間で、外側の壁は広く硝子(がらす)()められ、陽の光が入って、とても明るくなっている。 入ってすぐの場所は、待機区画と言うのか、ゆったりと体を預けられそうな低めの椅子が適当に並べられ、単独の者も、連れが複数いる者も、気兼ねなく時間調整できそうだ。 「こちらです」 デイロの声に振り返ると、進行方向を腕で示しており、その先には、アルが()た。 急いで行って、背後から覗き込むと、女の受付係と話し中のようだった。 「お連れ様でしょうか?」 リーヴを見て言うので、アルも、ちらりとリーヴを見てから、女に答えた。 「そうなんだ。その案内書を人数分くれないか。ええと、5人分?」 「必要があれば、送るなどしますから」 デイロが言うので、そんじゃ、5人分とアルが言うと、従者のボルが、慌てた様子で、俺にもください!と受付台に飛び付いた。 「っ、承知しました、少々、お待ちください」 一瞬、びくりと身を震わせた女に、ボルは謝り、彼女は、ほっとしたように笑いながら、枚数を確認して、案内書を渡してくれた。 アルは、受付台から少し離れて、案内書を配り、ざっと中を確認してから、顔を上げた。 「お。外にも、なんか、あるぜ」 外からの光が入る壁の一部に、開きっ放しの扉があったので、そちらから外に出てみると、腰より低い植木の点在する庭のずっと奥に、多くの人が会話を交わす、屋外用の机と椅子を配置した区画があった。 「あちらは、待合(まちあい)広場ですね。周囲の建物から集まりやすい中央に配して、利用者同士の待ち合わせに使ってもらっています。談話室や喫茶室は、建物ごとにありますが、こちらは、接点が少なめの人々用です。例えば、唱術師(しょうじゅつし)と小間使い師では、養成項目が重なりませんが、唱術師見習いが小間使い師見習いと助け合って生活したいと考える時など、そちらの掲示板で条件を出して、面会の運びとなります」 なんとなく、その待合広場(きのこ)(かさ)まで行き、区画内を見回す。 「どう助け合うんだ?」 リーヴの問いに、デイロは、頷いて答えた。 「見習いの(あいだ)は、正規の料金で雇い入れるということを、しなくてもいいのですが、養成中ですから、それなりの要領は備わっています。そこに期待して、唱術師見習いなら、重い物の持ち運びが楽になる術を教えてもらったり、小間使い見習いなら、部屋の片付けや食事の支度など、(あらかじ)め決めた作業を求めることができます。対価は、少なめの料金でもいいし、住居や、食料といったものでもいいのです。互いに折り合いが付くところで、交渉が成立します」 「かなり自由に条件を出し合える…か?」 「そういうことです。さて、今、出てきた建物が、総合受付所と、予備教育棟です。受付では、こちらの施設の利用の仕方と、施設を通して、主にアルシュファイド国の官吏や商人向けに、こちらで養成した人々の雇い方を説明します。予備教育というのは、文字や数字の読み書きと、計算の仕方、地図の見方、現在地の把握の仕方、交通手段、金品による売買の仕方、働きたい場所での基本の決め事など、社会に貢献しつつ働くために、最低限必要な事柄を教えることです。(あらかじ)め、備えているべき知識を教える、ということですね」 それだけでも驚いてしまうが、そう言えば、クランがケイマストラ王国で立ち上げた施設も、そのようなことから教えるのだ。 「で、あちらの(むね)が、(おも)に個人宅内での仕事ですね。()(れい)()(ぼく)、侍従、侍女、小間使い、清掃、洗濯…などでしたか。子守り師は、あちら…教育や医療に携わる人々向けの(むね)に入ります。あの辺りは、動植物の育成によって、生活を支える人たちの(むね)で、あそこら(へん)に、生存技術系…護衛とかの格闘ですとか、森の中や荒野といった人のいない場所での生き残り術とかを教える建物がありますね。それから…」 「ちょっと待て?建物が見えないんだが?」 戸惑って見るのは、鬱蒼(うっそう)とした木々のある方向だ。 範囲は狭いのだろうが、それでも、中央辺りでは、方向を見失いそうだ。 「ああ、建物が低いですからね。ちょっと遠いのもあって、建物は見えません。あと、文官向けの教育棟とか、商人向けの教育棟とかは、働きながらの習得も視野に、敷地の外れに位置する建物を使っています。外部から直接、出入りしやすいように」 リーヴは、間違いなく血の気が引いた音を聞いた。 「…すると、その手前にある建物は?」 「その辺りは、異能の修練棟と、唱術など、異能や彩石に関わる教育棟ですね。異能の暴発などに備えて、職員が集まりやすい立地です。