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―旅の景色Ⅲ 街道の町ゼノンⅡ―
ハシアはちょっと、ご不満だったけれど、兄に頭を撫でられて、気分は落ち着けられた。
「ヨクサーナ、怖くはないかい。歩けそう?」
深窓の令嬢ヨクサーナ・ビジーは、先ほど町を見下ろした時には、背面となっていた建物群を、少し口を開いたまま、見回していた。
彼女を留学に引っ張り出すのは、少しばかり強引だったが、自ら強く求めてくれたということは、リーヴも知っている。
「あ、いいえ…。怖くはないのです。ただ、見るものすべて、初めてで」
公家令嬢は、多く王立学院付属の学棟に通うものだが、ヨクサーナは、初日の敷地の様子を見ただけで、倒れてしまい、以来、一人親の父が過保護な対応をしていたこともあり、大事に囲い込まれていた。
リーヴには、どんな変化があって、今、こうして、旅などという大きな冒険に踏み出せているのか、判らないが、猛進しがちな妹にとって、横に立って、落ち着ける存在らしいと、感じた。
ハシアの侍女は、よく頑張ってくれてはいたが、後ろに控えていたのでは、ハシアには、意識が向くことが少なく、互いに、あまり良い関係ではなかった。
好悪とは違う、意識として。
「戻りましょう!もっと、何があるのか、見たいわ!」
ハシアが、するりとヨクサーナの腕を、からめ取った。
姉のカタリナに、よく行う甘え方だけれど、それをされるカタリナが、確かな感触と温もりに、表情を和らげていることを、リーヴは知っていたし、ハシアもまた気付いて、意識して行っていることを、知っていた。
対するヨクサーナは、変化しない表情でハシアを見て、それから、控えめに笑った。
「ええ…!」
元々、表情の変化が乏しいのかもしれない。
けれども、その声色は明るく、どうやら、楽しんでいるのだと思えた。
「私たちも、行きましょ!」
カタリナは、傍らにエシェルを置きながら、私的留学者の少女たちを誘う。
配置替えのあと、先ほどの馬車の中では、随分と仲良く話していたようだ。
リーヴは、婚約者ケイトリーに目を向けて、行こうかと促した。
同世代の少女たちと、ケイトリーが親しめないと、損得勘定を横に置いても、彼女が寂しい思いをしてしまうという一事で、リーヴには大問題だ。
自分を見てくれないことは、面白くないけれど、まだまだ、自己の経験に、積み重ねの必要な年少の婚約者なのだ、このくらいは配慮せねばなるまい。
同伴の男子留学者も、適度に距離を詰め、歩き出す。
一応、年少組と年長組とで分かれるように、護衛が間を埋める。
一行は、先ほど通った歩道とは、馬車道を挟んでいる、別の歩道を通って、一先ず、宿町の本通に戻った。
先ほども見たが、さすがに広大な荒野にある町なので、建物の数は少ないものの、それぞれの敷地は、非常に広いものだ。
リーヴも、過去の王太子や、貴族令息のように、学究の国クラール共和国に、短期間とは言え滞在したことがあるので、この街道には覚えがある。
だが、その頃よりも、とても活気があるように思う。
そう言えば、馬車の造りも、なんだか確りしたものが多いように思うし、装飾は少ないが、どこか、自分たちが乗っていた馬車に似た印象を受けるものが、散見される。
リーヴの記憶にある数年前の景色では、道幅は、こうではなかった。
いや、あの頃は、道ではなく、空き地に近かったのではなかったか。
そもそも、ここは、かつて見た道だろうか?