あとは、技術棟ですね。金物や木工の細工だとか、建造、あと、まあ、物作り全般ですね。被服とか。その辺りは、そこの建物の向こうに建ってます。対象者は、12歳以上の健康な男女で、11歳以下の子は、あちら、教育者たちの(むね)の向こうに、学習場があるので、そちらで預かっています。病気とか怪我とかは、治療が先なので、学習場の近くの病院で受け入れています」 「そっ!そこまでするのか!?」 声が大きくなってしまい、衆目を集めたが、すぐに興味を失った人々は、自分たちの会話に戻るようだ。 デイロは、はは、と笑って、頷いた。 「もちろん、対価は受け取りますよ。さいわい、クラール国では、孤児というものが少ないですからね。この程度の設備でも、なんとか動き出せています。まあ、まだまだ、整えは必要ですが」 「そ、その…ここは、お前…デイロが、作り上げたのか…」 「まさか!要所にアルシュファイドの者を置いて、大半は、クラール国の者に、ああ、特に面倒なことです。作業手順の整えとか、教育要綱の整えとか、基準はこれだからと提示して、クラール国で必要なことを抜粋してもらったり、付け加えてもらったりしてるんです。学究の徒が多いので、例えば、読み書きから教える必要の無い者が多いですし、出身が別の国でも、雇用条件次第で働いてくれますから、まあ、楽なものです。あとは、理解だとか判断の齟齬(そご)に気を付けて、円滑に回るようにしているだけです。まだ、最終責任者は私ですが、そのうち、別の者に、やってもらいます。今は、その人物の条件を考えています」 規模にも驚くが、だが、最も価値を持つのは、これだけのものを稼働できること、そのものだ。 同じことをリーヴができるかと考えても、否定の言葉しか出ない。 一番の障害は、信用できる者の人数だ…。 これだけのこと、自分1人ではできない。 たとえ、これ以外のことをしなかったとしても。 それなのにデイロは、ここを他者に預けて、ケイマストラ王国まで来た上に、ほかの者の仕事の代行までして見せたのだ…!! リーヴは、無性に膝を地につき、頭を抱えて丸まりたくなった。 「ど、どうかしましたか?」 衝撃に、頬や眉、唇や瞳を震わせるリーヴを見ても、デイロは、何に衝撃を受けているのか、判断できない。 この程度のことは、ケイマストラ王国でしていたことと、それほどに差があるとは思っていないからだ。 まだまだ、整備が必要だという、現実を考えるならば。 「んー、色々見てみたい気もするが、何か、アルシュファイドと違うことって、ある?」 話を聞きながら、辺りを見回していたアルが聞き、デイロは、ちょっと考える。 「そうですね…。違うことは、他国との連携状況ではないでしょうか。先ほど、警備隊の会議でも出ましたが、応用修練の習得のために、アルシュファイドに兵士たちを留学させるという話になっています。そのような動きは、国内だけの活動では作られない流れです。そのための話し合いとか、ありますが…ああ、あと、今、ミルフロト国から、王女殿下と外交騎士が、いらっしゃっていますよ。親しくされているなら、挨拶も悪くないかと」 「いや。俺ぁ、あんま話してねえのよ。ん。まあ、知らない顔でもないから、近くなら、行くけど」 「分かりました、少々、お待ちください」 デイロが、隣国の王女と外交騎士を探す間、アルは掲示板を眺めて、その内容を簡単に分析する。 それによって、アルに理解できたことは、どうやら、学究者の家政師見習い…特に清掃やら食事の支度だろうか…を求める内容が多いということと、それ以外の見習いも、安価であったり、食料と住まいの提供などで、見習い同士は助け合い、また、いくらか、外部から学習、就業支援に近い依頼があるようだった。 依頼者の欄には、外部からの依頼であれば、身元保証の欄に、この施設の関係者の名と、身元調査官の名が明記されている。 「アル、すぐそこに視察に来ているそうですよ、行きますよね?」 「ああ、頼む」 「はい。喫茶室で落ち合いましょう」 そのように伝達を届けたデイロに、歩き出しながらアルは聞いた。 「見習いを雇えるのは、この施設の関係者の係累ってことか?」 「そうですね。何よりまず、約束を破らない信用があることです。身内だからではなく、断る理由とするための、ひとつの防波堤ですね。安価だからと、気軽には利用できないということで、一線を引いています。なるべく、見習い同士で提供し合う形で、本人には、実習ということで、報告書を提出するなら、習得実績のひとつとして数えますし、何らかの問題が起こった場合は、打開策か改善策を提示するのも、学習実績のひとつです。それらを放置するようなら、また、養成内容も考えることになります」 「うん。手は足りてるか」 「正直、足りませんので、その辺りは、ちょっとした細工をね…。いずれ不足が過ぎるようなら、明確にして報告します。今は、様子見です」 「分かった」 「喫茶室は、こちらから(はい)れます、どうぞ」 短い距離を歩いて、最初に入ったものとは別の(やかた)に、裏手らしき扉から入る。 ここも明るい室内で、デイロは、奥の人物に会釈をすると、お待ちくださいと言い置いてから、受付台らしき場所へと向かった。 台の向こう側に立つ女と、いくらか言葉を交わしてから、行きましょうと、奥の席へ促す。 ある程度近付くと、要人らしき若い男女と、10歳にもならないような、いや、5歳になっているかも怪しい男児が、椅子を立って向き合った。 「ご紹介します。こちらは、我が国の彩石騎士が(いち)、赤璋騎士アルペジオ・ルーペンです」 「存じています。お久し振りです、アル。また、お会いできて嬉しいです」 「お。ありがとな。その節は世話になった。ミネットは、覚えてないよなあ…!」 「あの時は、挨拶程度でしたから。リーヴィ様とは、もう少し、お話できたらよかったです」 「リーヴィ?」 リーヴが、母の愛称に反応して声を上げると、デイロが片手の内側を見せながら、胸まで挙げた。 「先に、ご紹介からしてしまいましょう。こちらは、ミルフロト王国第1王女殿下であられます、グレイフェイシア・メイ・クロリア様、そちらが、第1王子殿下、ミネット・レイ・クロリア様、そしてこちらは、グレイフェイシア様の、ご婚約者でもあります、外交騎士のラナンカイル・ミレディス殿、我々大使のようなものと考えてもらえれば、食い違いは少ないでしょう。それでは、ミルフロト国の皆様には、ケイマストラ王国の皆様をご紹介します。こちらは、当国の王太子殿下であられます、マクシミオ・リヴァイスト・ゼムリムス・ケイマス様、第一名は、限られた方々のみが、ご利用になりまして、第二名のリヴァイスト様とお呼びするのが慣例ということです」 「まあ、リーヴでいいよ。母の愛称が、リーヴィと言ってね、割り込んで済まないが、一応、どなたのことか、確認させてくれ」 グレイフェイシアが頷いた。 「ああ、それは、不用意に発言してしまいました。先ほどのリーヴィ様とは、サールーン国の第1王女殿下であられます。リヴィエラクシュケ様と(おっしゃ)いますので、略称を許していただきました」 「なるほど…」 納得したようなので、デイロは声を掛けた。 「続けても?」 「ああ、頼む」 「ありがとうございます。引き続き、ご紹介を。こちらは、第2王子殿下であられます、グウェイン・ホートマシューズ・ペイドリット・ケイマス様、第一名を、お呼びいたします。こちらの青年は、ご留学に際しての、お役目がありまして、こちらの青年は、グウェイン様の、ご学友です。できましたら、彼らも席を同じくしたいと存じますが、よろしいでしょうか」 「ええ、良きように、計らってください」 グレイフェイシアの答えに、リーヴが頷いて応えた。 「ありがとう。では、座ろうか」 そうして、席に着いた一同は、茶が出される間、改めて、互いの顔触れを見回して、確認した。 そうするとやはり、目に付くのは、1人だけ幼年の男児だ。 「ところで、ミネットは何歳だ?国外に出られる年齢とは思えないが」 「むっ!でられるぞ!ここにいるではないか!」 思いの外、元気な声が聞けて、リーヴは、思わず笑ってしまう。 「おっと、悪かったな。改めて、ケイマストラ王国の第1王子だ。リーヴと呼んでくれ、ミネット」 「う。…う?」 いまいち、王太子殿下、というものを理解していなかったミネットは、自分と同じ第1王子と聞いて、自分の認識の齟齬(そご)に戸惑う。 グレイフェイシアは、先ほどの様子から、やはり理解には至らなかったのだと、息を()くが、自分が無理な期待をしたのだろうから、仕方が無いと諦める。 「ミネット。先ほども言ったけれど、王太子殿下は、次期国王陛下で、いらっしゃいます。それでなくとも、()(うえ)(かた)には、丁寧にご挨拶なさい」 つい、先ほどにも、同じ説明をされたのだが、姉の口調が優し過ぎたために、要点に気付けなかったのだ。 ミネットとしては、重要かそうでないかは、多く、その場の雰囲気に頼って理解をしてきたので、平坦な説明よりも、抑揚のある説明の方が、自分なりの理解をしやすいのだ。 