大きくなる違和感に戸惑っていると、後ろで、はっと、鋭く息を吐く音がした。
「なんてことだ…!!ここは、新たにできた道じゃないか…!!」
愕然とした呟きは、ハウリセルド・ラメル、通称ハウルだ。
公務で、幾度か来た町のはずだが、ただの景色と思って、よく見ていなかった。
いったい、いつから、この有り様なのか、迂闊過ぎる自分に、ただただ、腹の底が冷える。
ハウルは、宰相補佐の1人として、下方にある町に建つ、ゼノンの大宰府には、行ったことがあったのだが、民が住んでいるわけではない、この宿町のことなど、重きを置いておらず、車中では、多忙の中の移動時間として、寝るか、書類を読むかの、どちらかしかなかった。
「そうだったか?」
「そうだっ!!ただの通過点だと思って、ああ…!!」
下の町への出入口は、数ヵ所にあって、うち、主要な馬車道は、宿町に入らない経路だ。
宿泊も大宰府を利用していた、リーヴも、ハウルも、この先の町へ行った時には、帰りも、下の大宰府に宿泊したため、思い返せば、宿町を通る道を利用したのは、3年…以上前のことだ。
4年は経っていない。
けれども、この激変は、3年や、そこらで組み上げられるものではない。
「ほっ、報告…!」
髪を手で乱して、思い返すハウルだが、こちらの町での収支に、激変はなかったはず。
いや、それを確かめたのは、自分が担当になった最近のことで、不正は無いし、民は困窮もなく、王都フランシアよりも状況は良さそうに思えた。
旅人が、金を落としていっているのかと、この先の町、アバトよりは収益が低いので、そちらにばかり目をやって…。
「落ち着け、ハウル」
穏やかな、けれども、りん、と音がしそうな声に、意識を叩かれて、ハウルは顔を上げた。
「よく見ておけ」
言われて、はっと息を呑む。
そうだ、異変に気付いたなら、確かめなければ…!
急いで周囲を確かめて、この町の造りが、かなり整ったものだと知る。
王都フランシアは、不揃いの石を積み上げた町で、路面だって、長年の利用で均された部分はあるが、滑らかには程遠い。
対して、こちらは、なんの特徴もない、乾いた土の地面に見えたが、轍の、ひとつも見えない。
いや、それどころか、跳ね上がる土や石が………無い。
これが、当たり前のことだろうか?
思えば、車輪が駆け抜ける様子など、注視したことはないが。
「ハウル、ここはいいから、あちらの通りを見て来い」
声を掛けられて、ハウルは、列を抜けて、護衛の2人と、通りを渡ろうとした。
「待ってください、危ないです。少し先に、横断歩道がありますから、そこから渡りましょう」
声を掛けたのは、アルシュファイド王国の男騎士の1人、機警隊補佐隊のマナト・メーリングだ。
様子に気付いたカヌイが、近付いて、ここは俺がと、マナトに先を促した。
「今は馬車が多い時間帯のようなので、決まりを守りましょう。こちらへ」
カヌイに促されて、立った、その横に、黒い板があり、白字で、歩行者横断路、と書かれていた。
「渡りたい」
カヌイの声に、顔を上げると同時に、ぽ…ん、と、高い音が鳴った。
カヌイが振り返るので、視線を追うと、目の前に黄色の薄い膜が生じていた。
「なんだ?」
「馬車が停まるまで、少し待ってください」
カヌイが答える間に、次々と馬車が停止し、膜の幅だけ、通り道ができた。
再び、今度は、ぽぽぽん、と、高い音がして、黄色い膜が消えた。
「行きましょう、今の内」
促され、カヌイのあとに付いて、道を渡ると、左右には、黄色い膜があって、どうやら、この通り道を守っている。
カヌイは、馭者たちに片手を挙げて、礼を示しながら渡り、一行が渡り切ると、黄色の遮断膜は、すぐに消えた。
「絶対に安全とは言えませんが、無理に渡るよりは、安全ですよ」
「こっ、こんなもの、いつの間に…」
「え?1年か、そこらでしょうか。宿町を整えて、利用者が増えてからでしょうからね。さて、どちらに行きます?まあ、どちらも…ああ、我々が泊まる宿に行きましょうか。こちらです」
歩き出しながら、カヌイが説明した。
「この通りは、あちら側が、裕福な者が多く泊まる宿、こちら側が、安価な宿です。食堂も、あちら側は高級感があって、食材も贅沢ですが、こちら側は、安価で手に入るもので、質より量です。町の外れに、旅装を調えるための店がありますが、今日は、そこまで行く時間がありませんね」
「そっ!?そんな違い…」
ハウルの動揺に、カヌイは、ちょっと笑って見せた。
「以前には、とても閑散とした宿町だったそうで、それで、このように、後からでも、変えることができたようです。商人たちの努力ですね。あと、宿町を維持する者たち」
カヌイは、ここも、ちょっと見てみましょうかと、立ち止まった。
「ここは、商人に雇われた、馭者用の宿です。商人も利用はできますが、馭者専用の宿に無理を言うわけですから、迷惑料が加算されます。それぐらいなら、相手を選ばない宿に泊まる方が、待遇はいいんです」
「な!?なんだそれは…、馭者を優遇!?」
カヌイは笑って返す。
「だって、馭者だって、商売です。続けやすくしてやらなければ、皆、そんな仕事、してくれません」
「なっ、なん……」
ハウルたちの感覚では、優遇されるのは、いつも貴族、金と権力を持つ者だ。
「ここは馭者だけなので、我々は、馭者以外、護衛なんかも泊まれる宿を選んだんですよ。ただしそちらも、職業別の待遇の違いがあります。そっちを、じっくり見た方が、良さそうですね。こっちです」
カヌイは、立ち止まった宿には入らず、2軒ほどの食堂らしき建物を挟んだ宿で、再びハウルを見た。
「こちらが、馭者と荷持ちを集めた旅守(たびもり)たちの宿です。隊商向けの宿なので、護衛も泊まれます。入りましょう」
玄関脇の看板には、確かに、旅守の宿と表示され、旅守の説明書きを掲示した板が、横にある。
それによれば、馬借師、荷持ち師、交渉師、警備師、護衛師などが、旅守に含まれるようだ。
また、19歳以下、宿泊条件について、相談の用意あり、と書かれている。
「いいですか?」
少し立ち止まってしまっていたハウルに、カヌイが声を掛ける。
ハウルは、慌てて、カヌイのあとを追った。
宿の玄関の中に入ると、正面には、1本の木を描くような板があり、枝先に集まる葉の影部分には、受付、食堂、待合室、喫茶室、喫煙室の名称と、それぞれには、矢印があり、ざっと見回すと、受付と、待合室と、喫茶室の存在を見分けられた。
「受付に声を掛けてきます」
少し待つようにと、言い置いてから、カヌイは、受付台へと行って、少し話してから、戻ってきた。
「見て回っていいそうです。そちら、上に書いてますが、宿泊相談を受けるところです。旅には、手伝い程度の仕事しか持たない子供も、同伴しますからね、金額の確認とか、話が長くなる場合に、あちらを利用します。反対側は、待合室。そちらとか、食堂とか、喫茶室とか、宿泊客でなくても、使えるようになってます。あなたももちろん、用事などがあれば、いつでも来てください。まあ、同宿の者に声を掛ければ、一番手っ取り早いです。行きましょう」
そう言って、歩き出すカヌイのあとを追いながら、ハウルは、辺りを見回す。
すっきりした内装は、飾り気はないが、色合いが落ち着いていて、宿泊することに不安を感じない。
受付の脇から奥に向かう通路の先には、湯場、という表示があり、潅所など通り過ぎると、有料での飲み物の提供区画があり、隣には、休憩室、その先に男湯、さらに先には、女湯の表示が見えた。
「個室で湯を浴びるぐらいはできますが、こちらなら、宿泊客の証明をすれば、無料で浴槽に浸かることができます。まあ、共同ですがね。この先は行き止まりなんで、戻りましょう。上に行きます」
振り返ると、来るときには、なかったはずの階段が見える。
どうやら、廊下が折れ曲がった部分に階段への導入路があり、見落としていたらしい。
奇妙な造りだと思いながら、階段へと向かい、2階に上がると、階段付近には、見通しのよい広間があり、複数の机と椅子が配置され、簡単な打ち合わせに使えそうだ。
「この辺りは、護衛の者が多く宿泊する区画です。こちらに来てください」