『王太子殿下というのはね、次に王様になる(かた)よ』、と言われるよりも、『王太子殿下なのだから、あなたよりも偉いのです』、と言われていた方が、口調としては、後者が強くなっていたはずだ。 けれども、いずれ、同じ王太子、ゆくゆくは同じ国王として並び立たねばならない相手に、安易に上下関係を断言はできないのだから、幼い今を武器として、実際に接することで、自らの学びを促すことこそ、肝要だったのかもしれない。 とにかく、何やら、自分は失敗したらしいと気付いたミネットは、身を縮めて視線を落とした。 「ははっ。まだ、理解は、難しそうだな。グレイフェイシア姫、もう少し、時間を掛けてやってくれ」 「恐れ入ります。少し、焦っていたかもしれません。今しか、できないことですから」 そう言って、グレイフェイシアは、弟の頭を撫でた。 まだまだ、王女の身でしなければならないことは多いけれど、降嫁するときは、それほど遠くないのだろうから。 ちらりとこちらを見上げる弟に向けて、ちょっとだけ笑って見せて、リーヴに顔を戻す。 「それで、こちらに、いらっしゃったということは、修練のことを視察するためでしょうか?」 「そうだ、そう言えば、こちらは、異能関連の(むね)だったな。それに、グレイフェイシア姫が、なぜこちらに?気軽に来られるほど、クラール国が身近な存在ということだろうか…」 グレイフェイシアは、ちょっと笑った。 「それもありますが、こちらの兵士の、異能の基礎修練を、我が国で指導している関係で、王都から近い距離ということもありまして、往復の警護を、一部クラール国に依頼しています。本日は、こちらでの修練の形を見せていただきに来たのです。基本は、アルシュファイド国の形なのですが、こちらでは、机と椅子を固定することで、修練の取り組みやすさを心掛けてみたそうです。異能の暴走に備えるには、できるだけ物を置かない、という形で取り組んでいたのですが、固定ならばよいのだろうかと、検討に加えたく参りました」 「うん…、つまり、異能の修練は、グレイフェイシア姫の主導…指導…なのか?」 グレイフェイシアは、少しだけ、笑い声を聞かせた。 「持ち帰ったのが、私だったというだけで、関わらせてもらっているのは、ただの()(まま)です。指導だけなら、アルシュファイド国から、大使たちが来ていますので、依頼すれば済むのですけれど、これは、私が、したいことなのです」 静かに落とす言葉には、温かみがあって、何かしらの大切な思いがあることを、彼女を見る者たちに知らせた。 「それはそうと、ほかのご兄弟は、別行動なのですね。王女殿下(がた)に、お会いしたかったです」 「そうだな。2人とも、今頃は出掛けているのではないかな。色々と見るものが多いし、ああ、では、帰国の()りにでも、ミルフロト国に立ち寄ることなど、検討に入れておこう」 「まあ、ありがとうございます!あら、でも、そう言えば、アルシュファイド国で、お会いできるかもしれませんね!」 アルが口を挟んだ。 「ん。このあと昼食だし、合流しても、いいけどな。ここの食堂なら、護衛たちも安心できるだろ。いや、まだ、改装できてないか?」 デイロが答えた。 「正面の受付棟であれば、整っています。豪華な食事とは、いきませんが、豪華なばかりも、なんですからね。あちらのご一行が良ければ、ご案内しましょう」 「では、その(あいだ)に、私が修練区画へ、ご案内します。行きましょう」 「恐れ入ります、グレイフェイシア様、ラル、悪いが、頼む」 「ええ」 ラナンカイル、通称ラルが、頷いて、自国の護衛たちへと視線を走らせる。 それを受けて、ミルフロト国の護衛たちは、広い喫茶区画の壁寄りに動線を保つよう、建物側の出入口まで、人の流れを配慮した。 「1人、先に。アバル」 「はい。どなたか、先頭で、ご案内します」 「私が。よろしく頼む」 ザカリエが動いたのを見て、アルが言った。 「ああ、ラル。そいつは、知将のザカリエ・マルスだ。グウェインの護衛騎士隊隊長なんだ」 「七剣将軍の、お1人ですか。ご高名は、予予(かねがね)、耳にしています。いずれ、改めて、お話できればと思います。では、頼む」 「は」 そのように、場所を移動するなか、各所と伝達を()り取りしていたデイロは、一旦、この場を離れていった。 グレイフェイシアに先導されるリーヴたちは、何気なく周囲に目を()り、それにしても明るい室内だと、自国には無い光景を、心に残すのだった。
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