広い窓から、陽の光が多く入る。
そちらに寄ったハウルたちは、宿の敷地を見渡すことになった。
「手前は、庭です。散策するほどではないですが、ひと息つくにはいいです。中庭を挟んだ対面の建物は、多く馬借用の宿泊区画です。その向こうが車馬の置き場になってるので、あちらにも、宿泊受付があるなどで、便利です。あとは、左右は、1階は共用区画、2階は、短時間でも貸し出す仮眠室、休憩室で、3階以上が客指定の無い宿泊区画です。屋上には、異能禁止で、鍛練場もあります。遊興の施設は、無いと言っていいんでしょうね。とにかく、休むための町、それがこの、宿町です」
なんと言えばいいだろう。
ハウルは、額を窓硝子に押し付けてしまう。
この硝子ひとつ取っても、王都では見られない大きさだ。
それが、何枚も嵌められて、しかも、分厚いようで、体重をかけても、不安が全く無い。
これだけの建物、しかも、中庭には、町の外に無い緑が濃くて、敷地の一部とは言え、ちょっとした森…森ではないのか。
「…………いったい、いつ、ここは…」
「2年経つか経たないかではないでしょうか。最初から、この規模ではないですよ、もちろん。ここまでの施設を見越して、敷地を決め、必要なところから作って、骨組みを作って、外装と内装を固めたということでした。中庭の木は、近く…でもないですが、まあ、その辺りからの、移植です」
そこで、ハウルは気付いた。
ばっと、勢いよく振り返り、カヌイを見る。
「なんで、そんなことまで、知ってる…!」
カヌイは、ハウルの勢いに驚いて、少し目を大きくしたが、慌てることも、迷うこともなく、答えた。
「アルシュファイドの者が、そのように提案したからですよ。出資も、少なくない額を投じています。ただしそれは、国庫からではなく、関係者の個人資産からの出資です。ここは交通の要衝フランシアに続く道ですからね。この先の国に行くために、馬借師が中心になって出資したと把握しています。ほら、レットゥオーレ国は、馬が特産ですから」
レットゥオーレ王国は、ケイマストラ王国の西側にある隣国のうち、北に位置する国だ。
同国は、育てた馬を輸出することで、大きな割合で利益を得ている。
「う、ま…」
「ええ。アルシュファイドの馬は、こちらの馬とは違いますからね。持ち込むのは簡単ですが、その先の影響を考えないでは、いられません。ですので、今のところ、利用を制限しているため、あちらまで、馬の買い付けに行っているのですよ」
「そ、の、馬は、じゃあ、どこで…」
「ん?ああ、ええと、当初は、セムズ港から、ザクォーネ…実質、イファハ国までですか。そちらの交易で使ってましたが、昨年から、ミルフロト国向けにも、ああ、王都のシャリーナまでですが、輸送で使っていますか。それもあって、特に馬借師には使い勝手の良いように整えられていますね。それが、今回の多人数の旅を助けてくれているのですから、感謝ですね。それもあって、フランシアに、アルシュファイドの商人が様子を見に来ていたわけです。重なるべくして、重なった機会ですね」
「…………」
ハウルには、なんと言ったものか、判らない。
どのような感想を、持つことが、通常、なのか。
「ああ!そろそろ、戻りましょうか!茶の時間ですし、湯を浴びて、ゆっくり旅の疲れを取らないと、まだ、1日目なんですから」
「あ、ああ…」
衝撃を受けているハウルを、少し眺めて、カヌイは、そっと歩みを促した。
「行きましょう。現状を把握することは大切ですが、掌握するには、まだまだ、知るべきことが多い。休む時には休んで、明日また、踏み込んでいきましょう」
「あ、あ……」
息を吐きながら、声を漏らす。
力はなかったが、けれども、カヌイの穏やかな声は、じんわりと、ハウルの固まった心を解してくれた。
少しだけ、立ち止まり、ハウルは、顔を上げた。
やるべきことが、ある……!
声に出さない決意が、そこには、現れていた。
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